レイルークと魔女。
新章です。
お楽しみいただけますよう。
では
どうぞ。
「……コーニエル、そっちは大きな水たまりだよ」
「黙れ」
「……はい」
むっすりと不機嫌な顔で、コーニエルはざぶざぶと水たまりの真ん中を通っていく。
深い場所では足首のところまで浸かっている。
レイルークは大回りしてその水たまりを避けて進んだ。早足で横に並ぶようにして、遠巻きにコーニエルの顔を見て様子を伺う。
あの後、四日間眠り通した後のコーニエルは、聞いていた通りに、目覚めた後も数日はぼんやりしていた。
何か話しかけても唸るような返事しかせず、あれこれ世話をするついでに許しを得ることに成功した。
ルハイディの家から連れ帰る以外で、レイルークは『触れない・否定しない・邪魔しない』の約束を守り通す。
へりくだるような態度で甲斐甲斐しく世話をしながらも、約束を果たしたことはきっちりと言葉や態度で示しもした。
ついでにこれまでと同じ条件で、次に会う竜の元までと、レイルークは旅の延長を勝ち取る。
コーニエルはぼんやりしている間に交わされた約束を、最高に機嫌を悪くしながらも、それを反故にはしなかった。
なぜかと不思議に思ってレイルークは素直にそのことを聞く。
意識がはっきりしないうちの約束なんて、どうして守るのか。自分にとってはありがたいが、さすがに心苦しいと付け加える。
なぜ魔女が魔女でいられるのか、とコーニエルは前置いて話をした。
どんなに自分に不利で、どんなに嫌な約束でも、一度交わしてしまえばそれを履行しなくてはならない。その後の魔術の質が落ちてしまうのだと心底忌々しげに明かした。
そんな大事なことを話して大丈夫なのかと問えば、嘘や偽りも魔術の質を落とすのだと言う。
これまでの歯に衣着せぬ発言は、全て偽りのない心からの気持ちなのかと思うと、レイルークは嬉しくて身悶えながら捩れていった。
腐臭を放つ死体を見るような目で見られても、それはそれで嬉しいばかりだった。
「……エル? 靴、乾かさなくて良い? 水が中に染みてない?」
「うるさい」
「…………もう。かわいいんだから」
しっかり目が覚めて、はっきりと受け答えをし、真っ直ぐ歩けるようになり、旅を再開した。
でもコーニエルの不機嫌は相変わらず。
本調子でないのが手に取るように分かるほど、小さな不覚を連発している。
少しでも目を離すと本当に穴に嵌ってしまいそうなほど危なっかしい。
そのどれも全部を掬い上げて、手助けしたくなる。
不機嫌な顔も、短くしか吐き出されない言葉も、ちっぽけな失敗も何もかも可愛くて仕方がない。
地図を見ていればこの国と隣国との境を縫うように進んでいるのが分かるだろう。
見えない線の上を真っ直ぐ辿るように両国を何度も跨ぐ。
とはいえそこは草原や森の中の道なき道、山越えの道なので、地図も持たないレイルークに、どこをどのように進んでいるのかは分からない。
兵や守り人など、人目のある『国境らしい国境』をコーニエルは避けて通るようにしていた。
理由はただしつこく問い質されるのが鬱陶しいから。
しかし何も補給せずに旅を進めるのも難しい。時に村で食糧を分けてもらったり、町に足を伸ばしてはちゃんとした屋根のある場所で休息を取ることもした。
ごとん、と派手な音を立てて分厚い陶器の器が落ちた。中身は残り少なかったのでそこら中を水浸しにせずに済んだ。
「エル? 服は濡れてない?」
倒れた器を立て直し、店の奥に大声で布巾を頼んだ。
コーニエルは無表情で器が滑り落ちた自分の手のひらを見下ろしている。
久しぶりに人の多い町までやって来た。
そこで見つけた宿の近く、繁盛していそうな客の多い食堂で、ふたりは食事をしていた。
「……エル? 大丈夫?」
向かい側から心配そうに顔を覗き込むレイルークにちらりと目を向けると、静かにしろと小さくつぶやくようにして目を背ける。
ぐい、とルークは心臓が掴まれる感覚になる。
目が覚めた、意識がはっきりした、動けるようになった、旅を再開した。
ふたりだけで居られること、それが嬉しいことばかりに思えていたが、コーニエルの様子は明らかに変わってしまった。
この数日間は心配が勝ち、エルの不覚を見るたびに、胸がどくりと音を立てる。
同時にざわりと全身の毛が逆立つ感覚にも襲われる。
コーニエルが心配でどうにか助けてあげられないかと考える一方で。
弱っている、と嬉しく感じる自分もいる。
ざわざわと蠢く竜殺しの血が愉楽の声を上げている。
『いいぞ、その調子だ』と。
もっと側に居たいと竜殺しの血が言う。
もっと側で弱っているコーニエルを見ていたいと。
レイルークは初めて自ら距離を置くことを考え始める。
放って置けないと、世話をしないと、困っているんだと、コーニエルを可愛く感じていたのは。
間違いなくそれは自分なのに。
何がそう思わせていたのか自信がない。
純粋な親切心なのか、完全な悪心からなのか。
「……その目」
「え? な、なに?」
「……やめろ。楽しそうだな」
「…………コーニエル」
「私の不調が嬉しいか?」
「エルこそやめて。そんなこと思ってない!」
「本当に? そうだろうか」
「大事だと思ってるし……そうしてるつもりだよ」
「私を想っているならここで帰るんだな。そうじゃないならもう面倒だ……相手をしてやる」
「……相手って……」
「剣を取れ。その腰のものは飾りか?」
「そんなこと!」
「心配は要らない。こんな調子でも私はお前に勝てるよ」
「……そんなこと言わないで」
「表に出ようか?」
「……それは俺だけだよ。ほら、ちゃんと全部食べて……俺、今夜は外で寝る……それならコーニエルはゆっくり休める?」
「お前が家に帰ってくれればもっとだ」
「分かってる……でもごめん…………本当にごめん。出来ない」
出された布巾で卓の上を丁寧に拭いて、コーニエルの皿を食べやすいようにきちんと並べて整える。
ぎこちなく笑うとレイルークはじゃあね、と席を立つ。
その腰の浮いた椅子に、レイルークを押し除け、男が交代だと言わんばかりに座った。
「こんなことあるのか?」
「……今度はなんだ」
「こんな可愛いの見たことない」
向かいに座った男は嬉々として、卓に腕を乗せて前のめりになっている。
相対しているコーニエルは盛大に顔を顰め、男の首元を睨みつけている。
大きく舌打ちして、悪態を吐き散らかした。
「……なんでこうなる!」
「エル? この人誰?知り合い?」
知らないとコーニエルは不機嫌を増し、男はにこにこと笑いながらレイルークに同じ言葉を返している。
少し長めの黒髪を後ろに撫でつけたような痩身の男は、嬉しそうに卓に乗っているコーニエルの手を取って撫でた。
愛おしそうに目を細める。
「……なんて柔らかくて甘そうなんだ。こんなの初めてだ」
ルークはぐと男の手首を掴むと、エルから引き剥がす。
大して力が入っていなかったのか、手は勢いよく離れていった。
「……痛いな。なんだよ、坊主」
「誰が坊主だ。エルに触るな!」
レイルークからは見えない側、見上げた男の首筋に、シャツの襟元から炎のような模様の黒い刺青がのぞいて見えた。
「何が触るなだよ……は? 俺たちの邪魔できると思ってんの?」
「俺たちって……」
「私と、こいつのこと」
男を挟んでレイルークの向かい側に立ったのは女性。
同じように黒髪を後ろでひとつに束ね、そっくりな顔をこちらに向け、するりと男の肩に腕を回した。
首元には同じような黒い炎の紋様が見えている。
「見間違いかと思ったけど……ホント素敵。とても美味しそう」
反対の腕を伸ばして、女はコーニエルの頬をするりと撫でる。
「ちよ……やめろよ!」
手を出すとするっと交わして、両腕を男の肩に巻き付かせる。
「小うるさい番犬がいるよ、鬱陶しいね、姉さん」
「そうね。出直した方がいいみたい……こんな場所じゃ好きにできないし……またね?」
同じ顔をコーニエルに向け、同じようににっこりと笑うと、ふたりは細身の体をもつれ合わせるようにして店を出ていった。
それを見送ってレイルークはもう一度椅子に腰掛けた。
「本当に知らない人?」
「初めて会った……でも何者かは判る」
「あの人たちは何?」
「お前に親切に話すとでも?」
「……コーニエル……俺は」
「それ以上口を聞くな。今晩は外で寝るんだろう? 行け……」
「宿まで送らせてよ」
「…………勝手にしろ」
次の朝早く、陽が登る前にコーニエルは町を出た。
すぐ後ろにはレイルーク。
そのずっと後ろにはそっくりな顔をした男女を引き連れていた。
エタったと思ってた!!
そうじゃなかったみたいです!!
ぼちぼち進めます。
ほんと、ぼちぼちですが。
申し訳ありませんが続きは気長にお待ち下さいますよう、伏してお願い申し上げます。