緑茶とひっつき虫。
「分かりやすいように、すごく簡単に言うとね。魔術はふたつのことをしないといけないのよ」
ルハイディはひらりと手を動かして、ルークによく見えるように、手のひらを向けて指を折る。
「術を作って、動かす。そうじゃないと魔術じゃない」
「……小麦を捏ねて、焼かないとパンにならない、みたいなことですか?」
「そうね、そんな感じ。エルが捏ねて、私が焼いたってことね」
「あれはなんの魔術だったんですか?」
「あの子が教えなかったのに、私が言う訳にはいかないでしょ」
「……コーニエルは、竜殺し殺しだって」
「ふふ。上手いこと言うわね」
「でも俺、何ともなってない」
ルハイディと話をしていて、今さらになって背筋がぞくりとした。
竜殺しを殺すための魔術なら、それがどんなものかは分からなくても、一番身近にいた自分が死んでいなくてはいけない。
それでもついさっき、竜殺しには、少なくとも自分には魔術が効かないと教えられた。
どういうことだろうか、とレイルークの頭が、ゆっくりと傾いていく。
イディはその様子にくすと笑うと、ポットの中身を器に注ぎ入れる。片方をレイルークに渡し、自分は元の位置に戻って、また踏み台に座り直した。
器の中身をひと口含んで飲み下し、もう一度くすりと笑う。
「あの子がどこまであなたに話をしたのか知らないけど……これで終わった訳じゃないのよ」
「……これから何度も、人や竜に会うって」
「そうね。次は竜、その後は魔女に……そうやって繰り返すの」
「なぜ……コーニエルはどうして、そんなことを?」
「……ここまで話したのは、レイルーク、あなたがいい子に見えたからよ。しゃべり過ぎたかもって、今そう思ってるわ」
レイルークは器を両手で持って、それを手の中でくるくると回す。
中に入った薄緑がゆらゆらと揺れて、その温かさが手のひらに伝わってくる。
「コーニエルは何をしようとしているのか、そういう、目的みたいなのは何も教えてくれないんだ」
「どうして教えてくれないと思う?」
「教える……筋合いがないから」
「ふふ……そう言われたのね?」
実際ずっとそうだったのに、いざ人から言われると何だか腹が立つ。
器の中身を飲んでみると、この部屋のようなすっきりとした香りが喉を通っていく。
温度は熱いくらいなのに、喉を通ったあとはすっと冷える感じがした。
風邪のときに飲む薬草のお茶に似ているけど、苦味は少ないし、花のような甘い香りもする。
「……邪魔だから帰れって、何度も言われた」
「そうでしょうね」
「……やっぱり……俺は本当に邪魔なんだね」
事情を解っている人からはっきりと肯定されると、それなりの衝撃がある。
肩から力が抜けて、腕がいやに重く感じる。
「ここで諦めて帰る?」
「嫌だ! それだけは絶対に!……いやだ」
器のお茶をひと息に全部飲んで、横の作業台にどんと置いた。
「あの子の迷惑にしかなってないのに?」
「分かってるよ。そんなこと分かってる……でも、一緒にいたいんだ」
「本気でそう思ってるの? まだあの子に付いて行く気なの? あの子からしたらあなたはとてつもなく大きな荷物……というか足枷なのに?」
「コーニエルが好きなんだ。足枷になるのは嫌だけど、離れてるのだって嫌なんだ」
「……あらあら。困ったわね?」
ルハイディはポットを持って立ち上がり、レイルークの器にお茶を継ぎ足した。
見上げたイディは口の端を薄っすらと持ち上げていて、鳶色の目は楽しそうに細められている。
「……俺は邪魔にしかならないのかな」
「やだ、そんな顔しないでよ。なんだか私がいじめている気分になるじゃない」
ついつい優しい雰囲気のルハイディに甘えて、弱音が飛び出してしまう。
自分が情けなくなってくる。
そしてそんな顔をしている自覚もある。
ばちんと両手で顔を叩くと、ぐにぐにと頬を捏ねて、レイルークは唸り声を出した。
「迷惑にしかならない? 俺じゃコーニエルを支えられないだろうか」
「エルからしたら、そうね。迷惑以外のなにものでもない。……でもそれと支えになれるかどうかは別の話だと、私は思うけど」
「俺でも支えになれる? コーニエルの役に立つかな?」
「それを決めるのは私じゃないわよ、言っとくけど」
ふふと笑って作業台の端に寄りかかる。
イディは傍にポットを置くと腕を組んだ。
「コーニエルに、居て良かったと思ってもらえるだろうか」
「それを決めるのも私の役目じゃないわよ」
何度も繰り返し考えて、悩んで、それでもまだ答えは出ない。
イディに教えてもらえたとしても、それはきっと答えではない。
どんなに迷ってふりだしに戻ったようでも、行き着いた場所で待っているのは、やれるだけやるしかない、答えはそのあと、だ。
「自分で考えろってことだね! 俺がんばるよ!」
「……まぁ、ほどほどにね……あの子、胃が引き千切れてハゲ散らかりそうだって、ものすごく怒ってたから」
「そっ?! ……そうなんだ……そんなに……」
「やだ、やめてよもう。浮き沈みが激しいから疲れちゃう」
くるくる変わるレイルークの表情に、懐かしいものを見るような目をルハイディは向けている。
作業台にぐいとお尻を乗せて、足の上に頬杖を突くと、イディはレイルークの頭をよしよしと撫でた。
「人はかわいいわね」
撫でられながら、レイルークは何のことかとイディを見返す。
まるで自分は人では無いかのような言い方に、首を傾げた。
「イディもかわいいよ。コーニエルには敵わないけど」
「あら、ありがとう。ふふ……あの子はあなたのこういう所を気に入ったのかしら」
「気に入った? コーニエルが? 俺のこと、そんなふうに言った?」
「残念ながら、そうは言ってないけど……気に入ってないのに側になんか置いておかないでしょ?」
「……側に置くもなにも、俺が強引に付いて行ってるだけだし」
足元を見下ろして、どこからか、いつの間にか引っかかっている草の種を引っ張って取る。
イディに見えるように作業台に置いた。
遠くに運ばれたくて、自分で小さなかぎ針を生やした種。
側を通った人の服や、獣の毛に引っかかって、遠くに運ばれていく。
「これと一緒だよ。払ったくらいじゃ落ちないから、コーニエルは引っ付けたまんまでいるんだよ」
「でも種は引っ付く相手を選んだりしないわよ?」
「そうだけど」
「嫌なら意地でも毟って取るしね」
「俺が毟られないように必死でしがみついてるの! ……言ってて悲しくなってきた……」
ふと笑うとルハイディは背筋を伸ばして、両腕で体を支える。
「……ねぇ、レイルーク。その種は、ずっと土の上に落ちないかも知れないわ。芽も出ず、花も咲かず、実を結ばずに次の種も残さず……そのまま朽ちて終わりかも知れない。あなたが必死でしがみついてるのは、そういう相手なの」
別の立場に居る人にはそう見えるのか、自分がしていることは滑稽で無駄なことなんだろうか。
ただ自分がしたくてしていることは、他人からは間違いに見えるんだろうか。
ただ側に居たいだけでは駄目なんだろうか。
自分の足先を睨んでいるレイルークの頭に、またルハイディの手が乗った。
「人はすぐ居なくなってしまうから、深く付き合いたくないのよ、私たちはね」
「俺はコーニエルの前から居なくならない」
「……居なくなるの。あなたと私たちでは、生きている長さが違う」
「生きている長さが違う?」
「それも教えてもらってないの? いい、レイルーク。魔女が人から忌まれるのは、人ではないからよ。人は人では無いものが嫌いだからね。……見た目が似ているのが余計にいけないんでしょうね。ああ……でもそれはあなたも同じね」
「俺も?」
「人によく似た、人では無いもの」
「……竜殺しが人じゃないってこと?」
ルークが首を傾げると、その頭に乗っていたイディの手がふわと持ち上がる。
自分の額を覆って、ばつの悪い顔を作る。
「ううん……ごめんなさい。それも知らなかったのね」