見えた光と見えない柵。
ひとりでいることがこんなにも精神を荒ませるものかと、時々正気に戻る。
両親が王城に上がって行った後でも、ここまで淋しいと思ったことはなかった。
独り言が確実に増えた。
独り言というよりは、自分がこう言えばコーニエルはきっとこう返すだろう、という気持ちの悪い遊びを繰り返していた。
森の中を走ってもやもやを発散させたり、野営地を居心地良く整えて気を紛らわせたりして、どうにかやり過ごす。
今日で三日目。
コーニエルが向かった先に顔を向けて、目を閉じて集中する。
離れていく感じも、近付いてくる感じもしない。
ずっと同じ場所にいるんだと、一日に何度もする確認を、ついさっきもしたのに、またしてしまう。
ざわと身体中の血が蠢いた。
首筋が寒くなって、背中から痺れが広がって、手足の先まで伝わっていく。
初めて竜を見たときの感覚だと思い至って、辺りを見回して、空を見上げる。
自分が今いる場所からでは、木と草しか見えない。
近くにある大きな木に手をかけて、登れる場所までするすると一気に上がっていく。
久しぶりの何にも遮られていない空。
周りを見回してもそれらしい影は無い。
それでも何かが来る感覚に、そちらの方に目をやる。
青白い光の半球が瞬きをする間もない速さで広がって、森を覆い尽くそうと、その輪がどんどん広がってくる。
向かってくる光はあっという間に自分をすり抜けて後方にいき、もう光の端がどこまで広がったのか、先が見えない。
泡の玉が膨らみ過ぎて消えるように、光はふわと解けてすぐに消えて無くなった。
ルークには突風を受けたような衝撃があったのに、周りの木々はいつも通り変わりなく、それどころか葉の一枚も揺れていない。
青白いその光が、コーニエルの作っていたアレだとすぐに分かった。
半球の中心がコーニエルのいる場所なんだとすぐに分かった。
滑る速さで木から下りて、レイルークはその場所に向かって走り出す。
どれだけ走ったのか、胸が痛くて、喉は熱く、息を吸うたびに変な音が聞こえる。
腿も腫れたように感じて、持ち上げるのが辛い。
それでも進んでいると、木々が無くなって、森にぽかりとできたような広場に走り出た。
広場の真ん中には、丸太でできた家がひとつ。
遮られずに降り注ぐ太陽の光に照らされている。
正面の上り口の階段も、小さな露台の手すりも、全てが木で造られている。
軒下には花や草が束になって、いくつも逆さに吊るされていた。
周囲はきれいに草が刈られて、小さな畑も見える。
ひと時自分の家を思い出す。
様子は変わりないだろうかと、少しだけ心配な気持ちが生まれた。
人の手できちんと整えられたこの環境に、とても恐ろしい魔術師が住んでいるとは思えない。
待っていると約束したのにも関わらず、思わずここまで来てしまった。
ぽたぽた顎の先から落ちる汗と、額にいくらでも浮き上がってくる汗を袖で拭って、荒い息を整える。
今さらながらどうするべきか、コーニエルに見つかる前にこっそり引き返そうか。
そう考えていると、正面の扉が開いて、家の中から女性が現れた。
「いつまでそこでぼんやりしてるの? 来るなら来なさい」
その女性は扉を大きく開いて、身を引くと、通り道を作って待っていた。
レイルークは言われるまま歩み寄り、家の中へと足を踏み入れる。
外から見るよりも、中はとても広く感じる。
というよりも確実に広い。別の場所に来たような気がする。
真ん中には大きな机、簡素でちょっとした引き出しが付いた作業台がある。
本や紙の束、透明な瓶がいくつも並んで、からからに乾いた草や、小さなすり鉢が積み上がっていた。
高い天井からも、外にあったのと同じような草の束がたくさんぶら下がっている。
蔦草のように細くうねっている金属の棒や、光を受けてきらきらしている小さな玻璃の板がいくつもある。
何に使うのかよく分からない様々なものが、天井や梁から吊るされていた。
奥の壁一面の棚には、蓋つきの陶器の入れ物が大小並んで、沢山の本の間にぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
部屋は影の中に入ったような明るさで、外よりも涼しい感じがした。
喉をすうと通る少し甘いような、爽やかな草の香りで、余計にそう感じるのかなと思う。
「思ったよりも早く来たわね。まだお湯も沸いてない」
ふふと笑い声がする方向に顔を向けると、部屋の端は台所だった。
石で組まれた竃の前に、ここに招き入れてくれた女性が立っている。
「コーニエルは?」
「疲れて奥の部屋で寝ているわ」
「あなたは魔術師……魔女ですか?」
「そうね」
にこりと笑っている横顔は、子どもを頭からばりばりと食べるようには見えない。
どろどろに何かを煮溶かした大きな鍋をかき混ぜてはいないし、恐ろしい呪文で人々を苦しめようとする人にも見えない。
朝焼けのように赤い髪の毛はくるくるとして派手に見えるが、服装はコーニエルと同じように、質素であまり飾りは付いていない。
村にいる女性と変わらない格好をしている。
「俺が来るって、どうして分かったんですか?」
「あの子から色々聞いてたしね。そしたら簡単に柵をすり抜けて来るでしょ?」
「柵?」
そんなものあっただろうかと思っていると、女性が側まで歩み寄ってきて、人差し指を向け、そのままルークの額をとんと突いた。
『レイルーク』
「……なんですか?」
なぜこんなことをされたのか。
首を傾げて、突かれた額を撫でていると、女性はぶはと吹き出して笑い声を上げる。
「本当に効かないのね」
「え?」
「普通の人は私の家まで辿り着けないようになってるの。簡単に言うとね、見えない柵を立てて、向こうからはこっちが分からないようにしてあるのよ?」
見えない柵はもちろん見えなかったし、すり抜けたと言われても、何かそれらしい場所を通ってきた感覚もない。
レイルークは今度は反対側に頭を傾けた。
「竜殺しだから術が効かないのかしら。それとも、あなたが特別なのかしら。興味深いわね。いつか他の竜殺しに会ったら試してみようかしら」
「俺には魔術が効かないってことですか?」
「そうみたいね……面白いわ……今だって軽く失神させようとしたんだけど」
「ええ?! さっきの指でつついたやつ? ヒドいな!!」
「かからなかったからいいじゃない」
笑いを堪えながら竃の前に戻り、踏み台のようなものに腰掛けた。
「ああ……ごめんなさいね、気が付かなくて。適当にその辺に座って?」
「あ、じゃあこれに……」
作業台の下に入り込んでいた、丸太の輪切りに足だけ付いた、何の飾り気もない椅子を引っ張り出して、レイルークはそれに座った。
「うちにはお客なんて滅多に来ないから、ろくな椅子もないのよ」
「いえ、こちらこそ、勝手に来てしまって、すみません」
「本当ねぇ……まぁ、柵を越えられちゃうんだから、仕方ないわよねぇ」
もう一度詫びを入れると、別に気を悪くしている訳じゃないと笑って答える。
この女性もやはり物語で読んだり、年寄りから話に聞くような怪物には見えない。
「魔女さんは……ずっとここにひとりで住んでいるんですか?」
「魔女さんて……そうね。名前も言ってなかったわね。ルハイディよ。イディと呼んでも良いし、別に魔女さんでも構わないわ、レイルーク」
レイルークは頷いて、今聞いた名前を忘れないように口の中でつぶやいた。
さっき見たコーニエルの青白い光の半球と、その感覚を思い出す。
ルハイディに出会ったことから遡って、コーニエルと竜に出会った日のことを連鎖的に思い出していた。
ルハイディは立ち上がって、鉄瓶から陶器のポットにお湯を移し替えている。
蓋を閉じると、吊り戸棚から器を取り出して並べて置いた。
「イディさん……は、夜の色の竜が話していた、石の魔女ですか?」
「そうね、石の魔女は私のことね」
「コーニエルは竜から光る糸を受け取って、何かを作っていました。……イディさんがあれを? ……さっき、すごく大きく膨らんでいく光を見たんですけど」
イディは少しだけ口の端を持ち上げて、それでも視線はポットに向けたまま、寝物語を話すように優しい口調で話し始める。
姐さん気質の魔女、ルハイディ。
やっと新キャラ登場。