当為と対価。
ふうと息を吐き出すと、コーニエルは手を組み合わせ、その内側に光の糸を消した。
「あなたは本当に私のことが好きなのか」
「好きに決まってるでしょ!」
「じゃあ、触れたらどうだ。うん?」
「だから、簡単には騙されないから……ちょ、服は着てて……!」
目をつぶって顔を横にそらせていると、しゅしゅと衣擦れがしばらく続いて静かになる。
そっと横目でそちらを見ると、コーニエルは上掛けを被って寝台で横になっていた。
残念と安心で力が抜けて、程よく酔いと眠気が戻ってくる。
レイルークも長椅子に横になって外套を被った。
口の中で何かをつぶやくと、コーニエルは卓の上に乗ったランプを指差した。
ガラスの筒の中で風が起こったように揺れて、ふと火が消える。
野営をする時、拾った枯れ木に火を着けたり、今みたいに消したり、きちんと筋道と理由があるとコーニエルは言っていたが、それが分からないレイルークには本当に魔法にしか見えない。
「……便利だよね。何だってできそうだ」
真っ暗になった部屋で、雨音が強くなったのを感じながら、それに負けない声を出した。
「魔法じゃない」
「うん」
「不思議でも万能でもない」
「俺には理解できないから、不思議に見えるんだよ」
「それなりの対価は支払っている」
「え? 対価って、お金のこと?」
「同じくらいの価値のものだ」
「じゃあ、例えば、ランプの火を消すにはどれくらいの価値のものを払ったの?」
「起き上がって、そこまで歩いて行って、ランプを持ち上げて息を吹きかける。それから戻ってまた横になるくらいの労力だな」
「同じくらい体が疲れたってこと?」
「面倒な気分も同じだ」
実際に行動するのと同じようだと言われても、それを寝転んだままで済ませてしまうのだから、レイルークにはいまいち腑に落ちるものがない。
もっと深くまで考えたいが、雨の落ちる音と、時々それを遮る下階の大勢が騒ぐ声が邪魔して何も思いつかない。
すぐに諦めてコーニエルに話の続きを促す。
「……やっぱり便利だと思うんだけどなぁ」
「ランプの灯を自分で消しに行って、消し終わった後に便利だなと思うのか」
「……そういうことか。……じゃあコーニエルが毎晩している編み物みたいなそれも、同じくらい大変ってことだね」
「対価、と言ったんだ。やりたいことに対して同等のものを支払う」
「編み物みたいなものの対価で出来るものって?」
「編まれた何かだな」
「コーニエルは、もっと違うものを支払っているってこと? それは何?」
「……今日や明日にも別れる者に教えると思うか」
「……次に会う魔術師の所まで行ったら教えてね!」
「なぜまた一方的に約束を取り付けようとするんだ。帰るのに」
「離れないって言ってるのに、もう。エルったら……」
聞いた通りに朝には雨が上がっていた。
至るとところにできた水たまりの全部に、きれいな青の空と、くっきりと形の良い白い雲が映り込んでいる。
避けるたびに空を下に見ながら一晩過ごした町を後にした。
コーニエルの罠も手数が増えて、捻りが加わっていたりと、レイルークにも期限の終わりが迫ってきたのがはっきりと感じられるようになってきた。
気合いを入れて、目をつぶって見なかったことにしたり、何も聞かなかったことにしたり、迂闊に喜んだりしないように自分を律する日が続いた。
広い心で何でも許し、まるで聖職者にでもなった気分を味わった。
通りがかりの町でたくさんの食料を買い込んで、森に入って二日目の朝、コーニエルは重々しくため息を吐き出して、身支度を始めた。
レイルークも身の回りを片付け始めると、片方の手のひらを向けられる。
「あなたはいい。ここまでだ。ここから先は私ひとりで行く」
「……じゃあ……約束を守れたってこと?!」
大声で悪態を垂れると、コーニエルは立ち上がって近寄って来ようとするレイルークに、再び片手を突き出してそれを止めた。
「だからといって、私に触れていい訳ではない。履き違えるな」
勢いで抱きしめにいこうとして、レイルークはその場でたたらを踏んで、身悶えた。
身体中をぐねぐね歪めていると、コーニエルは潰れた虫でも見ているような目だったが、そんなことはどうでもよくて、レイルークはちっとも気にならない。
「はあぁぁぁぁ! ……どうしよう、俺はどうすればいい?! コーニエルが帰ってくるまで、ここに居たら良いのかな!!」
「……そうだな……」
「どれぐらい待ってればいい? 一日? 二日?」
「……三日……よりもっと」
「……そのまま俺を置いてどこかへ行こうなんて考えないでよね。俺、コーニエルの居る場所は確実に分かるんだからね?」
触れないぎりぎりまで歩み寄って見下ろすと、コーニエルは眉を顰めて遠慮なく舌打ちをした。
少しだけ顔を背けているから、図星だったのかと苛立った。
レイルークはまた少し距離を縮める。
「コーニエル?」
顔を横に倒して、目が合うように覗き込むと、ようやくきれいな翠色が自分を見返した。
「……私があれにどれだけ時間をかけて、どれだけの対価を支払ったか知らないだろう。三日やそこらでどうにかなるものでもない。もっと時間がかかる……」
「そう……なら、待ってるから」
「その盲信はどこから湧いてくる」
「完全に信用してるんでもないよ。本当は付いて行きたいし」
「これから会う誰かを殺す気か? それとも私か」
「……ここで待ってるから」
「頼むからもう勘弁してくれ」
「いやだ、許さない。待ってるよ」
「……もううんざりだ」
離れていくコーニエルの背中が小さくなって、すぐに森の木々の向こうに隠れて見えなくなった。
張り詰めて止まっていた息を吐き出して、荒く呼吸を繰り返した。
手先は冷たくなって、握っていた手を開くと、ぶるぶると震えが腕を駆け登って、そのまま体全体を震わせた。
乗りこなすというよりも、仲良く付き合っていると思い込んでいた感覚も、ここまで鮮明に感じてしまうと、今までのことはじゃれ合い程度のものにしか感じない。
久しぶりにコーニエルにはっきりと拒絶されて、自分の中の黒い血が身体中を駆け巡り、心を容易く殺意で塗り替えた。
身体を意思だけで止められた分、何かが変わったのだと思いたい。
その場に座り込んで地面に寝転んで考えた。
木々の葉は黒い影に見えて、ざわざわと揺れている。
それが自分によく似ているように見えた。
その向こうの青い空は、では何なのだろう。
一緒に居たいのに、簡単に真反対の感情に持っていかれる。
振り幅の大きさに疲れるからいっそのこと離れてしまえばいいのに、でもそれを考えるだけで難しい。
自分でも何故ここまでコーニエルに固執するのか分からない。
露骨に言葉でも態度でも拒否されようとも、それが自分に向けられたコーニエルの偽らない気持ちなんだと思うと、たちまち喜びに変わってしまう。
コーニエルの立場になって考えると、何かを成そうとしている時になんだかんだと近寄って来ては纏わりつく自分は、それはもう、本当に邪魔でしかないだろう。
邪魔でしかない相手から、好きだの結婚だの、そりゃあ気持ち悪いだろうと思う。
しかも時々、何かの拍子に殺意を抱くのだから、堪ったもんじゃない。
「俺、最悪だ……最悪すぎる……」
両手でごしごしと顔を擦って、そのままごろごろと転がって藪に突っ込んで行き、今度は反対側に転がって木にぶつかって止まる。
最悪過ぎても、相手の気持ちを想像しても、自分を曲げられない。
「本当に最悪だ」
それでも変えられない。
このまま帰れない。
出来ることをするしかない。
「……三日以上……」
そんなに待てない。
もう顔が見たい。
でも待つしか出来ないなら、待つしかない。
大きな声を出せるだけ出してすっきりさせると、気を入れ替えて、しばらくこの場にとどまるためにするべきことを考える。
とりあえず食料を調達するために、起き上がって周囲の探索に出かけた。