さいごのそのまえに。
本日、五度目の求婚も森の静寂の中に消えていった。
どんどこと内側から胸を打つ音、ざあざあ体中を勢いよく駆け巡る血の音。
レイルークの中身は静寂とは程遠い。
体の中のやかましいものを何とか宥めて落ち着けて、それが耳鳴りになるまて待ってから、頭を二、三ゆっくりと横に振って歩き出す。
実際は森だって静かではない。
目に見えない風を捉えた枝葉は、さわと揺れて音を立てているし、遠くからは小さな鳥が鳴き交わす高い声が聞こえている。
森の静寂、というのは前を歩くコーニエルをそのまま表したような言葉だ。
コーニエルを見て一番に惹きつけられるのは、深緑の瞳。
雪の白い肌も、月の明かりの髪も、頬も指先も。
ルークにはその全てが儚げに見えている。
濃い緑の森にひっそりと、けれど凛として咲く小さな白い花だと、その印象はずっと変わらない。
少し先を歩く後ろ姿に、知らず口元が持ち上がる。
何もなかった様にエルは前を歩いている。
まるでひとりで旅をしているように。
ついさっき求婚したばかりのルークの存在なんて無いかのように。
「さっき寄った食堂は当たりだったね。どれも美味しかった。おかみさんもいい人だったしね?」
ほらこれ、と食堂からもらった包みを持ち上げる。あまりの食べっぷりに、もっと大きくなりなよ、と気風の良い女将がパンに野菜や肉を挟んで、たくさん持たせてくれた。
おかげで夕食の準備で早くから足を止める必要も、空きっ腹を抱えて虚しく眠る心配も無くなった。
機嫌よくルークは話しているが、エルは振り返りはしないし、相槌すらない。
「隣の村まではまだ随分と歩かないといけないから、今夜も野宿だね……雨の心配はなさそうで良かった」
木々の葉の間に、細切れに見える水色の空に雲は無い。
中天を過ぎた太陽を見つけようとして、今いる場所からは難しいなと、すぐに諦めて前を向いた。
先を歩くコーニエルが空を見上げている。
返事は無くても、話は聞いている。
それだけでレイルークはぎゅうと胸を絞られて、身悶えしそうな全身に、何とか堪えろと力を込める。
「……エル。コーニエル、大好きです。俺のお嫁さんになって下さい!」
本日六度目も気持ちの良いほと無反応。
あらまたダメだったかと、顔に集まっていた熱を散らそうと両手で擦る。
そのままうるさく鳴っている心臓が、働き過ぎで壊れやしないかと心配になって、胸の表面をよしよしと撫でた。
荷がずれ落ちかかって、背負い直す。
下がりきった肩を元に戻して、胸を張って前を見る。
少し離れたエルとの距離を縮める為に足を早めた。
歩くたびにぶつかり合う金具の小さな音。
少し食い込むような腰のベルトを真横になるように、両手でぐいと下ろして固定させる。
ちゃりちゃりと音を立てなくなった腰の横、父親がかつて使っていた長剣を見下ろした。
レイルークは至って普通。
今まで剣を振るったこともなければ、手に取ったこともない。
心身が強いわけでもなく、ならば心身共に強くなろうとも考えない、特に鍛えもしない、どこにでもいる青年だった。
それでも両親の教えは素直に受け継いで、心には絶対に近い定めごとがある。
それがレイルークの背中を真っ直ぐにさせ、歩みを支えている。
弱き者は守ること。
女性は大切にすること。
やるべき時は立ち上がり、相手が何であろうと戦うこと。
目の前を歩いているコーニエルは、レイルークの定めごとをそのまま形にしていた。
細っそりとした長い手足はか弱く見えて、包み込んで守りたくなる。
儚げで思い耽る横顔を見ていると、大事に、大切にしたくなる。
自分の知らない部分から湧き出るような思いは、相反してふたつあった。
一方は静かで穏やかなもの。
そしてもう一方は強く激しい、衝動。
血が勢いよく流れて、体中を駆け巡って暴れ回る。
気が触れたのかと思うほど。
戦えと、耳鳴りがする。
戦えと、足元から震えが上がってくる。
倒せ、敵を。
敵を、屠れ。
自分の中の黒い血が、体を食い破って出てきそうだ。
戦わなくてはいけないのだと、その血が暴れ回っている。
コーニエルが大好きで、彼女を大切にしたくて、守りたくて。
そして、殺したい。