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支配する魔法使い  作者: 星野 葵
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#4 王に仕える者

ヒルシャはグアノから渡された包帯を捨てると、椅子に座ってほうっと息を吐いた。


(やはり、グアノ様は堅苦しい方ですね。)


国王補佐であるなら、地位は国王と同等。それにもかかわらず、グアノはいつもやけに丁寧な言葉で話すのだ。それ自体は別に悪いことではないのだが、その言動に違和感を覚えているのは、ヒルシャだけではないだろう。


(やはり出身を気にしておられるのでしょうか?)


この城で働く者は、それなりに身分の高い貴族出身の者ばかりだ。ヒルシャだってそれは変わらないし、逆に貴族でなかったら医師になるための勉強などさせてもらえない。


王族、貴族、平民、そして貧民。この国の民はそういった身分にはっきりと分けられ、していいことといけないことが決まっている。それは暗黙の了解になっていて、そのことをどうこう言う人はいない。だが、だからこそ、それを破った人間には風当たりが強くなる。グアノは自分の出身と身分の差に苦しんでいるのだろう。


さらに悪いことには、グアノには生まれ持った病がある。検査の結果、人に感染することはないと確認されたが、そういった病に馴染みのない貴族たちからすれば、穢らわしいものに見えるのは仕方ない。国王補佐たる人間には、病気持ちの貧民よりも自分の方がよほどふさわしいと考える貴族は多いだろう。


(だからこそ、陛下は隠しておられる。グアノ様が貧困層の生まれであることも、あの仮面の下に病に侵された皮膚があることも。)


そう思って、思い出す。あの、一回り大きくなったグアノの仮面。わずかな差ではあるが、仮面が少しずつ大きくなっていることに誰かが気づけば、グアノの病が知られてしまうのは時間の問題だ。どうすればいいのか分からず、ヒルシャは顔を両手で覆った。


ヒルシャは落ち込んでいたのだ。グアノはなかなか若いが、それでも顔の半分ほどを病に侵されている。治す方法が分からない以上、いつかは顔全体に広がってしまうのかもしれない。


(本当に熱心に陛下に仕えておられるのに、病気のせいでその地位を降ろされることになれば、どれほどお辛いでしょうか。)


ヒルシャは目を閉じて病の状態を思い出した。グアノは包帯を外してすぐ仮面をつけたが、ヒルシャはその一瞬でグアノの病の様子を見ていた。本人はそう扱われることを嫌がるが、見ていて痛々しく、不憫でならない。


(なんとか治す方法があれはいいのですけれど…。)


今のところ、あの病を治す方法は見つかっていない。そもそも、あんな病は見たことがない。貧困街では、あのような病はあるのかもしれないが、少なくとも平民、貴族の住む各区域と王城の中では見たことがなかった。グアノを初めて見た時、病を特定しようと文献を読みあさってみたが、それらしい病は載っていなかった。それでもなんとか進行を抑えることができたのは、それこそ奇跡とも言える偶然の産物なのだ。


(もし…もしもグアノ様が地位を降りることになれば、グアノ様はどうなるのでしょうか。)


考えてはいけないことと分かっていたが、ヒルシャは考えずにはいられなかった。貧困層の生まれでありながら、幼い頃から王城で働いて育ったグアノは、貧困街での生き方など、とうに忘れてしまっているだろう。かといって、王城に留まることを許されるはずがない。グアノはどうするのだろう。


(ああ、そういえば。)


兵士なら、身分に関係なく王城に出入りすることが許されている。さすがに貧困層の人間は少ないが、それでもいないわけではないし、腕が立つなら上級兵として一つの隊を任されることもあるという。


(行くとしたら、そこしかありませんか…。)


国王補佐という立場は護衛も兼ねているので、グアノはそれなりに魔法の腕はあるはずだ。それならば、もしものことがあっても大丈夫なのかもしれない。


(ですけど…やはりグアノ様を補佐の地位から降ろしたくはありませんね。陛下に対する忠誠心は人一倍におありですし、陛下もグアノ様を信頼しておられるでしょうから。)


「すいません。誰かいませんか。」


突然扉の向こうから声が聞こえて、ヒルシャは物思いから覚めた。


「はい。どうされました?」

「稽古の途中で怪我をしてしまいまして。手当をお願いしたいのですが。」


ヒルシャは慌てて立ち上がり、扉を開けた。そこには兵士と思われる服を着た男が二人立っていた。一人は腕に傷があるのか布が巻かれており、もう一人は付き添いのようだった。


「どうぞ中へ。」


ヒルシャは二人を治療室の中へ入れると椅子に座らせ、布を取って男の傷をよく見た。手首から肘にかけてすっぱりと肉が切れている。二の腕に紐がきつく結んであるところを見ると、簡単な止血はしたようだったが、それでもかなり血が出たようだった。


「これは、剣でできた傷ですか。」

「はい。」


ヒルシャは確認した。この国の兵士は、大半が魔導師だったが、魔法だけでなく、剣術の稽古も行う。本来ならば鎧を着て稽古をすることが多いらしいが、魔法の中には鎧で防げないものもあるので、動きやすさを重視して鎧を着ないこともあるらしい。その時にできたのだろう。ヒルシャは傷に手をかざして唱えた。


瞬間回復魔法アレム・ミクラス。」


魔力が柔らかな光となって傷を包み込む。すると、みるみるうちに傷が塞がっていった。


「これでしばらくは大丈夫でしょう。でも、また傷が開くこともありますので、あまり無理はしないでくださいね。」

「あの、私の傷も見ていただきたいのですが。」


そう言ってもう一人が手のひらを見せてきた。てっきり付き添いかと思っていたが、この人もどこか怪我をしていたらしい。しかし、彼の手のひらを見て、ヒルシャは驚いてしまった。


男の手のひらは、真っ赤に腫れ上がっていたのだ。おそらく、火炎魔法か熱魔法を受けて火傷したのだろう。


「まあ、大変!気づきませんでした。ごめんなさい。」


そう言いながら、ヒルシャは氷を用意し、水を通しにくい布で包んで男のところへ持ってきた。急いで冷やさなければ水ぶくれができてしまう。ヒルシャは男に冷やすのを任せ、棚から包帯を取りながら、なんで他の医師は誰も来てくれないのだろう、と半ばイライラしながら思っていた。


ーーーーーー


グアノは玉座の間の前に着くと、軽く扉を叩いてから中に入った。


「失礼いたします。」


中はいつも通りがらんとしている。リガルは弟のツァダルと一緒にいた。グアノはリガルの前へと進む。


「グアノ。もういいのか?」

「はい。問題ありません。今後、このような失態は二度と…。」

「それは気にするなと言っただろう。…ともかく、そなたが無事で良かった。」


グアノは何も言うことができず黙った。


「ちょうどいい。話があるのだ。ツァダル、部屋を開けてくれるか。」

「分かりました。それでは、後ほど。」


ツァダルはグアノに視線を移し、少しだけ微笑むと、玉座の間から出て行った。その笑みが『それほど緊張する必要はない』という意味であることは分かっている。だが、やはりグアノには他の貴族のように振る舞うことにはまだ抵抗があるのだった。


「…グアノ。これから言うことは、決して口外してはならない。そなたを信頼して話をしようと思う。」


リガルはいつになく険しい表情でそう言った。グアノもそれを見て真剣な顔つきになる。


「私は…いずれ私ではなくなる。」


その言葉を聞いた瞬間、グアノは胸が凍りつくような恐怖を感じた。意味は分からなかったが、それは何か恐ろしいことを意味しているような気がしたのだ。


「…それは、どういう意味ですか。」

「そのままの意味だ。私はやがて、今の私とは違う別の人格を持った人間に変わってしまうかもしれないのだ。」


そう答えた後、リガルは視線を少し下に向け、付け加えるように言った。


「いや、ほぼ確実に、私は変わってしまうだろう。そうなってしまえば私は…残酷な王へと変わり果てる。」

「そんなっ…!」


グアノは何を言えばいいのかさえ分からず、必死に頭の中で言葉を探した。


「なぜ…?陛下は、そのような方ではありません!そんなこと…。」


グアノはなんとか言葉をつなげていた。だが、その勢いも次第に弱くなっていく。


「そんなことに…なる、はずが……ありません。」


最後の言葉はあまりに弱々しく、自分でも聞いていられないほどだった。


「…すまない。いきなりこんな話をしたところで、そなたが動揺してしまうだけだということは、分かっていた。だが、時間をかけてでも、受け入れてほしい。…これは事実なのだ。」


グアノは呆然としてしばらく黙ったままだった。


(陛下が残酷な王へと変わる…?あの時、私を救ってくださった心優しい陛下が?なぜ?なぜ…。)


「…ツァダル殿下を部屋から出して話をしたということは、殿下はまだ、ご存知ではないのですね。」


呆然としながらもグアノは尋ねる。


「ああ。」

「その変化の、原因は分かっておられますか?」

「いや…おそらくは、魔力のせいなのだろうと見当はついているが、確かなことは何もない。」

「魔力、ですか。」

「そうだ。セクエをこの国に呼んだのは、それを確かめるためだった。この国には、私と同等以上の魔力を持つ者はいないからな。」

「そうですか…。そのために、彼女を…。」


自分の声が、やけに遠くから聞こえる気がする。その事実は、グアノにはあまりにも重すぎたのだ。


「…グアノ?グアノ。」


そういってリガルはグアノの肩を掴む。グアノはハッとして王を見た。その目に不安げな色が宿っているのがかろうじて分かった。


「大丈夫か?確かに信じられないような事態とはいえ、顔色が悪いぞ?まだ体調が優れないのではないか?」


グアノは唾を飲み込んだ。


(陛下の方がよほど不安を感じておられるだろう。ここは私もしっかりしなければ…!)


「いえ、なんでもありません。今、私に何かできることは?」

「いや、とりあえずは無い。」

「…分かりました。では、私は外におりますので、何かあればお呼びください。すぐに参りますので。」

「そうか、分かった。」


グアノは玉座の間を後にする。訓練のため、兵士たちが普段よく使う修練場まで行こうと思ったが、一つ思いついて自室へと戻った。


ーーーーーー


「えぇ!セクエさんて、大会で優勝したことあるんですか?」


セクエがシェムトネでの話をしていると、聞いていたうちの一人がそんな声を上げた。


「うわあ、羨ましいなー!僕なんて魔法なんかさっぱりで、唯一の取り柄である剣の腕だって大したことなくて、いつまでも下っ端ですよ?」


セクエは今、魔導国にはいなかった。国王がつけてくれた護衛の兵たちとともにシェムトネへ向かっているのだ。そして今は休憩中。地面に腰を下ろし、たわいもない会話に花を咲かせていた。


「こらこら、そんな呑気なこと言うなよ。使えないお前から見れば、魔法ってのはすごいかもしれないが、使ってみると色々と面倒なんだぞ?制御とか、出力とかさ…。」

「分かってないですねー。出来るっていうこと自体がが羨ましいんですよー。自分が魔法を使えなかったら、って考えたことあります?」


兵の一人がそう答えると、話していた相手が渋い顔をする。それを見てみんなが笑った。


「別にそんなにすごいことじゃないですよ。小さな村でのことですし、参加者も少なかったんですから。」


セクエはそう答える。兵たちは外の国のことを想像して楽しげに聞いていた。兵という立場であっても、国の外に出ることはあまりないらしい。


「さーて。そろそろ出発だ。話はまた後。今日中に海まで着かないとまずいぞ。」


一人が声をかける。兵たちは立ち上がった。


「副隊長はつれないなぁ。」


一人がボソッと呟く。


「こら、誰だ今の?俺のことは隊長と呼べって言ってるだろ?」

「はははっ、怒るところはそこじゃないでしょう、隊長。」


兵たちの中で再び笑いが起こる。副隊長と呼ばれた男はセクエに近づき、声をかけた。


「さあ、行きましょう。」


セクエも立ち上がり、再び進み始めた。


ーーーーーー


「そろそろ旅にも慣れてきましたか、セクエさん。」


隊長が声をかけてきた。


「敬語はやめてください、タンザさん。それに、慣れるといっても、この移動方法じゃあ、それほど疲れることもないです。」

「そうですか、それもそうですね。」


セクエたちは馬車に乗って移動していた。兵士が七、八人乗っている上に、旅の間の食料なども一緒に乗せられているので、馬車はそれなりに大きなものが使われていた。といっても簡単な造りで、上が布で覆われていて屋根の代わりになっているので馬車といっているが、実際は荷車のようなものだ。


「だから敬語はやめてくださいって。」

「いや、しかし、何かある方なのでしょう?陛下が直接村までお送りせよと言うくらいなのですから。」

「極論を言えば、この世界に何もない人間なんていないでしょう。」

「ははっ。なるほど。それも確かにその通りだ。じゃあ、敬語はやめにしましょうか。」


国を出てから、三日は経つだろうか。セクエはいまだに兵士たちの様子に戸惑っている。たしか、第四番警備部隊といったか。名前の通り、国境の警備に当たっているらしい。といっても、国境警備は交代制で、四番隊は非番だったからこそ、こうしてセクエの護衛として国を出られるのだった。


「それにしても、四番隊の皆さんって、仲がいいんですね。まるで家族みたいです。」

「ああ、それはよく言われる。だけど、別に意識してこうなったわけじゃない。兵士だからって上下関係に縛られるのは窮屈だって、みんなが思っているからな。自然とこうなったんだ。他の部隊からは、よく緊張感がないって言われるけどな。」


そう言って、タンザはまた笑った。よく笑う人だ。だが、そのおかげで何もないのに楽しい気分になってくる。


「ああ、そういえば、陛下にお会いしたなら、グアノ様にもお会いになったかい?」

「グアノさん、ですか?…さあ、会っていないと思いますよ。」

「おいおい、ここでならまだ許されるが、城の中じゃその呼び方をしちゃいけないな。なんてったって彼は国王補佐をしておられる方だからな。」

「国王補佐、ですか。」


そんな話をしていると、馬の手綱を取っていた兵が振り向いて言った。


「おお。副隊長、また自慢ですか?」

「だから、副隊長って呼ぶな。隊長は国に残っているんだから、今は俺が隊長なんだよ。それから、手綱を握る時は馬から目を離すな。いつも言ってるだろう。」


セクエは首をかしげる。


「自慢って、どういうことですか?」


兵は再び馬に視線を戻し、言った。


「副隊長…もとい隊長は、見習いの時期にグアノ様と手合わせしたことがあるんですよ。それを事あるごとに自慢してくるもんですから、こっちとしては耳にタコができそうで。」


その口調は少し嫌みっぽい。セクエは面白そうに思ったので話をせがんだ。


「聞かせてくださいよ、タンザさん。」

「まあ、手合わせっていうか、同じ兵士見習いとして、当時の隊長から稽古を付けてもらっていただけなんだけどな。」


と、前置きをしてタンザは話し始める。


「まさかあの体の細い少年があそこまで上り詰めるとは、誰も思わなかった。俺だって、いつか彼と一緒に兵士になるんだって思ってたからな。」


タンザは昔を懐かしむように続ける。


「彼は魔法も上手いし、剣術の稽古にも励んでいた。あそこまで本気でやるってことは、きっと平民出身なんだと思う。貴族だったら、傷だらけになる兵士の訓練なんて耐えられないだろうから。…よく二人で傷だらけになりながら稽古をしたものさ。俺は魔法はできるが、剣術はからっきしだからなぁ。剣も魔法も扱える彼に憧れていた。それでも、まだ若い王子であられた陛下の側近として選ばれるとは、予想もできなかったよ。そして陛下が王位に立つ頃には、彼も一緒に補佐の地位まで上がったんだ。」


ここでふと、タンザは眉を寄せて考え込んだ。


「でも、それほど高い地位にまで行けたということは、やっぱり貴族の出身だったのか?」

「分かっていないんですか?」

「ああ。彼は兵士用の宿舎で寝泊まりしていたし、自分の出身や家族については何も話さなかったからな。まあ、宿舎を使っている人は多いし、何か事情があるんだろうから、無理に聞き出そうとは思わなかったんだ。」


セクエはそのグアノという男について考えてみた。陛下の側で働いているということは、自分をこの国に連れてきたのは彼なのだろうか。


「その人は、どんな人なんです?」


セクエは尋ねる。


「そうだな、彼は訓練の時以外でも、いつも額当てをつけていた。傷跡があるらしくて、それを見せたくないと言っていたな。それから、性格の方は…簡単にいうと、俺と正反対の性格だった。俺は、身分やら役職やらに縛られた上下関係っていうのが嫌いなんだが、彼はむしろ、それを忠実に守っている。誰に対してもへりくだった態度をとるもんだから、正直付き合いにくい性格だとは思ってた。そういうところから見ると、彼はやっぱり貴族らしくないな…。」


タンザはそう言ってまた考え込む様子を見せたが、すぐにまた話し出した。


「まあでも、彼はいい人だ。それは間違いない。少し堅苦しい以外は、細かいところまでよく目が届くし、先輩からの言いつけもちゃんと守る。向上心に溢れているし、まあ、俺なんかが相手していたのが恥ずかしくなるような立派なお人さ。」


自分で言っていて恥ずかしくなったのか、タンザは頭をかきながらそう言った。もしかしたら、古い思い出を懐かしんでいるのかもしれない。


「ああ、それからもう一つ。彼の特徴なんだが、使う武器のことだ。魔導国の兵士は一般的に、武器として片手剣を使うんだが、その他にも槍やら弓やら色々とあってな。その中で彼が最もよく使っていたのが、二刀流、つまり双剣なんだ。これは国中の兵士の中でも珍しかったな。すらりと長い二本の剣を振り回す様子なんて、それはもう、見入ってしまうほどかっこよかった…。」


ーーーーーー


グアノは自室に戻り、部屋の隅に置いてある一つの箱に手を伸ばした。その箱の中には剣が入っている。国王補佐のみに持つことを許された、特別な武器だ。


その箱は真っ白な石で作られており、継ぎ目がない。鍵もついておらず、一見するとただの四角い石の塊である。


手が箱に触れる。ひんやりとした石の冷たさに触れるたび、グアノは自分の立場を改めて理解する。もし正直に言うことができるのならば、グアノは決して今の地位に立ちたくはなかった。命の恩のある国王に一生仕えていくと決めたものの、自分ごときがこのような地位に立つべきではないと思っていたのだ。


(今の私に…一体何ができるというのだろう。)


未熟で、国王の隣に立つことにさえ、いまだ慣れない自分に、一体どれほどのことができるというのか。どれほど王の力になれるというのだろうか。


(いや、違う…。陛下のお力になってはいけないのか。)


もし王が本当に残酷な王へと変わってしまうのであれば、自分は王を止めなければならない。どのような形であれ、自分は王と戦い、そして勝たなければならないのだろう。


(本来国王を守るために作られたこの武器で、陛下を切らなければならないのか…?)


国王補佐の立場でありながら、恩を感じている身でありながら、国王を倒さなければならないのだろうか。


不意に、石の箱に一筋の切れ目が現れた。その切れ目が開け口となり、箱がひとりでにゆっくりと開く。


グアノの魔力に反応して、自動的に開く仕組みになっているのだ。かなり昔に作られた魔道具らしい。こうした箱に入れておくことで、盗難を防いでいるのだ。


中に入っているのは二本の剣。グアノが使いやすい武器に形を合わせてあるのだ。一代前はこれが槍だったというし、その前は両手で持つような大剣だったという。いくつも種類があるのか、それとも一つの武器が自在に形を変えるのか、それは分からないが、とにかくこの武器が、国王補佐のために作られたという武器である。


グアノはそれを手に取る。箱と同じような白い材質でできたこの剣は軽く、持ち運びに困らない。その上かなり丈夫で、過去に破損したという記録は残っていない。グアノはそれを両腰から下げると、箱の蓋を閉め、修練場へと向かった。


この城には兵士用の修練場が三つある。修練場と言っても、ただ兵士が稽古するための広場のようなものであって、屋根もなければ壁もない。そのうち二つは兵士用の宿舎のそばにあって隣り合っており、多くの兵が利用している。だが、もう一つは宿舎とは少し離れた位置にある。修練場と言うのも名ばかりで、広いだけのただの空き地だ。草がぼうぼうに生え、ここで稽古をする兵はまずいないと言っていい。


グアノはまずそこへ向かった。体がなまっているはずなので、他の兵の邪魔になってしまうだろうという考えがあってのことだった。


膝ほどもある長い草をかき分けるようにして空き地の中央へ行く。そして剣を抜いた。


まっすぐで、やや細い剣だ。柄から剣先まで真っ白で、金属のような光沢はない。刀身には波紋か植物の蔓を模したような模様がびっしりと刻まれていた。


グアノはその剣を小さく振った。重さや手触りを確かめていくうちに、段々と感覚が戻ってくる。次第に動作も大きくなり、グアノはまるで踊るようにして一人で稽古を続けた。


ー双剣を扱う際は、二本の剣で同時に攻撃してはいけない。双剣は攻撃に徹している分、隙ができやすいからだ。片方で切りつけている間は、もう片方で自分の身を守れ。ー


かつてグアノに剣術を教えた隊長はそう言っていた。双剣の扱い方を熟知している兵は少なかったため、グアノはほとんどその人の指導しか受けていない。今はもう兵を引退しているので、おそらく二度と会うことはないだろう。


不意に背後から魔力を感じた。かなり速い。グアノは振り向きざまにその魔力を切りつけた。それは水魔法だったが、切りつけた瞬間、その魔法は刃に吸い込まれるようにかき消えた。刀身に刻まれた模様が青く染まる。


続けて、グアノは魔法が飛んできた方向に向かって剣を勢いよく振り下ろした。刀身から水の刃が放たれ、伸びっぱなしの草を直線状になぎ払う。


この武器は魔道具なのだ。魔法を切ることでその魔法の力を吸収し、水ならば水、風ならば風、といった具合に、同じような魔法を一度だけ使うことができる。


飛んでいった水の刃は、どうやら相手には当たらなかったようで、途中で他の魔法によって打ち消されて消滅した。


「相変わらず素晴らしい反応ですね。グアノ様。」


消え去った魔法の後ろ側から現れた人影はそう言った。その姿を見て、グアノはようやく警戒心を解き、剣を鞘にしまう。その時には刀身の模様の色は元の黒に戻っていた。


「あなたは…第八番突撃部隊長の、シグル様。」

「おや、驚きました。まさか私の名前と顔を覚えていらっしゃるとは。」

「この国の平和があるのは、あなた方兵士の活躍があってのことですから。各部隊の隊長と副隊長は一通り頭に入れているつもりです。」

「それもまた驚きですけれど。」


魔導国には、警備部隊と突撃部隊がそれぞれ十番隊まである。その隊長と副隊長を全て覚えるとなれば、合計で四十人。驚かれてもおかしくない数字だった。


シグルはグアノに近づいてくる。シグルは数多くいる兵の中では数少ない女性である。その上隊長を任されているのだから、その実力は語るまでもない。彼女は魔法を基本とした戦闘が得意で、彼女の部隊にも魔法を得意とする兵が多かった。


そんな彼女を見ながら、グアノは頭を下げる。


「先ほどは申し訳ありません。体がとっさに動いてしまいました。」

「いえいえ、気にすることではございませんよ。いきなり手を出したこちらが失礼なのですから。むしろ、とっさであれだけ動けるのなら、尊敬してしまうほどです。」


グアノは顔を上げる。


「何かご用でしょうか。」

「いえ、用というほどのことではありません。ただ、しばらくお見かけしていなかったので、少し様子を見たかったことと、それから、一つ頼みが。」

「何でしょうか。」

「今修練場にいる兵士たちと、手合わせをしていただきたいのです。」


その言葉の意図が読めず、グアノは眉を寄せる。別に嫌なわけではないのだが、わざわざ隊長から頼まれるのは不自然に思えたのだ。シグルは続けた。


「ご存知の通り、警備部隊と違って突撃部隊は、国境が侵された場合や災害時など、緊急時にしか仕事がありません。もちろん、皆兵士であることに誇りを持っておりますが、それでも仕事がなければ意欲が下がってしまうのも仕方のないことでしょう。」


そこまで聞いて、グアノは納得する。


「なるほど、つまり、たまには兵士以外の者と手合わせをすることで、意欲を高めようということですか。」

「はい。」

「私でよろしいのですか?私は兵士とは違いますので、手合わせした兵の改善点を見つけることはできませんよ?」

「それで良いのです。兵以外の者と手合わせすることに意味があるのですから。もちろん、お忙しいならば無理にとは言いません。お時間は大丈夫でしょうか?」

「ええ、問題ありません。」

「それでは、行きましょうか。」


グアノはシグルとともに空き地を後にした。修練場に着くと、思いの外多くの兵士が稽古をしている。


「ここにいるのは、八番隊だけではありませんね。」

「はい。三番突撃隊の兵士たちも混じっています。隊長から許可を得ておりますのでご心配なく。」


シグルはそれだけ言って、グアノを三番隊長のところへ連れて行く。


「これはこれは、グアノ様。」


三番隊長はグアノに会うとすぐにうやうやしく頭を下げた。


「ムシテル様。お久しぶりです。」


グアノも軽く一礼する。ムシテルは屈強な男性で、シグルとは反対に剣術を得意とする。彼ほど剣術を重点的に鍛える兵士は珍しかったが、そもそもムシテルは剣使いで、魔法を使うことができないのだった。そのためか彼の部隊にも剣術を得意とする兵が多い。三番隊と八番隊はその隊員の傾向から、一緒に活動することが多かった。


「これは一体どういうことですかな?シグル殿。」

「グアノ様に、稽古の手伝いをしていただこうと思いましてね。時間はおありのようですし、これならば兵たちの意欲も高まるでしょう。」

「なるほど、そういうことでしたか。いやはや、女性は細かい所に目が届くと言いますが、全くその通りですな。我ら男とは見る目が違う。」


はっはっは、とムシテルは笑う。


「そんな、とんでもない。」


シグルは謙遜してそんなことを言ったが、そう言ってもらえたことを喜んでいるように見えた。隊長を任されてはいるものの、女性ということで引け目を感じることも多いのだろう。


「それでは、まずどうしましょうか。私と手合わせを希望する兵を募りますか?」

「いや、それでは人が多くなりすぎるでしょう。何か一回手を打ってから…。」

「それならば、まずグアノ様とシグル殿と私の三人で手合わせするというのはどうですかな。その様子を兵に見せ、それを見た後でまだ手合わせを願う者がいれば、その者と手合わせしていただくということで。」


グアノは苦笑する。


「さすがにそれはどうかと。私はお二人を相手取ることができるほど強くはありませんよ。ましてや、他の兵がおじけづくほどの戦いなど、できるかどうか…。」

「まあ、そうおっしゃらずに。おこがましいことではありますが、これもグアノ様の稽古の一つということで、受け入れてくださいませんかな?」

「そうですか…。」


グアノには自信がなかった。相手は一つの部隊を任されている一流の兵士だ。それを二人も相手にするとなれば、不安になるのも仕方ない。


(しかし…自分の立場上、複数人の相手と戦うこともよくあること。これも一種の稽古とするならば、むしろ願っても無い機会かもしれない…。)


「分かりました。ではまず、お二人と手合わせ願いましょう。」

「ありがとうございます。それでは、我らは兵たちに声をかけてきますので、それまでご準備を。」

「はい。」


兵に声をかけに行く二人の背を見ながら、グアノは一つ深呼吸をした。


(久しぶりの稽古でまさかお二人を相手することになろうとは…。せめてみっともない戦いだけはしないようにしなければならないな。)


ムシテルは三人で手合わせするとしか言わなかったが、実際は一対一対一ではなく、二対一の手合わせになるだろう。その場合、もちろん一人になるのはグアノである。自分の力を評価してもらえるのは嬉しいことであり、また誇らしくもあるのだが、少し買いかぶっているように思う。


(まあ、今は手合わせに集中するのみ、だな。)


たとえ稽古といえど、他のことを考えていてはうまくいかない。二人のためにも、全力を出して挑まなければ。


「グアノ様、もうよろしいですか。」


兵の一人が近づいて声をかけてきた。おそらくはシグルかムシテルに声をかけるように言われたのだろう。


「ええ。では行きましょうか。」


グアノは修練場の中央へ向かう。そこにはすでに二人がいて、グアノを待ち構えるように立っていた。グアノはその二人に向かい合う位置に立ち、周囲を確認した。先ほどまで稽古していた他の兵の姿はなく、安全なところで三人の手合わせの様子を見学している。十分に距離をとっているので、狙いの外れた魔法などが当たる心配はないだろう。


グアノは二人の顔を正面から見据えた。シグルが魔力を集中させ、ムシテルが剣を抜く。それを見てグアノも剣を抜いた。いつでも魔法が打てるように全身に魔力を集中させる。


「それでは、始めっ!」


審判となる兵のその声を合図として、手合わせの稽古が始まった。その瞬間、辺りの空気が変わった。


ーーーーーー


グアノを見送った後、リガルは再び部屋に戻ってきたツァダルとの話を続けていた。その内容は、いずれは決めなければならない王族の婚姻相手のことや、近頃の貧困街の様子の確認など事務的なものから、最近の兵や召使いたちの様子などのとりとめのない話まで様々なことを話した。リガルにとっては弟とこうして会話することは、内容はどうあれとても楽しく、気の休まるものだった。


「ん?」


話の途中で、リガルは不意に顔をしかめた。


「どうなさいました、兄上?」

「いや、少し外が騒がしいと思ってな。」


リガルは玉座の間の北側の窓に目を向けた。それは玉座から左側にあり、その窓からは兵の修練場の様子がよく見えた。その方向から、魔力がぶつかり合う気配を感じたのだ。


「いつになく激しいな…。まあ、様子を見れば分かることだ。」


そう言ってリガルは窓に寄り、ガラス戸を開けてバルコニーへ出た。玉座の間には入り口以外の三方向にバルコニーがあり、そこから外の様子をいつでも見ることができる。


手すりのすぐそばまで寄り、修練場を上から覗くようにして眺める。気配がどこからきているかはすぐに分かった。


「なるほど、そういうことだったか。」

「兄上、あれは…?」


ツァダルは驚いた様子でリガルに確認する。


「驚いたか?グアノはああ見えてかなり腕が立つのだ。」


修練場ではグアノと二人の兵士が激しく戦い合っていた。目を凝らして見る限りでは、二人の兵士は隊長だと思われる。一人は剣を用いて接近戦でグアノの動きを止め、もう一人は浮遊魔法で浮かんで上から魔法でグアノを攻撃する。なかなかうまくできた戦い方だ。対してグアノは二本の剣をうまく操って戦う。振り下ろされる剣を受け止めつつ、放たれる魔法も体に触れさせることなく的確に切っていた。しかし、二人を両方視界に捉えて行動することはなかなかできないらしく、なかなか攻撃に移れない。グアノは相手の狙いを逸らすためか、はたまた攻撃の隙を見つけるためか、修練場の広さを一杯に使って逃げ回るように動き回っていた。


ツァダルは驚きに目を開き、小さく口を開けていた。リガルとしてはその様子に思わず笑ってしまう。


だがツァダルがこうなってしまうのも無理はない。ツァダルはグアノの戦う様子をあまり見たことはなかったはずだ。普段は自分のそばに控えているだけのおとなしい性格の彼に、ここまでの戦闘ができるとは思えないのだろう。


「まさか…彼にこれほどのことができるとは…。」


今は、そのグアノの姿が頼もしく見えた。思わず笑みが浮かぶ。そしてツァダルを振り返らずに言った。


「さて、私たちも行こうか。」

「行く?どこへですか。」

「決まっているだろう。もう少しそばで観戦しようと言っているのだ。」


そう言うと、リガルはふわりと浮き上がる。手すりを超え、ツァダルを振り返ると、ツァダルは困惑した表情で兄を見上げていた。そんな弟に向けてリガルは手を伸ばす。


「どうした?浮遊魔法は使えるだろう。」

「いえ、そういう問題ではなく…。窓から直接外に降りてはならないと幼い頃より教えられてきたでしょう。ここから降りずとも、出口を使って出ればいいではありませんか。」

「そう硬いことを言うな。徒歩で向かったのでは間に合わない。急がなければ終わってしまうだろう。」

「そうでしょうか…。」


ツァダルはちらりと修練場に目をやる。戦いはまだ続いていた。


「まだ終わりはしないでしょう。二人は確かに腕の立つ兵士ですが、グアノもまだ持ちこたえられると思いますよ?」

「いや、もうすぐ終わる。」

「やけに確信を持っていますね。何か根拠でも?」


リガルは修練場の方を振り返り、その様子を見下ろしながら答えた。


「先程から使われている魔法は、どれもなかなかに魔力を消費するものばかりだ。今はまだなんともないだろうが、魔力が尽きるのも時間の問題。グアノはそうなる前にこの試合を終わらせようとするだろう。」

「グアノが、ですか?」

「グアノが、だ。」


リガルはグアノに視線をやる。


(グアノの魔力ももうじき限界だろう。グアノがどうやって終わらせるのか、それをもう少し近くで見たいものだな。)


リガルはバルコニーに留まるツァダルを置いてゆっくりと降下していった。


「ああっ、兄上!…もう、仕方ありませんね。」


ツァダルが慌ててリガルの後を追う。リガルは先に地面に着地し、ツァダルがそれに続く。


「もうこれきりにしてくださいよ、兄上。どこで誰が見ているか…。」

「誰が見ていようと構わないだろう。客人を置いて部屋を出たのならともかく、ただ近い道を使っただけなのだから。」

「それはその通りですが、皆が同じように考えるわけではないのですよ。兄上も分かっておられるでしょう?」

「ああ、分かっている。まったく、国王ももう少し自由に振る舞いたいものだな。」


着地した所は、修練場からはかなり近く、戦う三人の姿がよく見えた。リガルはそこから他の兵たちには気づかれない程度にさらに近づく。


三人とも息切れしていて、もうあまり余裕がないことを思わせた。シグルは魔力が、ムシテルは体力が尽きかけていたし、グアノはその両方に限界を感じている頃だろう。グアノの剣の模様は黒のままで、今は何の魔法の力も使えないようだった。


ムシテルが再びグアノに剣を振り下ろす。グアノはそれを両方の剣で受け止める。先程までのグアノなら、すぐに後ろに飛び退いて距離をとっただろう。しかし今回はそうしなかった。


グアノは剣を受け止めた勢いでそのままムシテルを押し返し、自分も後ろへ下がって大きく距離をとったのだ。いつになく距離が開いたため、三人の動きがしばらく止まった。無理に動いて隙を作りたくないのだ。


真っ先に動いたのは、やはりグアノだった。グアノは相手が動かないことを見てとると、右手に持っていた剣を鞘に戻した。


「おや、どういうつもりですかな、グアノ様。まさか、降参ということでしょうか?」


ムシテルはやや息を切らしながら言う。


「降参?まさか。そんなことをする気は…。」


グアノは空いた片手に魔力を集中させる。


「毛頭ありませんっ!迂回する魔弾ルシカ・ファルーム!」


そう唱え、グアノは魔法の球をムシテルに投げつけた。魔力の塊がまっすぐにムシテルに向かう。しかし、魔法はムシテルの正面で突然曲がり、ぐるぐると複雑な軌道を描いてムシテルの周りを飛び回った。


ルシカの呪文は他の魔法とは違い、魔法がまっすぐに対象へ飛んで行かない。あちこちを飛び回り、相手を翻弄するのだ。さらにファルームの呪文を加えてあるため、魔法そのものに相当な速度もある。相手を惑わす際によく使われる組み合わせだった。


(しかし、これではまだ駄目だ。)


兵士としての修練を積んでいるムシテルは、この呪文の魔法がどのようなものになるか分かっているはずだ。どんな魔法か知られているならば、相手を翻弄することなどできない。むしろ予測され、避けられる可能性の方が高いだろう。


(そうと分かっているなら、なぜこんなことを…。何をする気だ、グアノ?)


グアノは自分の放った魔法をじっと見つめている。魔法の一番近くにいるムシテルはもちろん、シグルも思うように動けないようだった。魔法を撃ち落そうと構えているものの、魔法の軌道が読めないのだろう。むやみに魔法を使えば魔力の無駄遣いになるし、ムシテルに当たらないとも限らない。


(しかし…この程度の時間稼ぎのためにこの魔法を使ったとは思えない。まだ何かあるはずだ。)


リガルがそんなことを考え始めた時、グアノが動いた。突然ムシテルの方へ走りだしたのだ。魔法に向けられていたムシテルの注意がグアノに逸れ、シグルがグアノに攻撃を仕掛けようと視線を向けた、その瞬間。魔法の軌道が大きく変わった。


ムシテルの周りから離れることのなかった魔法が、不意に上へ、シグルの方へと向かったのだ。ムシテルもシグルもこの魔法はムシテルに当たるものとばかり思っていたため、二人は反応することができなかった。魔法はシグルを直撃した。


グアノはそちらには目もくれず、ムシテルに駆け寄る。一方、シグルにぶつかった魔法はまだ消滅してはおらず、ぶつかった反動で今度は地面に向けて落下してくる。それはちょうどムシテルとグアノの間で、グアノは魔法の下に回り込むようにしてそれを切りつけた。瞬間、模様が灰色に変わる。


グアノは走りながらムシテルに向けて剣を振る。刀身から魔法が放たれた。しかしそれは刃のように鋭くはなく、むしろ棒のような形をしていた。


走りながらだったためか、魔法の軌道はムシテルよりわずかに右に逸れた。ムシテルは少し体を傾けてそれを避けると、グアノに向かって走りだした。二人の距離が一気に縮まる。二人の剣が再びぶつかった瞬間、ムシテルは仰向けに倒されていた。


先ほどムシテルの避けた魔法が、軌道を変えて再びムシテルにぶつかったのだ。そこは足元で、ムシテルは棒状の魔法によって見事に転ばされてしまったのだ。それもすべて予想していたであろうグアノはそれを浮遊魔法で避けていた。


「なっ…!」


ムシテルの口からそんな声が漏れたが、グアノはその隙を見逃さず、すぐさまその喉に剣を突きつけた。


場の空気が固まる。基本的に、手合わせは相手に魔法を当てるか喉元に武器を突きつければ終了になる。つまり、今回はグアノの勝ちだ。


グアノはゆっくりとムシテルから離れ、剣を鞘にしまった。


「いや。さすがですな、グアノ様。」


ムシテルは体を起こしてそう言った。上からシグルも降りてきて、グアノに頭を下げる。グアノはその二人に対して深々と頭を下げた。


「…ツァダル。」


その様子を見ていたリガルは、そう弟に声をかける。


「何でしょうか。」

「私たちは…良い補佐を持ったな。私には、いささか不釣り合いであるほどの。」

「それならば、これから釣り合って行けばいいのですよ。その結果、たとえ釣り合えずとも、そう思い、行動することが大切なのです。そうでしょう?」

「…ああ。その通りだな。」


リガルは少し暗い表情でその声を聞いていた。自分に、そんな未来は来るのだろうか。もし来ないのならば、せめてツァダルには、そんな未来を与えてやりたいものだ。


リガルはそんな思いを振り払うように手を叩いた。パチ、パチ、パチという音はやけに静かになった修練場の中で異様なほどよく響いた。兵士たちの視線がリガルに集まる。


「へ、陛下!」

「リガル陛下!」


思わず、と言った様子でそう言う者もいれば、何も言わずに黙って跪く者もいた。先ほどまで戦っていた三人もリガルの姿を見たとたんに跪く。


「陛下…!いらっしゃったのですか。」

「ああ。盗み見するようで申し訳ないな。だが、いい戦いを見させてもらった。これほどの戦いができる兵士が我が国にいるということを、私は国王として誇りに思おう。」

「そんな。身に余るお言葉です。」


リガルは辺りを見る。見えるのは跪く兵士の頭頂部ばかりだ。


「すまないな。稽古の邪魔をするつもりではなかったのだ。どうか私のことは気にせず続けてほしい。それから、グアノ。少しいいか。」

「はい。」


グアノはそう答えると、立ち上がってリガルに寄った。


「兄上、私はそろそろ用事が。」


ツァダルが少し申し訳なさそうに言う。


「そうか。付き合わせて悪かったな。行ってくれ。」

「はい。では失礼します。」


ツァダルはグアノとリガルに軽く礼をして立ち去った。修練場に目をやると、他の兵士たちは立ち上がって再び稽古を始めたが、まだ緊張している様子だったので、修練場から少し距離を置く。


「何でしょうか、陛下。」


グアノは息を切らしながら言う。


「いや、特に用があるわけではないのだ。ただ、いい試合だったと思ってな。久しぶりにいいものを見せてもらった。」

「そんな…私は…。」


グアノは暗い顔で呟いた。


「どうした?」

「私は…無力です。」


聞き取れないほど小さな声だった。こんな弱気なグアノは見たことがない。いつも謙遜した態度をとってはいるものの、ここまで深刻に悩む様子を見せたのは初めてのことだった。


「何を言う?そなたは先程、素晴らしい戦いを見せてくれたではないか。そなたは弱くなどない。」

「しかし…私は…!」


グアノはうつむき、手を握りしめていた。


「私は…陛下のために、何をすべきかさえ分からない。あの話を聞いて以来、自分に何ができるか全く見当がつかず…お力になれる自信もなく…。」


グアノは小さく唇を噛んでいた。今にも泣き出しそうな表情、いや、もう泣いているのかもしれない。それが仮面で隠されているというだけで。


「私は、自分の弱さではなく…自分の無力さが…どうしようもなく、憎らしいのです…。」

「…グアノ。そんな顔をするな。」


グアノは取り乱さないようにしていたが、声音と、見えている下半分の表情を見れば、彼が何を思っているのかはだいたい想像がついた。リガルはそれほど長い間グアノを見てきたのだ。


「また…私は言い忘れをしてしまったようだな。」


リガルは軽くため息をつく。自分はどうも必要なことを言い忘れる悪い癖があるらしい。そしてグアノは少し思い込みの強い性格をしている。やはり、彼と自分とではあまりに不釣り合いだ。


「グアノ。私は決して、そなたに全てを解決してもらいたいわけではない。」


リガルはグアノを正面から見つめながら言った。そのグアノは俯いているので、目が合っているわけではなかったが。


「そなたが事情を知っているだけで、どれほど心が楽になったか…。」

「しかし、それでは何の解決にもなりません。」


グアノは言い返すようにそう言った。しかしリガルは慌てることなく答える。


「言っただろう。全てを解決してもらいたいわけではないと。それに、私はもう、半ば諦めているのだ。」

「……!」


グアノがハッと顔を上げる。リガルは続けた。


「自分のことだ。自分が一番よく分かっている。私に残された時間は少ないだろう。」

「陛下…。」

「だが。私はそれを何もせずにただ待つことはしない。こうしていられる時間が少しでも伸びれば良いと、今もそう思っている。」


リガルはグアノの両肩を掴んだ。


「グアノ。そなたがそれほどまでに悩んだその苦しみは、そのまま私の苦しみでもある。そなたが私のために悩むというのなら、私はその悩みを決して諦めはしない。そなたが私のために戦おうというのなら、私は決して、そなたを一人で戦わせはしない。そなたが私のそばに仕えるということはつまり、私がそなたのそばにいるということでもあるのだ。」


そこまで言って、リガルはゆっくりとグアノから手を離した。思わず感情的になってしまった。リガルは一つ息をついて心を落ち着け、そして言った。


「…私とともに、負けると分かっている相手と、戦ってはくれないか。」


グアノはしばらく黙り、何か考えているようだった。そしてその口が開く。


「分かりました。」


グアノはそう答えた。その声にもう先ほどまでの弱々しさはない。グアノは跪き、リガルを見上げるようにしてはっきりと言った。


「魔導国王補佐グアノ、陛下の命が尽きるまで、御身のそばにお仕えいたします…!」


その返事を聞いて嬉しくなり、リガルは少し微笑んだ。そして、その思いを無駄にはしないという意味を込めて、力強く頷いた。

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