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四、

 

 これは一体どういう状況だろうか。


 悠里は頭を下げたまま、今朝起きてからのことを思い返した。


 朝、いつもと同じ時間に起きた悠里は、いつも通りの日課をこなし、普段と同様に鏡台の前に座った。確かにそこまではいつも通りの朝だった。

 けれど今朝はそこからがおかしくて。


 悠里が鏡台の前に座ると、待ってましたと言わんばかりの勢いで女官たちが部屋に飛び込んできて、一斉に悠里を取り囲んだ。

 何事かと驚いている悠里には全く構うことなく、ただ黙々とルイーナを着飾ることだけに集中してゆく女官たち。

 その努力の甲斐あって見違えるほど美しく仕上がった。


 シルエットの美しいドレスに普段とは違う華やかな化粧(メイク)。最後にはヒールの高い靴まで履かされて。

 ここまで完璧に仕上げられると、この後に何が待っているのかなんて嫌でも想像できてしまい、それはそれで恐怖でしかなかった。


 これまでの平穏な日々はなんだったのかとか、話が違うよグレンのバカ野郎とか、言いたいことは山ほどあったけれど。

 気づいた時にはもう、赤い絨毯の敷かれた謁見の間と思しき部屋の中央に立たされていたのだった。


(あぁ……)


 極度の緊張で吐いてしまいそうだ。

 願わくば、ずっとこのまま顔を上げずに退散してしまいたい。

 いっそのことこの赤い絨毯と同化できないだろうかと本気で考えてしまうくらいにはテンパっていた。

 そんな中でも正式的な挨拶をごたつくことなくスムーズにできたことは上出来だったと思う。

 念のためにと、以前にグレンから教わっていたことがここで役に立ったのだ。

 教えてもらった時は、こんなん必要ないでしょ、と軽く考えていたけれど、何事にも備えは必要なのだと身をもって実感させられた。


 そして、思う。

 この後はどうしたらいいのだろうかと。

 グレンはこの後のことまでは教えてくれなかった。


「ルイーナ殿、顔を上げられよ」


 頭を垂れる悠里に声がかかる。

 ひぃ~! と心の中で悲鳴を上げながら固まっている悠里に、再度壮年の男が同じように声をかけてきて、悠里はやむ無く頭を上げるしかなかった。


 目の前には椅子に座る黒髪の男が一人、肘掛けに手をついて無表情でこちらを見下ろしている。

 歳は若そうだが、じっと睨むような眼差しは威圧感たっぷりで、ただ座っているだけなのに一人だけ漂うオーラが違う。

 この目の前の人物が誰で、ここが何処なのか、さすがの悠里にでも理解できた。


(この人が、国王……ルイーナの婚約者……)


 十八のルイーナを王妃に据えようとしてることから考えても、きっと国王という人物はそれなりに若いのかもしれないと勝手に想像していたけれど、まさかここまで若いとは思わなくて少し驚いた。

 しかも思っていた程怖くない。近寄りがたい雰囲気はあるが、震え上がるほど恐ろしいというほどでもない。


 それになぜだろう、初めて会った気がしない。


 少し気持ちに余裕が出来てしまったせいか、無意識にジロジロと見てしまっていた。

 よく見ると彼の髪色は、悠里にとって一番馴染みのある黒髪とは少し違う、黒というより青みがかった黒、濃紺色に近い。

 悠里もここでは限られた人たちとしか接触してこなかったから確なことはいえないが、この世界でこの黒髪は珍しいのではないかと思う。グレンやサリー、女官たちの髪や瞳は皆明るい色をしていて、それがこの世界では普通なんだと思い込んでいたからかもしれない。

 今だって、脇に控えている壮年の男も、その横に並んで立つ長身の男も揃って金髪だし、ルイーナだって髪は蜂蜜色だ。

 だからなのか王の黒髪がやたらと目につく。

 しかも王はさっきから一言も発せず、鋭い双眼でじっとルイーナを見下ろしたまま動かない。

 その黒い瞳もまたやや青混じりの黒で、感情がよみにくい。


(なんだろう……ちょっと好戦的……というか挑発的……?)


 なぜそんな目で見られているのか分からない。

 もしかして中身が別人だとバレたのかもと、一瞬そんなことも頭を過ったが、それでもなんとなく目が離せなかった。

 ここで目を逸らしたら負けのような気さえして、まるで我慢比べのように、じっと黒い瞳を見つめる。

 そして黒い瞳もまた、アクアの瞳から目を離さない。


 そんな 無音な時間がどのくらい続いただろうか。

 永遠に続きそうな沈黙を破ったのは、この場に相応しくないほどの陽気な声だった。


「ちょっとお二人さん。いくら久し振りの再会だからってそんな熱烈に見つめ合わなくても。陛下もいつまで見とれてる気ですか? まぁ以前にも増して麗しくなられたルイーナ嬢をいつまでも見ていたい気は分からないでもないですけどね」


 王の座る椅子から少し離れた位置に立っていた長身の男が茶化すように言った。黒の隊服のようなものを着ているところを見ると武官か、もしくは近衛の隊士だろうか。ずいぶんと体格のよい男だ。

 そしてその陽気な男に渋い表情を向けているのは、先ほどルイーナに声をかけた壮年の男だった。


「こらジェイロ、口を慎まんか。陛下の御前にて無礼にもほどがあるぞ」

「えーだって俺、夜勤明けなんすよ? 一刻も早く宿舎に戻って眠りたいじゃないですか。それを何が悲しくて若い二人のラブラブっぷりを見せつけられなきゃいけないんですか。あのまま続いてたら俺確実に立って寝てましたよ」

「寝るな。そして黙れ」

「ふぁーい」

「あくびもするな! 少しは立場をわきまえろ!」


 親子のような会話の応酬。

 悠里はぽかんと口をあけたまま唖然としてしまった。

 しかも熱烈に見つめ合っていたとか、若い二人のラブラブっぷりとは一体どこの二人のことを言っているのだろうか。少なくともこの部屋にそのような二人は存在しないはずだけど。


 何やら見当違いな解釈をしている男──ジェイロに呆気にとられていると、前方から呆れ混じりの低い声が飛んできた。


「サイザック、そいつの言うことにいちいち構うな。時間の無駄だ」

「あぁ、左様でございましたな」


 私としたことが面目ない、とサイザックと呼ばれた男が王に謝罪すれば、その横ではジェイロが不満げに肩を竦めている。どこまでも対照的な二人だ。


 そんな二人のやり取りを端から眺める分には面白かったが、そう暢気に笑ってもいられなかった。

 気を取り直したサイザックの視線が今一度ルイーナに向けられたことで、再び緊張の波に襲われることとなった。


「ルイーナ殿。まずは此度めでたく快癒されたとの由、心よりお喜び申し上げます」

「あ、はい……ありがとうございます」

「最近は庭にも出られるようになられたとか」

「はい、お陰さまで……」


 キリキリいい出した胃の辺りを、握りこんだ手で押さえながら何とか答える。

 王は終始冷めた目でルイーナを見下ろしていた。

 さっきはあまり怖くないなんて思ったけれど、改めて見上げてみるとやっぱり少し怖い。


「おお、それは何よりでございますな。さぞかしご家族の方々も安堵しておいででしょう。しかし聞いたところによりますれば、未だお父上との面会もお断りになられているとか」

「それは……」


 言葉に詰まる。何をどう答えればいいのか分からない。唾を飲み込んで言い淀んでいる内に、サイザックが更に言葉を畳みかけてきた。


「既にルイーナ殿もご承知のこととは存じますが、明後日には隣国の客人を招いた晩餐会がございます。実はその晩餐会にはお父上のラディオン卿も出席なさいます。──そこで如何ですかな。折角の機会ですし、このご登城の折りにお会いになってみては。そうなればお父上もさぞやお喜びになることてしょう。晩餐会の前の少しの時間であれば面会の機会を設けてもよいと陛下も仰っておられます。寛容な陛下の御恩情に感謝し、心置きなく過ごされるがよい」


 穏やかな口調ながら言葉の端々に有無を云わさぬ圧力を感じる。口ではこちらの意思を尊重しておきながら、内心では断わられることなど想定していないのだろう。

 しかも、陛下の御恩情に感謝しろとはなかなか傲慢な言い方ではないだろうか。あくまでも悠里の主観でしかないけれど、この目の前の男からは情なんてものは一切感じられないし、感謝する要素も今のところ見当たらない、と思う。

 聞けば、寝たきりのルイーナのところにだって一度も近寄らなかったというし、悠里がルイーナとして振る舞っていたこの一ヶ月の間も王は何のアクションを起こしてこず、それはそれは清々しいほど不干渉だった。まぁ悠里としては有り難いことではあったけれど。


 でも婚約者のルイーナからしてみればそれはあまりにも無情な態度だと思うし、こうして顔を合わせている今だってこちらを気遣う素振りもなければ、言葉もない。

 それで恩情がなんだと言われても納得できなくて当然ではないだろうか。


 でも、だからといってここで腹をたてる義理はないし、たとえあったとしても、今ここで口を開けば確実に余計なことを言ってしまう自信があった悠里は、意識して口を結んだ。


 そうこうしているうちに黙ったままのルイーナを見かねたのか、それともただ単に空気が読めないだけなのか、相変わらずの陽気なジェイロの声が静寂を破った。


「いや~でも本当にルイーナ嬢がこうして無事に回復されてよかったですね、陛下。しかもここで他国の王族を招いた晩餐会にルイーナ嬢も参加するとなれば、これはもはや公式に婚約者として認めたのと同義でしょう。そうなれば煩かった重臣たちも少しは静かになるんじゃないですかね」

「さぁな」

「あ~早く見てみたいな~。ルイーナ嬢が登場する瞬間、あいつらは一体どんな顔をするんでしょうね~」


 意味深な表情で笑って見せるジェイロに対し、王は相変わらずの無表情で静かに頷くだけだったが、椅子の背に凭れてどうでもよさげに頬杖をついてるところをみると、どうやらあまり気のりしない話らしい。部屋の空気も少し重くなったような気がする。

 悠里としては正直、緊張も限界なのでそろそろ部屋に戻してもらいたいところではあるのだけれど、どうにもさっきから気になることを言っているような気がして気が気でならない。単なる聞き間違いであるならいいけど、もし言葉通りの意味なら最悪じゃないの、と。

 そんなことを思いながら、彼らの会話に全神経を集中させていると、サイザックが一歩王に近づいた。


「しかしながら、ここでルイーナ嬢の存命をアピールするは、外向きにも内向きにとってもよきご判断かと存じます。お身体が回復されたばかりのルイーナ嬢には少し急な務めとなってしまい心苦しいのですが、ここは少し頑張って頂きましょう」


 サイザックの視線が王から悠里へと移り、最後はしっかりと目が合うと、何かを委ねるように微笑まれた。


「……へ?」


 あまりのことに間の抜けた声が出てしまった悠里は、ポカンと口を開けたまましばらく固まった。

 先ほどから続く緊張と予想外の展開に頭が追い付かず、今にも脳天から煙が吹き出しそうだ。


「あの……さっきからずっと気になっていたんですけど、 ル……私、晩餐会とやらに、でることになっているんですか?」

「え? あれ? ルイーナ嬢知らせれてなかったの?」

「知らされてません!」

「いや、そんなはずはないでしょう。だって明後日だよ?」


 そう口にするも、なぜだかジェイロの視線は悠里にではなく王の方へと向いていた。最初はチラチラと疑うような目線だったのが次第に問いただすかのような強い視線へと変わる。


「……陛下、まさか……」

「文を、出さなかったのですね?」

「今伝えたのだからそれでよいだろうが」


 二人から睨まれても、素知らぬ顔で頬杖をつく。

 そんな王に、仕方ないとでもいうように諦めの溜息を吐くジェイロとサイザックは、それ以上何も言う気がないのか、溜息を吐いたっきり口を閉ざしてしまった。


(いやいやいやいや、諦めないで! 仕方なくないし! まさか話はこれで終わり!? 結局晩餐会とやらははどうなったのよ!? てか、晩餐会ってなに!?)


 ぐるぐると何度も彼らの会話を巻き戻しては再生し、何度も確認してはみるものの、結局晩餐会とやらに出なきゃいけないのかどうなのかハッキリしない。

 あまり目立った言動はしたくないと思っていたけれど、このまま黙っていたら晩餐会に出なきゃいけなくなるんじゃないか。そう思った悠里は、発言を許してもらうべく右手を挙げた。  


「あの!すいません! 話はよく分からないんですけど、私、晩餐会には出られません!」


 勢い余って叫ぶような声が出てしまった。思いの外、声が響いて悠里自身も焦ったが、彼らもそれには驚いたようで、一瞬異様な沈黙が流れた。

 それでもさすがは年の功というやつだろうか、サイザックは一瞬目を見開いたものの、その後すぐに表情を戻すと、落ち着いた口調で問うた。


「出られない、というのは……?」

「いや、あの、だっていきなりそんなこと言われても困ります!」

「何が困るのだ?」

「それは……」


 王の冷え冷えとする低い声にハッとして顔を上げる。するといつの間にかすぐ目の前に王が立ちはだかっていた。

 黒色の長いコートのような衣装にラベンダー色の外套を肩に羽織った王が手の届きそうな至近距離に立っている。しかも相変わらずの無表情で。


「それはだから……その、記憶が……」

「失った記憶など必要ない」

「……必要、ない……?」

「王の婚約者としてここいる以上はそれなりの役目は果たしてもらう。だが、それ以上は期待していないし、必要ない」


 至近距離からの高圧的な視線に負けそうになる。黒い瞳は冷たく、睨むような視線は言葉以上に鋭い。


「明後日の晩餐会には必ず出てもらう」


 パサリと外套がはためく。

 話は終わりだと一方的に告げてくる背中。

 その背中を見つめている内に、悠里の中の何かが切れた。緊張の糸とか、堪忍袋の何とかとか、これまで我慢していた諸々色々なものがプツリと。


「ちょっと待ちなさいよ! ……今、婚約者としてって言った? 婚約者の役目? よくそんな事が言えるわね! その婚約者が倒れても見舞いにも行かず、目覚めたところで様子を見に行こうともしない。そんな人に婚約者の役目がどうとか言う資格があるの? しかもいきなり呼び出して晩餐会だのなんだのとそっちの都合だけで話を進めて、こっちの意見を聞こうともしない。

 女なら皆あなたのいいなりですか。期待しない、必要ないっていいながらモノのように扱うの? 傲慢だわ!

 ひとはモノじゃないし、女だって誰も彼もがあなたの思い通りになると思ったら大間違いなんてすからね!」


 息を吸うのも忘れて一気に言い切った。

 柄にもなく大声を出したせいで、少し身体が熱い。頬も紅潮しているかもしれない。

 心臓はバクバクと五月蝿かったが、胸はとても清々しかった。


 勢いのままに言ってしまったこととはいえ、自分は間違ったことは言っていないし、謝る気もない。そう思っていたけれど。


 でも、そんな強気でいられたのはほんの一瞬だった。

 ついさっきまで無表情だった男の顔に、うっすらと笑顔のようなものが浮かんでいるのを見た瞬間、熱かった顔は一気に青ざめた。背中にプリザードが吹く。


「随分と威勢がいいな、女。それだけご立派なことが言えるのなら、明後日の晩餐会でもさぞかし楽しませてくれることだろう」


 そう言って細めた瞳の奥は、恐ろしい程冷たかった。


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