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一、


 ベッドに沈んだ身体が鉛のように重い。

 閉じた瞼も持ち上がらない。

 喉はカラカラで声も出ない。

 なんだか、自分の身体じゃないみたい。


 どうしてこんなこに? と悠里(ゆうり)は朦朧とする頭で考えて、これは二日酔によるものだと気付くのにしばらくの時間を要した。そしてそれと同時に失恋したことも思い出し、更に気分が降下する。


 別にその人と付き合っていたわけでもなく、密かな想いを告げたわけでもない。ただ片想いをしていた相手が結婚すると聞いただけなのだけど、それでも恋愛経験の少ない悠里にとっては立派な失恋だった。

 しかもその好きだった男は自分の思っていたような──明るくて優しい気さくな人、ではなかったことも判明し、二重のショックをうけた。


 どうしてこうも恋愛運がないのだろう。自分に男を見る目がないからだろうか。それとも恋愛運がないから、男を見る目もないのだろうか、などと終わりの見えない不毛な自問自答を繰り返し、自分でも何を考えていたのか分からなくなる頃には、数本の缶ビールを空にしていた。


 普段からあまりお酒を口にすることもなかったためアルコールの耐性も弱く、酔い潰れるのにそう時間はかからなかったろう。その上自分の部屋で一人だったこともあり、だいぶ醜態を晒しただろう自覚もある。昨夜の自分を全て思い出すことはできないけれど、何事か叫んだり泣いたりもしたような記憶も僅かながら残っていて、思い出せば出すほどだんだん恥ずかしくなってきた。


 ああ思い出さなきゃよかった、ともう一眠りして失恋の傷みと昨夜の醜態含めて全て忘れてしまいたかったが、残念ながらそれも叶わなかった。

 ゴンゴンと頭の中で鐘がなっているような鈍い傷みが走り、悠里は顔をしかめた、その時だった。


「ルイーナ嬢……?」


 僅かに離れた場所から聞こえる控えめな男の声。

 気のせいだろうかと思うには、やたらはっきりと聞こえたそれは、テレビの中や窓の外側から聞こえるものなんかじゃない。

 明らかに悠里へと向けられた声にドキリとする。


「ルイーナ嬢?」


 再び声がかかる。

 男は動いたのか先程より近くに感じる気配に悠里は焦った。


 だってここは自分の部屋のはずで、昨日はここで一人寂しくやけ酒だったはず。


 そもそもルイーナとは誰のことを言っているのだろう。


 一体何が起きているのか。


 まだ頭もスッキリしないけれど、もう頭が痛いだの瞼が重いだの悠長なことはいっていられない。


 悠里は内心焦りながらも、ゆっくりと瞼を開いた。






 ◇◇◆◇◇


 窓から射す陽は柔らかかった。木葉を揺らす風もなく、鳥の囀りだけが僅かに聴こえる穏やかな昼下がり。

 回廊を歩く人影もなく、シンと静まりかえっている。

 緑の樹木に囲まれ、荘厳な王宮から隠れるように佇むこの小宮殿は、八角形屋根のややこじんまりとした宮ではあるが、大理石をふんだんに使った繊細な造りの宮殿であった。

 過去には美しく着飾った女達がこの宮殿を賑やかにしていたこともあったが、王の代がかわってからというもの、そこは空虚のような有り様で、庭園に咲く色鮮やかな草花たちがより一層寂しさを誘う。


 しかし、そんな寂れる一方だったこの宮殿も、ここ一月前から少しずつ変わり始めていた。





「ルイーナ様、お茶の用意がっ……きゃあぁぁ! ルイーナ様!? どうなされましたっ!? 」

「え? なに? やだちょっと待って。違う違う! 私なら大丈夫よ。これ、身体鍛えてるだけだからっ」


 部屋のドアをノックし、静かに入室した侍女のサリーは、床に倒れているようにしか見えないルイーナの姿に悲鳴を上げた。

 それはこのルイーナがひと月程前まで昏睡状態だったからに他ならず、そんな彼女が床に伏せていれば声の一つもでると言うもの。お茶を乗せたワゴンを放り投げる勢いでルイーナの元へと駆け寄ってしまうのも無理はなかった。


「身体を鍛える? あの、もう一度確認しますが、倒れていたのではないのですね?」


 あわてふためくサリーを横目に、当のルイーナは苦笑いを浮かべながらスカートの裾を手で払っている。そんなことは私が、とサリーはあわててスカートを整えてルイーナをソファーへと促した。


「えっと……腕立て伏せをしていたんですけど……。ほらルイ……じゃなくて、私ってばずっと寝たきりだったでしょ? だから体力も落ちてるだろうし、早く元に戻るためにもまずは元気で健康な身体作りからかなって」

「元気で健康になろうというルイーナ様のお考えはとてもご立派だとは思いますけど、今はまだご無理はなさらないでください。体調がよくなったとはいっても、まだ本調子ではないのですから」

「はい、すいません。気を付けます」


 ルイーナは殊勝な様子で謝罪を口にはしたものの、それもほんの一瞬だったようで、また腕を上下に動かしたり回したりして、元気元気! とアピールしてくるのだから困ったものだ。


 サリーはこのルイーナ付きの侍女になってまだ数ヶ月で、しかも侍女に就いてすぐにルイーナは昏睡状態になるほどの容態に陥ったために、ルイーナの人となりを知る機会はほとんどなかった。


 けれど、以前の彼女はこうも溌剌とした女性だったろうかと首をかしげずにはいられなかった。

 以前はもっとお淑やかで、佇まいが凛としたご令嬢だったように思うのだが。

 しかしそれはあくまでも自分の頭の中にあるルイーナの印象であり、本来の彼女は違ったのかもしれない。

 しかも幸か不幸か、彼女は倒れる以前の記憶を失っている。その影響も少なからずはあるのだろうと思えば、そこまで深く考えることもなかった。



「ルイーナ様、そろそろグレン様がいらっしゃるお時間ですし、髪を結い直し致しましょう。それにお着替えもなさいませんと」

「え? 着替えるの?」

「はい。その方がよろしいかと存じます。すぐに女官たちを呼んで参りますので、ルイーナ様はこのままこちらでお待ち下さい」


 おとなしくソファーに座り頷くルイーナを確認し、安堵の息をそっと吐くと、サリーは一旦部屋を後にした。






 髪を整え、着替えを済ませたルイーナは、応接間のソファーに腰を下ろすと、サリーの淹れたお茶に手を伸ばした。

 一口つけてホッと息を吐くと、トントンと軽快なノック音が来客を告げた。


「どうぞ」


 すでにドアの前で待機していたサリーが客人を招き入れ、入れ違うようにサリーは退室する。

 それをきっちりと見届けてからルイーナは一気に肩の力を抜いた。


「はぁ~、グレンが来てくれて助かったわ~。特に何かするわけでもないんだけど、すごく肩が凝るのよね」


 ドサリとだらしなくソファに倒れこんだルイーナはここぞとばかりに羽を伸ばした。凝り固まった肩を揉んだり、首を回してストレッチしたりと随分と寛いだ様子だ。


 そんなルイーナをやれやれと言った感じで苦笑しているのは、グレンだった。

 全身を覆う黒の長衣とフード付きのローブを纏った彼は、長身の割には身体の線は細く、男としては少し頼りない。無造作に伸びた髪は端正な顔を半分ほど隠してしまっていた。長い白金色の前髪から覗く黄色の瞳には掴みどころのない輝きがあり、初めて彼を見た時はその不気味さに声もなく驚いてしまったことを覚えている。

 そんなどこをどう見ても怪しい彼はこの国でも数少ない魔術師の一人であり、尚且つ王室付きの優秀な魔術師でもあるというから更に驚きである。齢は二十代後半か三十そこそこだろうか。いつも飄々としていてつかみどころのない男ではあるが、今のルイーナにとってはこの男だけが頼みの綱であることに変わりはなかった。


 何せ彼は、今のルイーナの状況をつくった張本人。つまりは"身体はルイーナ、中身は悠里"という不可解な状況をつくった張本人なのだから。


 もう何度夢なんじゃないかと思ったかしれない。


 失恋して、やけ酒飲んで、泥酔して。それで目が覚めたら何処かも分からない部屋にいて、見知らぬ男が『ルイーナ』と声をかけてくる異様な事態に大きな衝撃を受けたのはいうまでもない。

 しかも男の風貌が悠里の常識を遥かに超えた、まるで二次元から飛び出てきたような出で立ちであったために、最初は同じ人間に見えなかったくらいだ。

 それでも出ない声を振り絞って自分はルイーナでないことを告げたが、今度は自分の身体に違和感を覚えて戦慄した。


 全てが違ったのだ。

 自分が発した声も、見下ろした手足も、肩から胸へと流れる髪の色さえも。

 掌を開いたり閉じたりして感触を確かめてはみるものの、まるで自分の手だという感覚がなかった。


 これはどういうことなのかと当惑する悠里に彼は言った。

 その身体はルイーナという女性のもので、近い将来王妃になるだろう人なのだと。


 そして、悠里がルイーナとしてここにあるのは全て自分のしたことだと。

 グレンはルイーナの父である侯爵の依頼でルイーナに魔術を施したのだが、何か手違いがあったようだ、と淡々と述べた。


『申し訳ないが、君の魂を少しお借りした。そのルイーナという女性を助けるためにね。だから今、その身体には君の魂が入っている。ルイーナの魂と結合した状態になっているといえば分かりやすいかな。

 ただ、ちょっと問題が起きたみたいでね、できることならば今すぐにでも君の魂を抜き出して元の身体に戻してあげたいんだけど、どうやらそれができないみたいなんだ。どうしてだろう、ははは』


 と、いきなりわけの分からないことを聞かされ、どうしていいのか分からない悠里だったけれど、これも本能というやつだろうか。気付けばこのひきつった顔で薄笑いを浮かべる魔術師の顔にグーパンチをお見舞いしていたのだった。


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