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 水晶が暗闇の中で光っている。

 その水晶に映るのは、メランポードの落ちぶれた姿だ。


 メランポードは傷だらけで雪の中をさまよっている。

 北の領地に人間はいない。

 誰かの精気を奪わなければメランポードはこのまま命が果てるだろう。


 透視をしていたナーダスの顔は青ざめ、怒りで唇が震えていた。


 青の魔術師である彼はメランポードの兄である。

 タンジーだった妹のなれの果ての姿が、メランポードという黒い魔女だ。


 ナーダスにとって、タンジーは幼い頃から妖術を使う魔女だった。

 近隣に住む男たちをたぶらかし、彼女の虜となった男たちから力を全て奪う。

 妹の力を恐れた彼は、彼女に魔法をかけて、真実の姿から遠ざけようとした。

 しかし、タンジーは己の姿を取り戻し、ついに、冥界の扉を開けてしまった。


 水晶が光を失う。


 ナーダスは顔を上げた。

 今すぐにでも北の領地へ行き、妹の息の根を止めるチャンスだと思った。


 ラベンダーとローワンとの戦いでメランポードは弱っている。

 シトリンのはめ込まれた杖を持つと、ナーダスはローブを羽織り外へ出ようとした。ドアノブに手をかけると、


 ――待って。


 と言う声にハッとして振り向いた。


 見ると、部屋の中に一人の妖精が立っている。

 ナーダスは身構えた。

 気配を感じなかった。

 いや、それよりも、どうやって室内に入ったのか。

 この城には結界が張られているはずだ。


 ナーダスはごくりと唾を呑んだ。


「どこから入った」


 静かに聞いたつもりだったが、あまりに驚いて声がかすれていた。

 目の前に立つ妖精は金髪で紫の瞳を持った無色透明の羽を持つ少女だった。


「君は…?」


 ――わたしはラリーサ。


「ラリーサ…」


 ラベンダーとローワンの娘だ。


「まさか、信じられない……」


 ラリーサはまだ赤ん坊のはずだ。しかし、目の前にいる少女は二十歳前後の姿をしている。


 ――わたしは次元を移動できる力を持っています。あなたはなくてはならない存在です。この世界の均衡を守るべき人。妖精の世界、人間の世界、あなたが死ねば均衡が崩れてしまう。


「嘘だ…」


 ナーダスは首を振った。


「僕はただの駒でしかない。アニスこそがこの世界を守るべき人物だ」


 ――一人ひとりの力が集まってこそ、この世界は守られるのです。誰ひとりとして命を粗末にしてはいけません。


 ラリーサはそれを伝えるために、別の次元から来たのだろうか。


 ナーダスは混乱したまま、相手を見つめた。

 ラリーサは美しかったが、顔色は青ざめていた。


「体調が悪そうだ。どこか悪いのですか?」


 ――え?


 ラリーサが首を傾げて、薄く微笑んだ。


 ――ありがとう。異次元ではあまり体力がもたないので、すぐに疲れるんです。大丈夫、元の世界に戻れば力は回復します。ナーダス様、あなたにお願いがあるのです。ローズ姫が苦しんでおられます。彼女は誰にも心の内を打ち明けた事はありません。ローズ姫の心は蝕まれ、危ういところにあるのです。彼女を助けてあげてください。彼女を守るのがあなたの役割です。


「ローズ姫?」


 ナーダスはどきりとして、それ以上、言葉を発するのをためらった。

 彼は、ローズ姫が苦手だった。

 外見は美しい姫だったが、まわりの出来事は夢物語のように思っていて、どこか別の世界を見ている。


「彼女は何も考えていない。放っておいても大丈夫でしょう」


 ぼやけた顔しか思い出せないローズのことを皮肉ると、ラリーサが悲しそうな顔をした。


 ――誰か、ローズ姫の心の声を聞いたことがありますか? ローズ姫はノアを失ったのです。彼女は泣きましたが、彼女の気持ちを聞いたことがありますか?


「ノアの事は残念だが、ローズ姫は…」


 ――悪魔のローズ姫と呼ばせないでください。


 それだけ言うと、ラリーサは消えてしまった。



 悪魔のローズ姫。


 ナーダスは『ラーラの書』を読んでその言葉を知っていた。


 ラリーサの愛称はラーラだ。

 『ラーラの書』と言うのは、ラリーサの予言書になる。

 彼女は、次元を自由に飛ぶことができると言っていた。

 つまり、未来を知っているのだ。


 ナーダスは、仕方なく息をついた。


 この時世の中、ローズののほほんとした顔を見ると、なんとなく心が乱される。

 自分だけ関係ないと言った顔のローズの気ままな生き方が好きじゃなかった。

 しかし、次元を超えてラリーサが忠告に来たのだ。

 きっと、重要なことなのだとナーダスは自分に言い聞かせた。


 部屋を出てローズがどこにいるのか、気配を手繰った。

 彼女は部屋にいるようだった。

 ローズの部屋に行きノックをすると、中から返事があった。


「はい? どなた?」


 ナーダスが名前を言うと、ローズが顔を出した。

 ローズは相変わらずふんわりとした顔でにっこりとほほ笑み、廊下へ出てきた。


「どうかしたの? ナーダス」


 空色の美しいドレスで髪の毛もきちんと結ってある。

 頬は明るく、幸せそうに見えた。


「あなたがどうしているか心配になって」

「心配?」


 ローズが不思議そうに目を丸くした。


「なぜ? わたしは普通だけど」

「よかったらお茶でもいかがですか」

「いいわ」


 ローズは、ナーダスの腕に手を乗せると優雅に歩きだした。

 ローズはいい匂いがする。

 バラの香水をつけているのだろう。甘い声を聞いているとなんだか眠くなってくる。


「紅茶とクッキーでも用意させましょう」


 客間に入り、ソファに座ると呼び鈴を鳴らしメイドを呼んだ。

 ローズの様子は変わったところはない。

 ナーダスは考えもなくローズの顔を見に行ったことを後悔していた。

 ローズはふわふわした髪をなびかせ、張りついた笑顔でこちらを見ている。


 形のよい唇と整った眉毛、ぱちりとした愛らしい瞳。


 はて、何を話せばいいのか、魔法を習うよりずっと難しいことに気付いた。



※※※



 アニスの呪文は完ぺきだった。


 妖精ベルは黙々と作業を続けるアニスを見ながら、表現できないような不安を感じていた。


「アニス」


 声をかけたが、振り向きはするが声を出さない。

 ネズミの顔は無表情で、もし、アニスがネズミの中に紛れたら、きっと、どれがアニスか分からないだろう。

 アニスは顔をこちらに向けたが、ベルが何も言わないので、ふいと顔を背けると再び魔法陣を張るために駆け出した。


 ベルは追い続けていたが、体力がだいぶ落ちていた。しかし、小さな足で走り続けているアニスの比ではないだろう。

 アニスは意識を失っている間以外はほとんど動いている。

 眠っているのではなく、失神しているのだから。

 彼女が今、生きているのが不思議なくらいだ。


「アニス、少し休みなさい」


 ベルは強く言ったが彼女はそれを無視して、呪文を唱えた。


 ――ハディト、ラフール、ケイビット、カオス、ババロン、ライラ、ペルデュラボー、エヌビット。


 アニスの魔法陣は少し変わっていた。

 特殊な魔法なのか、聞いたこともない呪文だったが、強力であることは間違いない。


 魔法陣は次第に範囲を広げていたが、弱まるどころかさらに強い魔力が発動していた。

 その時、アニスがふっと倒れた。

 ベルが慌てて近寄ると、彼女は意識を失っていた。

 小さく息をしているところを見ると、無事のようだ。


 ベルはこのままでよいのだろうか、と思った。

 まさか、アニスはこのままネズミと同化するのでは。


 南の領地の約半分は魔法陣に守られた。

 残り、半分。


 アニスはたった数日で、これだけの魔法陣を広げて行った。

 全ての土地に魔法が掛かるのは時間の問題だろう。

 ベルは不安に駆られながら、王に報告に行かなくてはと思った。


 意識を失っているアニスは夢を見ているのか、時折、ぴくぴくと手が動いた。


 アニスは夢を見ていた。

 人間として生きている頃の夢だったが、おぼろげでよく分からない。

 ネズミとなり、手と足で走り続ける今の方が現実で、自分が本当に人間だったのか、曖昧になっていた。


 キツネの妖精ベルが何か話しかけてくるが、言葉が分からない。

 ベルが叔父の使い魔であることは覚えていたが、そのうち、妖精であることも分からなくなるだろう。


 アニスは、魔法をかけていくうちにこのままでいたいという気持ちが強くなっていた。

 ネズミは体が小さく自由に動くことができる。

 魔法陣をかけるたびに、体に力がみなぎる。

 気持ちのいい風と空気をいっぱい吸って何も考えず、ひたすら魔法をかけて走ることが心に安らぎを与えてくれた。


 アニスは目を開けた。

 キツネの妖精ベルが何か言っている。

 何を言っているのか分からずに首を傾げると、声が響いた。


「わたしの声を聞きなさい」


 アニスは頷いた。そして、走り出した。


「アニス、どこへ行くのです」


 アニスは魔法をかけた。

 その姿を見たベルは勢いよく空へ舞い上がると、どこかへ行ってしまった。


 ひとつでも多くの魔法をかけなければ、大変な事になる。

 動物の勘でアニスは、より多くの魔法陣を広げようと走った。


 アニスはついに南の領地全てに魔法をかけた。

 そして、北へと向かった。


 その頃、ローズとナーダスは、ココナッツクッキーを無言で食べていた。


「あの…」


 ナーダスが話しかけると、ローズはかわいらしい顔で笑いかけた。


「なんですの? ナーダス」

「このクッキーおいしいですね」


 なんて間抜けな質問をしているのだろう。

 ナーダスは情けなく思いながら、欲しくもないクッキーをほおばった。


「もっと作らせましょう」

「いえ、結構です」

「あら」


 ローズがふふふと笑った。


「一度、お聞きしたかったのですが」


 ナーダスは、アレイスターの孫娘であるローズ姫に魔力は全くないのか不思議に思っていた。


「あなたは魔法をお使いにならないんですか?」

「魔法ですか?」


 ローズが首を傾げた。


「あなたのおじい様は偉大な魔法使いだ。なのに、あなたが魔法を使っている姿を見たことがない」

「祖父の死後、アレイスター家では魔法を禁じて参りましたの。父も母も魔法なんて使った事なんてございませんわ」

「興味はなかったのですか?」


 ナーダスが尋ねると、ローズは頷いた。


「書斎に行ってみます?」

「は?」


 突然、話の矛先が変わり面食らった。

 ナーダスは、アレイスター城の書斎には何度も足を運んでいた。

 あそこの本はほとんど読んでいる。


 そう、はっきり言うつもりだったが、この部屋で紅茶を飲んでいても仕方がないので、ローズの申し出について行くことにした。


「何かあるのなら、見せてください」


 ローズはにこっと笑った。

 さっと立ち上がるので、ナーダスも慌てて立つ。

 ローズを先にドアから送りだしながら、隣に寄り添って歩いた。


 ローズの歩き方は雲の上を歩いているように優雅で柔らかだ。

 ところが、ローズは、ナーダスが考えていた書斎の方へは向かわず、別の廊下へと歩いて行く。


「あの、どちらへ」

「秘密の部屋があるんですのよ」


 ローズが含み笑いをする。

 彼女のこんな笑い方を初めて見て驚いた。


「秘密の部屋ですか」

「ええ。わたくし退屈凌ぎに各部屋の隠し扉を探す特技を持っていますの。偶然見つけた隠し部屋にご案内いたしますわ」

「そこには何があるのですか?」

「あなた方魔術師なら、きっと喉から手が出るほど欲しい物がそろっているんじゃないかしら」


 ナーダスはそれを聞いてごくりと喉を鳴らした。


「それは、本でしょうか?」


 ローズはこくりと頷く。


 案内された場所は廊下の突き当たりで壁しかない。

 しかし、彼女が言うように、何か秘密の部屋へ繋がっているのだろう。

 ナーダスは、いつの間にか、ローズの言葉巧みな言い方に引き込まれていた。

 なんの変哲もない壁に手を沿わせ、ローズがもごもごと呪文の言葉を吐いた。

 聞き取れない小声で、ローズの口から出たとは思えないしゃがれた声だった。


 ピン、と空気が張り詰める音がしたかと思うと、壁に細い隙間が現れ、ローズがそれを軽く押すと扉が開いた。

 ナーダスは目を丸くして、するりと入って行くローズに従った。

 上に続く階段がある。


 二人の体が壁側に入ると扉が閉まり、元のように継ぎ目のない壁に戻った。

 魔術師でありながら、戻れるのだろうか、と不安に思いながらもローズの後を追いかけて階段を上がると、窓から入り込む明るい部屋へとたどり着いた。


 そこは小さい窓が一つ。

 かがまないと部屋には入れなかった。

 部屋の中はぎっしりと本で溢れていた。

 本からはカビ臭い匂いがしている。

 ナーダスが一冊を手にとって、目を見張った。


 全てが黒魔術の本だった。

 胃がぎゅっとつかまれた気分になる。


「これは、全て呪禁じゅごん…」


 ナーダスは呆気にとられ、手が震えた。

 人をよみがえらせる本ばかりだ。

 息をするのを忘れて眩暈がした。

 ナーダスは後ずさりすると、ローズはにっこりと笑ってこちらを見ていた。


「ノアが死んでしまって、わたくしの心はなくなりました。空の青さも自然の豊かさも、口にする食べ物、飲み物、何もかも味がしません。空気もおいしくない。アニスまでいなくなり、わたくしは誰とお話をすればいいのでしょう。誰も、わたくしの事になどかまけている暇はありませんわ。皆、自分たちの世界を守る事だけで精いっぱい。だから、わたくしは祖父の声に耳を傾けました」


 ナーダスは恐ろしさに首を振った。


「声を聞いたとは? あなたには亡霊が見えたのですか?」

「亡霊ではありません。祖父はずっとこの部屋にいてわたくしを待っていたのです」


 ナーダスはぞっとしてあたりを窺ったがすぐに我に返った。


「アレイスター城主は甦った。ご存知ですね」

「知っています。祖父はもうここにはいない。いるのは、わたくしだけ」

「あなたは一人ではありません」


 ナーダスが説得したが、ローズは聞こえていないようだった。

 ローズは机に広がっている書物に目をやり、繊細な指先で書物を撫でた。


「ナーダス、手伝ってくださるわね」

「何を…」


 ローズの目はしっかり見開かれている。

 いつものぼんやりした顔ではない、魔女の目つきだ。

 ナーダスはその目に縛られた。


「さあ、ここに手を置くのです。わたくしの手に重ねて結構よ」

「待って…、何をさせるのです」


 ローズの声に従いながらもなんとか抵抗をした。

 しかし、ローズの丸い瞳は強くて抗えない。

 ローズの指先は冷たく氷のようだった。


「あなたはアレイスター城主の二の舞になるつもりですか? アレイスター城主ですらできなかった事をあなたができるはずがない」

「ノアを返して!」


 ローズが叫んだ。

 初めて感情をむき出しにしたローズに、ナーダスは目を見張る。


「わたくしにとってノアは生きがいでした。彼がいなければわたくしは生きている意味はありませんっ」

「ローズ姫」


 ナーダスの手は無意識のうちに、ローズ自身に吸いよせられた。


「さあ、一緒に唱えるのです。あなたの声がわたくしと同調すれば、いっそう強い力を得られるでしょう」


 ローズの声にとらわれる。


 なんてことだ。


 ナーダスは心の奥で叫んだ。

 魔法を使ったこともない女性に、この青の魔術師が抗えないなんて。


 ナーダスの体は、ローズの操り人形のように動き、口の形、呼吸の仕方まで奪われた。

 ローズの唇が動く。


 ――ルージー、サウザー、リーベン、ケルブ、フォンテン、バスティン、ハイミー、セラフィン。


 聞いたこともない呪文だ。


 ナーダスは、体内の血液が沸騰するのではないかというくらい体が熱く感じられた。

 呪文を二人で唱えた瞬間、呪文が作動したのが分かった。

 辺り一面まばゆい光が発せられたかと思うと、全世界へと発動した。

 光を浴びてローズが気を失う。


「ローズ姫っ」


 ナーダスはぐったりと横たわる姫を椅子に座らせた。

 そして、急いで机に広げてある本のページを確認した。


 背表紙には持ち出し禁止のマークがあり、タイトルがない。

 内容を見て愕然とした。


 確かに、滅んだ肉体をよみがえらせる方法がいくつかあったが、今唱えた呪文は、その滅んだ肉体をよみがえらせるための序章、結界解除の魔法であった。


「まさか…っ」


 ナーダスは窓に駆け寄った。空を見上げる。


「あっ」


 青空が黒い雲に覆われている。


 フェンネルが張った強力な結界にひびが入り、黒い雨が降り出した。


「た、大変だっ」


 ナーダスは、ローズを抱きかかえるとドアに向かった。

 しかし、壁には隙間ひとつない。

 壁を扉に戻すには、ローズが呪文を唱えなくてはならない。


「ローズ姫っ、目を覚ましてくださいっ」


 ナーダスは必死で彼女の肩をゆさぶった。

 ローズは起きる気配はない。

 ナーダスは、頭を抱えた。


「フェンネルっ」


 叫ぶ声が届いたかどうか分からない。





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