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切ない気持ち




 ジュリアン・アレイスターは、ラベンダーに名前で呼ばれるのが嫌だった。


 アレイスターと呼ばれる方がよほどましなのに、ラベンダーは、アレイスターを抱き上げると、金色の巻き毛を撫でで、


「ジューリアス」


 と愛称で呼んだ。


 アレイスターが睨むと、ラベンダーはとろけるような笑みを浮かべて肩をすくめた。


「睨まないのよ」


 うれしそうに笑って、アレイスターの小さな頬を優しくつねる。

 すると、ゆりかごの中で眠っているラベンダーの娘、ラリーサがキャッキャッと声を上げて笑いだした。


「ほら、ジューリアスのこと大好きだって言っているわ」


 ラベンダーの娘は、父親と同じ金色の髪にラベンダー色の瞳をしていた。

 肌の色は雪のように真っ白で小さな唇はバラの花のように赤い。

 ラベンダーは自分が身ごもっている事を知らずにアレイスターを育てていた。


 アレイスターは赤ん坊の頃から力を持て余しており、自分で成長速度を速め、今では三歳くらいの年齢になっていた。

 アレイスターが一歳になる前の最初の言葉が、『ラベンダー、妊娠』だった。

 仰天したラベンダーは、まさか自分の事とは思いもしなかったが、やがてアレイスターがとうとうと話すようになり、自分の妊娠に気がついた。


 それから、北の領地に潜んでいる光る精霊たちに守られながら、無事に出産した。

 もし、アレイスターがいなければ、ラベンダーは流産していたかもしれない。

 妊娠を知った時は正直、戸惑いを感じた。

 そして、あの日の事を思い出した。


 最後の日、ローワンはとても優しくラベンダーのことだけをひたむきに思ってくれていた。

 あの日を思い出すたびに、ラベンダーは切なさに顔を覆った。


 今は後悔している。


 どうして、ローワンの優しい気持ちに答えられなかったのだろう。

 自分はなぜ、あんな質問をしてしまったのだろう。


 ――どうしてわたしと結婚したの? と。


 ラベンダーは、本当は答えを知っていたような気がする。

 ローワンは、王になりたかったのだ。

 彼がどれほど苦労して王の資格を得たのか、ラベンダーは子どもの頃からよく知っていた。


 誰より王になりたがっていた。

 ローワンの事を思い出すと胸が痛い。

 だが、痛みと同時に、子どもの頃から思い続けていた気持ちが溢れてきた。


 ローワンと離れて、時が過ぎるごとに、彼への気持ちが募った。

 娘を生んでからラベンダーの気持ちは大きく変化していた。

 大きな心でローワンと話をすればよかった。

 リリーオブとの関係をローワンに確かめた事は一度もなく、一方的に決め付けていた。

 自分の苦しみを伝えたこともなかった。


 ローワンは、翼を捨てたわたしをどう思っているだろう。

 時折、自分の背中にあった女王の羽を思い出す。

 誰よりも気高い気持ちになれた、命と同じくらい大切な羽。


 ――アニス。


 アニスは元気だろうか。

 ラベンダーは、ラリーサの小さな頬を撫でながら小さく息をついた。


 この北の領地には人間の形をした生き物はいない。

 前のウインタークイーンがこの地を離れた時に妖精たちはいなくなってしまった。

 しかし、強い意思を持った金色に光る精霊たちはじっとこの地に残って北の領地を守り続けていた。


 彼らは、ウインタークイーンが暮らしていた白い塔を守り、ラベンダーを歓迎してくれた。

 ラベンダーはすぐさま北の領地を守るべく結界を張ったが、アレイスターと娘をある程度育ててから、扉を閉じる準備に取り掛かるつもりでいた。

 焦ってはいなかったが、今も冥界から黒いモノたちが入りこんでいるのかと思うと、安心できる日はなかった。


「ラベンダー、僕の事をジューリアスって呼ぶのやめてよ」


 アレイスターがかわいらしい声で訴えると、ラベンダーは首を傾げた。


「なぜ?」

「なぜって、僕は大魔法使いなんだから、もっとふさわしい名前にしてもらいたい」

「ジュリアンってすごく素敵な名前よ」


 何度、この話をくり返したか分からない。


 アレイスターはため息をつくと、ラリーサの方へ手を差し出した。

 ラリーサがぎゅっとアレイスターの指を握りしめる。


「ラーラ、君からも何か言ってくれたまえ」


 ラリーサは無邪気に笑うだけで、アレイスターの指をくわえようとする。


「あら、お腹が空いているのね」


 ラリーサを抱き上げると、ミルクをあげようとソファの方へ移動した。

 アレイスターは、ふうっと息を吐いた。


「僕もお腹が空いたから厨房へ行くよ」


 と、声をかけると、ラベンダーは首を振った。


「ダメ。わたしから離れてはいけないわ」

「大丈夫だよ。ケーキか何かもらうだけだから」


 アレイスターはそう言うと、自分よりもずっと高い位置にあるドアノブを魔法で開けると部屋を出て行った。


「待ちなさい、ジュリアンっ」


 ラベンダーの叱る声と共に、ラリーサのぐずる声が聞こえたが、ドアが閉まってしまうと静かになった。


 アレイスターは、ふわふわと浮かんで厨房へ入ると、幽霊のように透明な者たちが一生懸命料理をこしらえている近くへ行った。

 光の妖精たちは半透明で人間のような形を作り、城のあちこちで作業をしている。


 男の姿をした光の妖精が言った。

 彼は厨房を取り仕切っている料理長だ。


 ――ジュリアン様、どうされました。


「お腹が空いたんだ」


 アレイスターが言うと、光の妖精がミルクを持ってきた。

 彼は頬を膨らませた。


「カスタードタルトが欲しい」


 そう言うと、光の妖精が顔をこちらに向けたが、顔がかたまっている。


 ――今、何とおっしゃいました?


「カスタードタルトだよ」


 光の妖精はかぶりを振って答えた。


 ――作り方が分からないのですが。


「しょうがないなっ」


 ジュリアンはふわふわと浮かびながら、厨房の中にある物を物色しようと辺りを見渡した。

 そして、小さく呟いた。


「僕もつくった事がないんだ。書斎で料理本でも探してくる」


 ――わたくしも参ります。


 二人は厨房を出ると、書斎へと向かった。

 書斎まで二人は無言だった。

 魔法でドアを開けて中へ入ると、本がびっしりと天井まである。


 アレイスターはぐるりと見渡すと、そう言えば、生前の自分は魔法の本しか読まなかった事を思い出した。


 ――この中にあるのでしょうか。ジュリアン様。


 光の妖精が心細そうに言った。

 アレイスターは、はっとした。


「もちろんだよ。僕が魔法で探すから君はそこに座っていなよ」


 アレイスターは小さな手をさっと広げて呪文を唱えた。


「カスタードタルトの作り方が乗っている本、ここに来いっ」


 しかし、部屋の中はシーンと静まりかえっている。埃さえ舞っていない。

 アレイスターはもう一度、唱えたが同じだった。


 ――ジュリアン様。


「分かってる」


 アレイスターは、やけになって本棚を覗き込んで一冊ずつ探す事にした。


「きっと分類がしてあるはずだから。君はこちら側から探してくれたまえ、僕は逆から探すよ」


 二人は手分けして懸命に本を探し始めた。


 本はきちんと分類されてあった。

 もしも、書斎に料理本があるとしたら、どこに置くだろう。

 読むのは料理長か城の主である奥方か。

 以前の奥方に料理の趣味があればの話だが。


 アレイスターはじっと目を凝らして探し続けた。

 光の妖精も懸命に探している。

 カスタードタルトのために、二人は一生懸命だった。


※※※



 ここはどこだろう…。


 シスルは途方にくれたように息を吐いた。

 ローワンを追いかけて数カ月、彼はほとんど休むことなく北へと走り続けていた。

 先ほどまで白い雪がちらついていたが、今は止んでいる。


 シスルの体はボロボロだった。


 しかし、ローワンはもっとひどい。

 彼の背に乗ることを許されたシスルは、ひたすら走るローワンにただ、しがみついていた。

 ローワンの体は血にまみれ、傷も癒えることもなく、生きているのが不思議なくらいだ。


「王様…」


 ここはどこかの森の中で、周りは全て銀世界だ。

 北の領地を知らないシスルはようやく北へ到着した事に気づいていなかった。


 休憩するために足を止めたローワンと、ひとときの安らぎを得ていたシスルは、うとうとしていたのか深く眠ってしまっていた。

 はっとして顔を上げると、誰もいない。

 シスルはぞっとして飛び上がった。


「ローワン王っ」


 叫んだが、自分の声は森の中に溶け込むだけだった。

 シスルは自分の身を守るように強く抱きしめた。

 雪の中で眠ってしまったせいか感覚がない。


 シスルの唇は紫色に変色し、目はうつろだった。

 しかし、彼女はしっかりと目を見開いた。


 落ちつくのよ、大丈夫だから。


 深呼吸したが、胸騒ぎは収まらない。

 こんな場所で一人ぼっちにされてしまったら、自分は生きてはいけまい。


 涙が出そうになりながらもあたりを窺った。

 雪に覆われた草叢から音がして、シスルは飛び上がった。


「誰っ?」


 のそりと現れたのは、血まみれのローワンだった。

 白い雪の上に点々と血だまりが落ちていく。

 まだ、アザミの傷が癒えていない。


 彼は何度も魔法を試したが、全てダメだった。


「王様っ」


 シスルは泣きつかんばかりに飛びついた。


「どこへ行かれていたのですか?」


 ローワンは何も答えなかった。

 彼はあれ以来、心を閉ざしたままだ。

 なぜ、狼の姿になっているのか、考えた事はあるのだろうか。


 シスルの前でローワンはしゃがみ込むと背中を差し出した。

 乗れ、という意味だろうか。


「王様、ケガが治っていません。もう暗くなります。どこか安全な場所を探しませんか?」


 ローワンは、シスルに唸った。

 シスルはびくっとしてローワンの背にまたがった。

 またがるなり、ローワンが猛スピードで走りだす。


 シスルが無我夢中でしがみついた時、茂みの中から黒い生き物が同時に飛び出してきた。


「あっ」


 シスルが顔を向けると、唾液にまみれ歯を剥き出して赤い目をした獣が二頭、真横に迫ってきた。

 赤い目をした獣は、ローワンよりもさらに大きな体をしていた。

 シスルは青ざめた。


「誰か、助けて…」


 呟くと、ローワンがさらにスピードを上げたのが分かった。


 黒い獣が飛びかかってきた。

 ローワンの首にしがみついていたシスルは投げ飛ばされた。

 雪の中に手をついて顔を上げると、ローワンと黒い犬が激しく絡み合っている。


 シスルは羽を広げると力を振り絞って空へと飛んだ。

 自分には傷を癒やす力しかない。

 非力な自分では、ローワンを助ける事ができない。


 誰か、助けを呼ばないと。

 飛び立とうとした時、もう一頭の獣が思い切りジャンプしてシスルの羽に噛みついた。


「きゃあっ」


 シスルは落下した。

 体を打ちつけて頭を打った。すぐさま、獣がお腹に向かって鼻づらを押し付けてシスルの体を宙に浮かせた。遊ばれるように何度も飛ばされる。


 シスルはふらふらする頭を押さえた。再び宙に投げ飛ばされる。

 次の衝撃に耐えようと体を丸めた時、ローワンが黒い獣の首に噛みついて一声吠えると、シスルに襲いかかるもう一頭の獣に向かって飛びついた。


 シスルは頭を庇いながら地面に叩きつけられた。

 ローワンが歯をむき出しにして戦っている。

 王の腕からは新しい血が溢れ、お腹にも傷があった。


「誰か…、誰か助けてくださいっ」


 シスルが叫んだが、誰も来てくれない。

 森の中は生き物など存在しないかのように静かだ。鳥すらも飛んでいない。

 シスルはお腹を押さえて、何かないだろうかとあたりを見渡した。

 太い木の枝を見つけた。両手でしっかりと握りしめ、ローワンたちへ近寄った。


 ローワンの足はふらふらしている。

 出血があまりにひどく目がうつろになっていた。

 シスルは歯を食いしばると手を振り上げた。


 黒い獣に向かって振り下ろしたが、なかなか当たらない。

 ローワンが素早く黒い獣の背中に噛みついた。

 一瞬の隙にシスルは棒を振り下ろした。

 急所に当たったのか、獣が悲痛な声を上げて倒れた。


 背後でどさっと大きな音がして振り向くと、ローワンが倒れていた。

 シスルは、ローワンに抱きついた。


「王様っ、王様っ」


 一番ひどい傷はどこだろう。


 シスルは彼の体をまさぐると、お腹に大きな穴が開いており、そこから血がどくどくと溢れていた。


「わたしはアザミの妖精よ。落ちついて」


 シスルは手をローワンのお腹に手を当てた。

 アザミが手から溢れて出てくる。

 それを同時にすりつぶし、液体を患部に当てて必死で血止めをした。


 血が止まるとローワンの呼吸が少しだけ楽になる。

 シスルは羽で彼を守る様にして目を閉じた。


 どれくらいの時が経ったのか、シスルははっと目を覚ました。

 腕の中にローワンがうずくまっている。

 こうしている間にまた次の敵が現れるかもしれない。


 シスルは閉じそうになる目をこじ開けた。

 ローワンの体は大きく自分一人では動かすことはできなかった。


「ローワン王、ご無事ですか?」


 声をかけたが、彼はピクリともしなかった。

 体は少しずつ冷えてきている気がする。

 シスルは青くなって彼の心臓に手を当てた。


 まだ動いている。

 離れるのは嫌だった。

 離れてしまったら、彼に何が起きるか分からない。


 シスルは、背中にローワンを乗せようと必死で彼を支えたが、どうしても無理だった。


「アニスっ」


 シスルは、ローワンにこんなひどい仕打ちをした張本人の名を呼んだ。


「助けてっ。アニス、助けてっ」


 届くことはないと分かっていても、シスルは叫んだ。





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