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妖精の国



 妖精の国では異変が起こっていた。


 妖精の王、ローワンは失踪し、その妻である女王ラベンダーは王位継承権を放棄して、その後に後妻の娘であるリリーオブが次期女王として君臨していた。


 リリーオブは、ローワンの子を身ごもっており、数日で出産だった。

 ところが、早産でリリーオブの子供は流れてしまった。

 母親のガーデニアは、悲しみに暮れる娘に優しく話しかけた。


「悲しまないで、リリー」

「お母さまは分からないのよ」


 リリーオブはすっかり痩せてしまい、豊満な胸もどっしりとしたお尻も小さくしぼんで、頬はこけてしまっていた。

 痩せて骨と皮だけになってしまった彼女は、鏡を見てはラベンダーとローワンに対する怒りに苦しんだ。


「ローワンを探しましょう。彼の子どもを宿すのです」


 母の言葉にリリーオブは鼻で笑った。


「できるわけないわ、彼に毒を持ったの、そのおかげでできた子どもだもの。二度とそんなチャンスは訪れないわ」


 自嘲気味に話すリリーオブに、母はシッと人差し指で制した。


「めったなことは言わないで、リリー。誰が聞いているか分からないわ」

「大丈夫よ、お母さま」


 リリーオブは悲しげに目を伏せた。


「誰もここには来ない。ラベンダーとローワンがいなくなり、妖精の国は小さくなりつつあるわ。守りの兵士をとどめておくだけで精いっぱいよ」


 妖精たちは自分の身は自分で守ろうと、集団でいなくなっていった。

 冥界の扉が開いてから、黒いモノたちが妖精の国の浸食を始めていた。


「ローワンがいたら、あんな奴ら消し飛ばしてくれるのに……」


 リリーオブは、たくましいローワンの事を思い浮かべた。

 彼は決して自分の物にはならない。

 あの男はラベンダーしか愛さないのだ。


 どんなに自分が彼を愛しているか。

 ラベンダーとの関係を壊そうと、母親と組んでラベンダーに毒を飲ませ、毎晩のように幻覚を見せた。

 おかげで、ラベンダーは、ローワンに対する信頼を失っていたが、彼はどこ吹く風で気持ちを変える事は出来なかった。


 リリーオブは苦い気持ちで唇を噛んだ。

 その時、ドアをノックする音に、母と娘ははっとした。


「誰?」


 ガーデニアが聞くと、おずおずと外からメイドの声がした。


「女王様にお客様がお見えになっています」

「客?」


 最近は、貴族も魔法使いも、誰も妖精の国を訪れない。


「誰かしら」


 母が不安そうな顔で言った。

 メイドは重ねて言った。


「メランポード様とおっしゃられます」

「メランポード?」


 聞いたこともない名前だ。

 母は断りましょうと言いかけたが、リリーオブはその女に会おうと思った。


「客間へお通ししなさい」

「かしこまりました」


 メイドが去り、リリーオブはソファから立ち上がった。


「会うの?」


 ガーデニアが心配そうに言った。


「暇だから、誰かとおしゃべりしたら気がまぎれるわ」

「衛兵を連れて行った方がいいわ」


 ガーデニアが物騒なことを言う。


「どうして? 一体、誰がわたしを襲うと言うの?」


 リリーオブがびっくりすると、ガーデニアは手を揉み合わせた。


「だって、ここはラベンダーの支配地だったのよ。彼女を追い出してわたしたちは除け者のような扱いを受けているのよ」


 ラベンダーの父である王は、ラベンダーが王位継承権を放棄したことを知った数日後に亡くなった。

 ガーデニアは守ってくれる盾を失い、心細く感じていた。


「自信を持ってお母さま、わたしたちは大丈夫よ。だって、わたしは女王なのだから」


 リリーオブは安心させるように母の手を優しく撫でると、ゆっくりと部屋を出て行った。

 その背中は細く、かつてないほど痩せてしまった娘を見て、ガーデニアは涙ぐんだ。


 客間へと向かったリリーオブは部屋に入ると甘い花の匂いに息を吸い込んだ。


「いい匂いね」


 顔を向けると、窓際に黒いドレスを着た女性が立っていた。リリーオブを見るなり、優雅にお辞儀をした。


「突然の訪問をお許しくださいませ、女王様」

「いいのよ」


 リリーオブは肩をすくめると、ソファに座った。

 女はかなりの美女だった。

 完璧なスタイルに赤い唇、茶色い目に黒髪だ。


 まっすぐな黒髪に乱れはなく、耳の横の髪を結い上げて、残りの髪の毛は背中へ垂らしていた。

 女からはバラの香りがしており、長いまつげを瞬かせてリリーオブを見つめていた。

 以前のリリーオブであれば、自慢の胸と甘い唇で生き生きしていたが、出産に失敗してからは暗く打ちひしがれていた。

 暗い目で女を睨むと、女は赤い唇の端を上げてにやりと笑った。


「初めまして、わたしはメランポードと申します」

「よろしく、メランポード。それよりも何かご用事かしら? この通り、妖精の国には何も残っていないのよ」


 メランポードは、ちらりとリリーオブのお腹を見た。


「聞きましたわ、女王様。お悔やみ申し上げます」


 メランポードの視線に、リリーオブは急にいらだちが込み上げてきた。


「要件をさっさとお言いっ」


 怒鳴ると、メランポードは片方の眉を吊り上げたが、顔は相変わらずニヤニヤしていた。


「わたしはあなたを救いに参ったのですわ」

「なんですって?」


 リリーオブは女の言い方にカッとなって立ち上がった。


 何と厚かましい女だろう。


 若く美しい上に、優位に立って何を求めようとしているのか。


 リリーオブは、女につかみかかろうとすると、突如、メランポードが手を振り払い、リリーオブの体は壁に吹き飛ばされた。

 強い力ではなかったが、衝撃のあまり声を出せなかった。

 リリーオブはおびえた目で、メランポードを見つめた。


「魔女?」

「ええ。わたしは黒い魔女。冥界の扉を開けたのは、わたしよ」


 リリーオブは全身に鳥肌が立つのを感じた。

 緊張で息苦しくなる。


「わ、わたしを殺しに来たのね?」


 足が震えて立つことができない。

 黒い魔女はリリーオブに近づくと、彼女の顎に指を添えた。


「いいえ、違うわ。さっきも言ったけど、あなたを救いに来たの」

「どういうこと?」


 リリーオブは小さくなってメランポードを見上げた。

 メランポードは優しい声を出した。


「ラベンダーに子どもが生まれたの」

「え…?」


 リリーオブは一瞬、ぼんやりした。


「もう一度、言って…」


 声がかすれる。

 ラベンダーに子ども? 

 そんなはずはない。


「誰に誰の子どもが?」


 頭がぐらぐらした。

 メランポードは、リリーオブの頭をあやすように撫でた。


「もちろん、ローワンとの間に生まれた子どもよ。ただ、ローワンは知らないけど、それはもうかわいい女の子を産んだのよ、あの女は」


 メランポードの言葉を信じれば、リリーオブは頭がどうにかなってしまいそうだった。

 リリーオブは喉を抑え、もがくようにして頼んだ。


「水、水をちょうだい」

「いいわ」


 メランポードが水差しの水を汲んで渡した。

 リリーオブはそれを奪うと一気に飲んだ。

 飲みほしてから魔女を睨みつけた。


「わたしを苦しめに来たのね」

「違うわ」


 メランポードは呆れた口調になると、リリーオブの肩を小突いた。

 リリーオブは床に両手をついた。


「さらうのよ」

「え?」

「ラベンダーの生んだ宝物を奪うの。それを言いに来たのよ」



 リリーオブは、思わず笑いそうになった。


 ラベンダーの赤ん坊をさらう?


 しかし、彼女は笑えなかった。


「名前は何と言うの?」

「ラベンダーの子どもの名前? ラリーサよ」


 ラリーサ。


 ラベンダーの子どもの名前。

 ローワンの子ども。

 自分がどうしても授かりたいと願った赤ん坊。


 リリーオブは血が滲みでるほど唇を強く噛んでメランポードを睨みつけた。

 涙があふれだす。

 リリーオブは狂おしい気持ちで、胸をかきむしった。


「やはり、あなたはわたしを苦しめに来たのね。わたしにラベンダーの子どもを奪わせて何をさせたいと言うの」


 メランポードはにやりとした。


「赤ん坊はまだ母親が分かっていないわ。あなたが母親になればいいのよ。ローワンとの間に生まれた赤ん坊で、しかも女の子なら、確実に女王の資格を持っているわ」


 女王の資格。


 わたしの赤ちゃん…。


 リリーオブは遠くの空を眺めた。

 黒い雲が妖精の国の半分以上を覆っている。

 メランポードは、リリーオブに近づくと耳元で囁いた。


「あなたにこの国を治めて欲しいの。ティートゥリー王からの願いよ」


 リリーオブは大きく目を見開いて体をすくめた。

 聞いたこともない名前だ。


「誰なの? ティートゥリー王とは?」


 リリーオブの問いに、メランポードは目を細めた。


「これから世界を統治する我々の王の名前よ」


 その瞬間、リリーオブの部屋に氷のように冷たい空気が入り込み、部屋の中が氷のように冷たくなった。


「ひっ」


 リリーオブが小さく悲鳴を上げた。

 何かが首筋をつかんでいた。


「助けっ…」


 リリーオブが大声を上げようとすると、頭に声が響いた。


 ――静かにするのだ。妖精の女王。


 リリーオブは声を聞いた瞬間、戦慄が走った。

 見えない相手の長い爪が首筋をかき切ったのか、生温かい血が胸の方へ滴るのが分かった。


「こ、殺さないで…」


 ――殺さないさ、美しい女王よ。


 声を聞いてはならない。

 それでも、声は頭に響いてくる。


 ――妖精の女王よ。パワーが欲しくないか?


 囁き声が大きくなって頭の中を支配している。

 リリーオブは、かろうじて意識を失わずに聞いていた。


 ――これを食べれば、お前は思いのままに動けるようになる。ラベンダーよりも強力なパワーを得ることができるぞ。


 目の前に差し出されたのは、赤黒い物体だった。

 リリーオブは見た瞬間、胃の中の物を吐きそうになった。

 心臓が早鐘を打ち始め、警鐘を鳴らしている。


「こ、これは何?」


 リリーオブは聞いてから後悔した。


 ――何って心臓だよ。


 声が笑っている。

 リリーオブは、ほとんど白目を剥いており、息が止まりそうなほどの恐怖に駆られていた。


 ――おっと、死なれては困るのだがな。


 メランポードが素早く動き、半分失神しているリリーオブの口をこじ開けて、まだぴくぴくと動いている心臓を口に押し込んだ。

 テーブルに置いてあったワインのコルクを抜くと、さらにリリーオブの口に流し込んだ。

 リリーオブの手足がぴくぴくと痙攣をしている。

 メランポードは、リリーオブのお腹を殴って全てを飲みこませた。

 どさっとリリーオブが床に倒れる。


 ――死んではおらんだろうな。


 いらだった声がメランポードを取り囲んだ。

 メランポードは頷いた。


「生きております。すぐにこの女は覚醒を始めます。目覚めた時、素晴らしい世界を目の当たりにするでしょう」


 メランポードの言葉を聞いて、ティートゥリー王は気配を消した。


 メランポードはごくりと喉を鳴らすと、額に滲んだ汗を手袋でぬぐった。

 その時、頬をぬるりとした感触にぎょっと目を見張る。

 いつの間にかお腹に痛みを感じた。

 おそるおそる下を向くと、お腹から血が出ている。

 ティートゥリー王の苛々した感情だけで、皮膚が裂けていた。


 手を当ててケガを治そうとしたが、できなかった。

 メランポードは口を噛むと、力が足りない、と呟いて消えた。




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