ドレス
「疲れたでしょう」
部屋に案内され、落ち着くまでと、ローズがそばにいてくれていた。
カオルはこくんと頷いた。
部屋の装飾を見て一瞬、あまりの美しさに目を奪われたが、すぐにアキオのことを思い出した。
ローズは、カオルの肩を優しく撫でた。
「着替えを用意したの。わたしのドレスだけど合うかしら」
部屋にあるベッドの上に数枚のドレスがあった。
ほとんどが淡い色のドレスで見とれてしまった。
「そんなダメです…」
「もういらないドレスだから。捨てるのももったいないでしょ」
ローズは一枚を手に取ってカオルの体に当てた。
「何でも似合いそうね」
スカートにフリルのついたピンクのドレスを見て、カオルは首を振った。
こんなかわいいドレスが似合うはずがない。
しかし、手伝ってもらいながらドレスを着るとぴったりと体にあった。
「とても似合うわっ」
うれしそうなローズの言葉に、カオルは思わず笑顔になった。
「本当ですか?」
「こっちへ」
サテンウッドの姿見の前へ連れられ、鏡に映った自分を見てカオルはぽかんと口を開けた。
「これがわたし?」
見たこともない少女がフリルのついたドレス姿で立っている。
自分の顔を触ってみても実感がわかない。
「これはわたしじゃないわ…」
「あなたよ」
ローズは笑って肩を静かに撫でた。
「チェストにいろいろ入っているから、好きなのを使ってね。疲れたでしょう。少し休むといいわ」
ローズはそう言うと部屋を出て行った。
カオルはもう一度、鏡を見てため息をついた。
アキオが驚くのも無理はない。
この姿を見て、カオルだとは思わないだろう。
茫然としたままベッドに座りこむ。
ほっとしたとたん、アキオの言葉を思い出した。
アキオは思っていたほど、自分の事が好きではなかったのかもしれない。
そう思うと、胸を締め付けられるほど苦しい気持ちになった。
初めてアキオに拒絶された。
アキオはいつも隣にいて自分を気にかけてくれた。
いつだって助けに来てくれたのに。
カオルはいつもアキオに対して冷たい態度を取っていた。
急に不安でお腹が痛くなる。
アキオがいなくなったらどうしよう。
一人であっちの世界へ戻ってしまったら――。
カオルは不安でたまらず、部屋を飛び出した。
長い回廊が続いている。
右も左も分からない。
カオルは探すのをあきらめて部屋に戻った。
アキオと話をしなくてはならない。
一度、焦る気持ちを落ちつかせようと、深呼吸をした。
ここが城であるならば、呼び鈴があるはずだった。
部屋の中を探すとヘッドボードの脇に呼び鈴があった。それを引いてみる。
しばらく待って様子をみた。
誰が来るだろう、とそわそわしていると、部屋をノックする音がした。
ドアを開けると、素晴らしく綺麗な銀髪の少女が立っていた。
長い銀髪を無造作に結い上げた、白い肌の少女。
カオルは唖然として呟いた。
「エヴァンジェリン…」
どうしてわたしは初めて会った人の名がわかるの?
自分でも驚いていると、名前を呼ばれた少女は眉一つ動かさず無表情で薫を見つめた。
「お呼びになりましたか」
中に入る様に言うと、少女は黙って部屋に入ってきた。
カオルは、エヴァンジェリンをじっと見て言った。
「あなた、名前は?」
「エヴァンジェリンと申します」
「やっぱり!」
カオルは興奮して、さらにエヴァンジェリンを見つめた。
エヴァンジェリンは、カオルの年齢よりも少し若い。
きめ細かい肌にはそばかすひとつない。
まっさらの肌をしている。どう見ても人間ではない。
「何か?」
エヴァンジェリンが聞いてきた。
カオルは首を振った。
「ねえ、教えて欲しいの。アキオの部屋はどこにあるの? 連れて行ってくれないかしら」
「アキオって誰?」
エヴァンジェリンは顔色も変えずに聞いた。
「わたしと一緒にいた男の子よ」
「知らないわ」
エヴァンジェリンが首を振った。
「誰かに聞いて探しに行ってよ」
「わたしが?」
エヴァンジェリンが眉をひそめた。
「ええ、あなたがよ」
カオルがじれったそうに言うと、エヴァンジェリンはふうと息を吐きだした。
「わたしは主の命令しか聞きません」
「なら、何でここに来たのよ」
「呼ばれましたから」
「だったら、わたしの頼みが聞けるでしょ」
「ご主人さまに聞いてみます」
「もう、いいから早くしてよ」
エヴァンジェリンは無表情のままくるりと背中を向けた。
カオルは、慌ててエヴァンジェリンを追いかけた。
エヴァンジェリンが足を止めて振り向く。
「なぜ、ついてくるのです」
「あなたはどこへ行くの?」
「わたしは部屋に戻るのです」
「誰か親切な人はいないの?」
カオルがいらだちを隠さずに言うと、エヴァンジェリンはカオルを見つめた。
「あなた妖精ですね。妖精ならば自分の事は自分でするべきです。人にばかり頼んでいないで」
「わたしは妖精になったばかりなの。方法がさっぱり分からないのよ」
「分からない?」
エヴァンジェリンが器用に片方の眉をひそめた。
「分からないとは一体どういうこと?」
「とにかく分からないの」
エヴァンジェリンは、大きく息を吐きだした。
「ついて来なさい」
命令されて一瞬、むっとしたが、カオルはエヴァンジェリンの後を追った。
どうして自分はエヴァンジェリンの事が分かったのだろう。
他にもいろいろ不思議なことがたくさんあった。
アレイスター城の悪魔のローズ姫。アニス。
記憶は曖昧だったが、何かの書物で読んだというのは嘘だった。
カオルは小さい頃から夢日記をつけるのが趣味だった。
『ラーラの日記』と題した日記帳に、さまざまな出来事を書き記していた。
ラーラというのは、カオルのハンドルネームだ。
アキオとの通信時の暗号で、好きな雑誌のタイトル名から取った。
『ラーラの日記』
つまり、自分の日記には、小さい頃から見た夢を全て書き写してきた。
まさか、それらが現実に起こっていたとは。
前を歩くエヴァンジェリンは、振り返りもせずにすたすたと進んでいく。
カオルは見失わないよう必死で追いかけた。
どこへ行くのだろう。
エヴァンジェリンは、使用人が使う裏の階段を上がって行った。
すると、城の頂上に着いた。
空は星がまたたいている。
「わあ…綺麗」
星を見るのも初めてだ。
きらきらと輝く星にうっとりと見とれていると、背後に立ったエヴァンジェリンが突然、カオルの背中を押した。
「え?」
カオルが振り返る前に自分の体はふわりと宙を浮き、まっさかさまに地上へと落下していった。
助けてっ。
カオルは手をバタバタさせてもがいたが、体は一気に下へ下へと落下した。
「翼を広げるのですっ」
気がつくとエヴァンジェリンが真横にいて、飛んでいる彼女は自分を見ている。
しかし、カオルはそれどころではなかった。
カオルの体はあっという間に落下して、地面へと叩きつけられた。
全身が砕けたかと思ったが、そうはならなかった。
エヴァンジェリンがぎりぎりの位置で手を引いていたため、地面から少しだけ浮いた場所で制止していた。
カオルは息を止めて目を閉じていたが、何が起こったのか分からなかった。
地面に両手がつくと、自分は彼女に殺されかけた事を知った。
「な、なななんでこんな事を…っ」
心臓が止まりそうなほどドキドキしている。
エヴァンジェリンは無表情のまま息をついた。
「もう一度」
「は?」
「もう一度やりますか」
「なんですって?」
カオルは耳を疑った。
冗談じゃない。今日、異世界から来た自分を城のてっぺんから落としておいて謝りもせず、もう一度する、と言うのか。
「あ、あなた、何を考えているのっ」
「あなたは妖精です。妖精にはやり方があるのです」
「わたしは人間よっ。失礼ねっ」
エヴァンジェリンは目を細めた。
「では、わたしにはもう用事はないですね」
「ちょっと待ってよ、外に連れ出されたりしたら戻れないわよ」
エヴァンジェリンはふわりと宙に浮くと上へ行ってしまった。
カオルは唖然と銀色の妖精を見て、口を開けた。
「嘘でしょ、あいつ、わたしをここへほったらかして行ってしまったの?」
カオルは辺りを見渡した。
森の奥は暗闇が広がっている。
城の方へ顔を向けると、エヴァンジェリンはすでにいなくなっていた。
壁伝いに入り口を探そうと歩き始めた。
しかし、行けども入り口は見当たらない。
カオルは泣きそうになった。
どうして入り口がないの?
城のそばから離れると危険なのは分かっていた。
夢日記によると、ノアが殺されて冥界の扉が開いているのだ。
いつ、敵が来てもおかしくない状況にある。
アキオっ。助けてっ。
カオルは、その場にしゃがみ込んで膝を抱えた。
※※※
アキオはベッドに横になっていた。
体がだるくて力が出ない。
このままじっと横になっていたかった。
しかし、カオルを拒絶したことが気になって、眠ることはできなかった。
むくりと起き上がり、少しだけ体が回復したのを確認すると、そっと部屋を出た。
カオルの部屋の場所は確認してあった。
同じ回廊にあるカオルの部屋に行くとドアをノックした。
返事がない。
眠ってしまったのかもしれない。
二人とも恐ろしい目にあったのだ。
きっと眠っているだろう。
アキオはそっとドアを離れて部屋に戻ることにした。
さっきまで自分は疎外されている気分でいた。
しかし、フェンネルという魔法使いと話をしたことで、気分はだいぶ落ち着いた。
何も力を持たない自分にも見えない力があるのだと教えてくれた。
自分に力があるのなら、役に立ちたい。
部屋に戻る途中、ジョーンズと銀色の髪の少女が話をしているのが見えた。
ジョーンズは怒った顔で少女を睨んでいる。
アキオはそっと二人に近寄った。
「どうしたんですか?」
アキオが尋ねると、ジョーンズが驚いた顔で口を開けたが慌てて首を振った。
「い、いや、何でもないよ。大丈夫だから」
「え?」
ジョーンズの様子がおかしい。
怪訝な顔をすると、少女が頭を下げた。
「カオルは外にいます」
「は?」
アキオはびっくりして、ジョーンズを見上げた。
ジョーンズがうめくように答えた。
「エヴァンジェリンにカオルの世話をするように頼んだら、カオルは外にいると言いだしたんだ」
「なぜ、外にいるんですか?」
少女は澄ました顔で答えない。
「エヴァンジェリン、なぜ、カオルを外へ連れ出したんだ」
少女がジョーンズの質問に答える。
「連れ出したのではございません。彼女は力の使い方が分からないと言ったので、教えてあげたんです」
「教えてあげたとは?」
「空を飛ぶ方法です。妖精のやり方を教えました」
「彼女は人間だぞ」
ジョーンズが叱ったが、エヴェンジェリンは聞いていなかった。
「彼女は妖精です」
とだけ答えた。
「聞くのが怖いが、すぐにカオルを探しに行こう。エヴァンジェリン案内しろ」
エヴァンジェリンは頷くとさっと身を翻した。
ジョーンズが後を追う。
アキオも急いでその後を追った。
「君は部屋にいなさい」
振り返りざまジョーンズが言った。
「嫌です。俺も一緒にカオルを探します」
ジョーンズはそれ以上何も言わなかった。
扉から外へ出て森の方角へと走る。
しかし、エヴァンジェリンが指示した場所にはカオルはいなかった。
「いない」
アキオが茫然と言った。
「移動したんだろうな」
ジョーンズが悔しそうに言った。
「自分で中に入ろうと扉を探したんだろう。きっとこの辺りにいるはずだ」
「カオルっ。どこだっ?」
しかし、アキオの声はむなしく暗闇の中に溶け込むだけだった。
「近くにいれば気配をたどることができるかもしれない」
ジョーンズが呟いた時、アキオは手首に埋め込まれた液晶を思い出した。
「衛星が使えたら」
そう言って手首の真っ黒の液晶を叩くと、ジョーンズが顔をしかめた。
「なんだい、それは」
「これはコンピュータです」
ジョーンズは顔をしかめた。
――人間にこんなものを埋め込むなんて。
画面は真っ暗なままだ。やはり、液晶は動かない。
「それはいつ君の中に埋め込まれたんだい?」
「さあ、生まれた時にはあったから」
「信じられない」
ジョーンズが苦しげに言った。
「痛いわけじゃないから」
アキオは、ジョーンズをなだめて手首を隠した。
機械に頼っている時代じゃないのだ。
頭で考えて行動をしなくてはいけない。
「手分けして探しましょう」
「そうだな、壁伝いに行こう。エヴァンジェリンは反対側を頼む」
「分かりました」
壁伝いにジョーンズとアキオは歩いて探すことにした。
※※※
闇がいっそう深くなった気がする。
カオルは顔を上げて、息を吐きだした。
座っていても誰も来てくれないかもしれない。
あのエヴァンジェリンには感情というものがないように思われた。
カオルがどんな思いで取り残されたか想像もしないだろう。
カオルは立ち上がり深呼吸をした。
自分の手のひらを見つめる。
もし、わたしが妖精であるのなら飛べるのかも知れない。
でも、どうすればいいのだろう。
妖精は一体何ができるのだろう。
妖精と言ってもいろんな種族がいる。自分には何ができるのか。
想像してみた。
空を飛んだり動物や生き物とおしゃべりをしたり、他にも魔法を使ってみたい。
誰かと話ができたら。そうだ、生き物に助けを求めるのはどうだろう。
カオルは地面にしゃがみ込むと生き物を探した。
何か動くものはないだろうか。
じっと目を凝らすと、黒い昆虫がいた。コオロギに似ている。
――ねえ、ねえ、黒い虫さん、わたしの声が聞こえたならこちらを見て。
コオロギに似た昆虫はぴくりと全身を動かした。目が合った気がする。
しかし、昆虫はガサガサと草叢に潜ってしまった。
「はあ…」
カオルはため息をつく。
やはり、無理だ。
どうしてこんな事になったのか。
考えるとエヴァンジェリンに対して激しい怒りが沸いてきた。
あの少女はジョーンズの使い魔だ。
主人以外の命令は聞かないのかもしれないがこれではあんまりだ。
憤慨して地面を踏みつけると、頭上から冷たい風が吹いてきてカオルはぞっと寒気がした。
顔を上げたが何もない。
しかし、首筋を冷たい何かが触れている気がする。
「何? 誰かいるの?」
――ここにいて。
「え?」
カオルは体をすくめた。
冷気がまわりを取り巻いている。
寒くて歯がカチカチと鳴った。
「誰なの? 助けてっ」
パニックになりかけた時、
――この場所から動いてはいけないわ。
と、声は冷静に響いた。
「女の子?」
肩をすくめていると、冷たい風はそれからすっと消えた。
「カオルっ」
アキオの声がした。
どこからかアキオとジョーンズが走って来た。
「アキオっ」
カオルはアキオに抱きついた。
「怖かったわ」
「そのドレス…」
カオルは、すぐそばにアキオの顔があってどぎまぎした。
体をそっと離す。
「ローズ姫がくれたの」
「よく似合っているよ」
アキオが見つめたまま答えた。
「ありがとう」
はにかんでカオルは頬を染めた。
「早く城へ戻ろう」
「アキオ、ここに何かいるの」
「え?」
アキオがぎょっとする。
「なんだって?」
「不気味な声が、ここを動いてはいけないって言ったのよ」
「声?」
ジョーンズが怪訝な顔であたりを窺ったが、何も感じないのか首を振った。
「フェンネルが結界を張っているからおかしなものが入りこむことはないと思うんだが」
「低い女の子の声だった」
カオルが震えると、アキオが優しく言った。
「体が冷えている、城の中へ戻ろう」
「うん」
アキオに寄り添いながら、カオルは自分より背の高い彼を見上げた。
彼は先ほどとは打って変わって生き生きとしている。
「アキオ?」
「ん?」
「何かあったの?」
「え?」
アキオが驚いた顔をしてから苦笑した。
「ごめん、この世界へ来てから混乱して苛々していたんだ。これからはずっとそばにいてカオルを守るから」
アキオの言葉にカオルは全身が熱くなった。
顔を上げることができずうつむく目頭が熱くなってくる。
涙がこぼれないよう必死でこらえた。
「気分でも悪い?」
「いいえ」
アキオの優しい言葉がこんなにもうれしいなんて。
カオルは唇を噛んだ。
自分が醜い姿でいた時、アキオは同じ言葉をかけてくれただろうか。
そして、自分も素直にうれしいと感じることができただろうか。
見かけが変わっただけで、周りの世界も一変した事にようやくカオルは気付き始めた。