みなしご一人旅
人生は旅に似ているといった人が居た。
時間の流れに逆らいながら小さな小船をこぐ一人旅
連れはいない。
たまには船に乗り込む人がいたが、いつの間にかいなくなってしまった
激流があり、大きな流れがあり、運河があり
たまに、たくさんの人を乗せた観光船が通り過ぎるが
わたしはそれに便乗しない
いつもひとりで川の流れに逆らい、オールをこいでいる。
だれか、このオールを一緒にもってくれないかなあ
と思うこともしばしばあるが、そんな依存心はどこかに捨ててしまった。
多分通り過ぎた古い池の真ん中に。小石のように。水切りをするように
波紋が幾重にも広がった。わたしは波紋の真ん中の点にすぎない
孤児、という言葉がぴったりくる
わたしは母親を知らない
この世界に生まれて、なんとかひとりでやっていけるのは
わたしを産んでくれた人が居るからで、わたしはそのひとに感謝をしなければ
ならないと思うのだが、そのひとは自分の感謝など、鼻くその役にも立たないと
言い張るので、わたしはその人の前では気配を消し、にこやかに笑いながら
フェイドアウトした。
つまりは、独りだ。
独りが好きでたまらない。
そこに居るのに心が通じない陰のような人々の間にまぎれていると
自分がほんとうに陰になったようなやるせなさを感じる。
でも、しかたないのだ。
わたしの感性は鋭すぎるのだ。この世の中をわたるには
多少図太く、鈍感でないといけない
夕べどんな悲しみにくれたとしても、朝にはすっかり忘れて
おはよう、と目を擦りながら顔を洗い、歯を磨き、ご飯を食べられる
図太さ。暮らしていける強さ。
働ける健康さ。
そういうのがわたしには、ない。
昨日の悲しみは朝に引きずり、
今日の悲しみはあさってに引き継がれる
えんえんと果てしない愚痴を胸にかかえて
石のような心の荷物を胸に抱えて。
そうやって生きてきた。
それはわたしのせいではない。だれのせいでもない。
親にかわいがられない子はその子に責任がある。
誰かにそういわれたときに、自分の胸に思い当たるふしがあった。
そうだ。
わたしは、親にさえかわいがられなかったのだ。
どうして他人様に愛をもらえるなどと傲慢な考えを持つにいたったのか。
わたしは、たぶん今でも戸籍上は夫となっている人の事を思う
わたしはあの人を愛してさえ居なかったのだ
捨てられた母親の機嫌を取るために、母親の見栄を満足させるために
職業と結婚したのだ。ああ、すまなかった
わたしは夫にしんそこそう思った。夫をかわいそうだと思った
だけど
やはり、夫もまた、妻となる女に愛されない業をもって生まれた人なのだ
人間はみな、平等なのだ、何がしかの宿命を背負っている、というただ一点においては。
わたしは、目を瞑る。
この寂しさを抱える。
時の川岸をオールをこいでせっせと大河の河口付近までこぎ続ける。
やがて川は海にたどり着く。
たどり着いた場所が、今生の船着場、死という状態だ。
いつかはそこにたどり着く。生きている以上誰でも。
そして、その湊から再び次の湊を目指して漕ぎ出していく
いのちに終わりはない
わたしは、そう思う。