その時あなたは誰と、誰を想ってその時計を見る~ヒロト編
瞬くと、ひっきりなしに開く自動ドアの向こうから、楽しそうな初詣客が入ってきた。
誤算だった。
そうヒロトは思う。
平日は閑静な住宅街で、きっと楽だろうと思って働き出したコンビニの近くに神社があったなんて。
それに見栄を張って地元に帰らず、そのくせ一人では寂しいからとバイトを入れた結末がこんな悲劇を招くなんて。
大の労働嫌いのヒロトでも、次々と出される買い物籠を処理しないことにはあっという間に行列が出来てしまう状況に、仕方なしにでもレジ打ちをしないわけにはいかなかった。
「っらっしゃいませー」
「なあ、あんちゃん、おまえ、何で大晦日の夜にこんなバイトしてんの」
客の顔などいちいち見ていなかったが、さすがにそんな質問をされてヒロトは顔を上げずにはいられなかった。
視線の先には中年のおっさんが顔を上気させて笑っていた。
「未成年か? まあいいや、これやるよ」
そう言って差し出されたウィスキーの小瓶を睨みつけながら受け取る。
幸せな家族を持つおっさん。
でも、幸せってなんだ?
好きでもない仕事に精を出して、はした金を稼いで、ひいひい言いながら家族を養っている。
それで、年末、コンビニで安酒を買い漁って勝ち組の顔をして帰っていく。
それって幸せ?
ヒロトは違うと思う。
人生一度きり、やるならやらねば。
どこかのお笑い番組で聞いたフレーズがそのまま彼の人生の座右の銘になった。
高校一年で地元のバンドコンテストに優勝して、その勢いで上京した。
誰も彼についてくるものはいなかったが、彼はその時、一人でもイケると確信していた。
自分には才能があり、運があり、それをものにする行動力もあると。
当然、上京に反対した親から援助はなく、彼はバイトで生計を立てながら身一つで音楽活動を続けた。
自分は強いメンタルの持ち主と信じて疑わず、極貧生活にも耐え忍んできた。
しかしどうだろう。
上京して三年、夏の暑い日に一曲搾り出した後、それまで湯水のように湧いて出ていたアイデアがはたと途絶えてしまった。
ギターを抱えたまま頭を抱える日々が続いた。
そして半年が過ぎようとしている。
そして年が今日、越してしまう。
ヘトヘトになったバイトの帰り道、彼は漠然と灯る明かりの方へ足を向けていた。
「おい、ダイスケ、起きてんだろ? 起きてないならウソだからな」
留守番電話に切り替わった携帯に向かってヒロトは自棄気味にそう告げる。
「なんだよ」
「いるなら早く出ろよ」
「こっちだって色々忙しいんだよ」
普段穏やかなダイスケが少し声を荒げて、途端にヒロトは申し訳ない気持ちになる。
「悪かったよ。勉強頑張れよ。あと、よいお年を」
「なんだよ、それだけ?」
「それだけって、気を使ってすぐに切ってやろうとしたのに」
憤って言ったが、まじめに勉強を頑張っているダイスケを想像すると、ヒロトはあまり凄めなかった。
「勉強、はかどってるか」
「まあ、ぼちぼちだよ」
「もうすぐ12時だぞ」
「そうか」
「気にせず勉強か?」
「恐らくそうだろうね」
「じゃあ、気づいたときには年を越しているって訳か」
「まあ、そうだろうね」
ダイスケはいつも、揺るぎない答えを出す。
幼少時代はひ弱だった彼が、いつからそんなに強くなったのか。
ヒロトはそれを、ダイスケが夢を持ったときだと知っていた。
「いいなお前は、目標がはっきりしていて」
「お前だってそうじゃん」
「・・・俺はもうだめかもしれん」
ヒロトはつい本音を零す。
「分かるよ、その気持ち」
するとダイスケから思いもよらない答えが返って来た。
「俺も毎日、その気持ちと戦っているんだ」
ヒロトはその時、初めて彼が自分と同じ状況にいることに気づいた。
「人ってそういうもんだろ」
そして、自分より、より明確なビジョンと強い決意を持っていることにも。
「お前は強いな」
「なんで、俺はいつもヒロトを見習って頑張ってるんだよ」
「そんなことあるか、お前はお前で頑張ってるんだ。俺は口ばっかで曲の一つも書けなくなったヘタレだ」
「でも、そこで苦しんで、踏ん張ってるじゃん」
俺も頑張るから、といってダイスケは通話を遮断した。
「カッコイイこと言いやがって・・・」
ヒロトは苦く微笑みながら歩く。
明かりは神社から漏れたものだった。
境内に続く石段に自然と足をかける。
無心で階段を上っていると、携帯電話が震えた。
「今度はお前か」
ヒロトが言うと、受話器の向こう側のマサクニが笑う。
「だれかかけてきてたのか?」
「おう、ダイスケと今さっき話したよ」
「ひどいな、あいつ、今、切羽詰ってるだろうに」
「ああ、励ましてやろうと思ったけど、逆にこっちが励まされちったよ」
石段を上りながらヒロトは笑った。
眼前に社が見え、仄かにお焚き上げの炎の色が見えた。
「夢を追いかけている同士、通じるものがあるんだろうな、二人は」
「なんだよ、エリートさんには夢がないって言うのかい」
「探している最中、とでも言っておこうかな」
少しの沈黙の後、マサクニはそう答えた。
「じゃあ、何で大学にいくんだよ。おれはそれがわからないね」
「僕にもそれは良くわからない」
ヒロトの問いに彼は素直に答える。
「言うなれば、時間稼ぎみたいなもんだな」
「時間稼ぎねぇ。そんなことをしてる間に何もできなくて終わっちまうことがないように俺は祈っているよ」
マサクニはその言葉に思わず息を飲んだ。
「僕が最近抱いていた感情がそれかも知れない」
彼は正直にそう打ち明ける。
「バカじゃないの? そんなの誰でも持ち合わせている感情だから」
そんなマサクニにヒロトは悪びれずにそう言う。
「お前、本当は何で今年、地元に戻らなかったの?」
唐突にそんな質問をぶつけてみる。
「わからないけど、このままじゃいけないと思ったんだ」
「ほう、それはお前にしては上出来な考えだね。お前はきっとこれまで、これでいいって人生しか歩んできてないだろうから」
石段を上りきると境内ではすでにお焚き上げが始められていて、お札やお守りが燃える芳ばしい匂いが立ち込めていた。
「地元に帰らなかったから新しい自分になれるとは思っていないんだ。帰ってお前達に会うと、その後が結構キツクてね」
「なんだそれ、そんなの俺もだし。俺だってまさにそうだから」
ヒロトの同意に、マサクニは暫く黙り込んだ。
その間、除夜の鐘が遠くで細く深く響いた。
「なんだ、お前も同じかよ。なんかやだな」
「なんでだよ」
そんな遣り取りで二人は笑う。
「でもタケシの奴、今頃きっとそわそわしているだろうな」
いつの間にか普段どおりの柔和な口調にもどってマサクニが言う。
「そうだな、あいつきっと、何もすることなくてテレビのチャンネル回しまくってレミに怒られてるだろうな」
そんな情景がリアルに思い浮かび、ヒロトはニヤニヤしてしまう。
「かわいそうだから年明けたら、様子見に行ってやろうぜ」
彼の提案にマサクニは快く同意した。
よいお年を、と言い合って二人は通話を遮断した。
電話をしまうと年が明けるのを待つ人の行列をぼんやりと眺める。
もうすぐ十二時を迎える。
ヒロトはお焚き上げの炎に目をやりながら再び携帯電話を取り出した。
「なんだよ裏切り者」
タケシが電話に出ると第一声にそんなことを言った。
「いやいや裏切り者じゃねぇし。ってか心配してかけたやったのにひどい最初の一言だな」
「俺がお前に何を心配されるんだ? お前は何もおれに対して心配しなくていい。むしろ俺がお前を心配するほうだから」
「なんだよ折角年末年始を共に迎えてやろうと思ったのに。どうせお前、チェンネル廻しすぎてレミに怒られたりしたんだろ?」
「ばか、何でわかんだよ。ありえねぇ」
「やっぱり」
ヒロトはタケシの反応が可笑しくて仕方なかった。
寒さに身を震えさせながら、地元の見慣れた風景を思い起こした。
「てゆうかもう年越してるし!」
「おいマジか?」
そう言われて時計を見ると、確かに日付が変わっていた。
「マジじゃん! おれ全然準備できてなかった」
「俺も。ってかなんの準備だよ」
「いや、生まれ変わる準備? 新しい一年だし?」
「だよなー。とりあえず年越しの瞬間はジャンプしたかったよなー」
そんな冗談を二人はひとしきり言い続ける。
「まあ、今年もよろしく」
「おう、今年もよろしく」
そして急にまじめになって、そんなことも言ってみる。
遠くで、今年も宜しくね、とレミの声が聞こえた。
「そういえば、さっき二人と話して、ダイスケの受験が終わったらまた集まろうって話になったから」
「おう、いつでも来いや」
「その時にはみんな、何か変わってるかもよ」
「なんだそれ?」
なんでもない、と言ってヒロトは笑いながら電話を切った。
初詣に来たわけでもないし、神様を信じているわけでもない。
帰るか。
彼はそう一人ごちて石段をくだりはじめる。
帰って、メロディーを搾り出すんだ。
苦しくても、徹夜で一曲完成させてやる。
きっとだ。
きっと。
お焚き上げのお札が爆ぜる音、鐘が鳴り響く音、初詣客の雑踏。
そのどれもが彼の耳を震わせる。
いいのが書けそうだ。
ヒロトは意気込んで階段を駆け下りていった。