弐
お風呂から上がった狐の毛、特に尻尾はとても感触がよくて柔らかかった。警戒心はいつの間にか無くなったみたいで、自分から近づこうとはしないが威嚇などはしてこなかった。
そういえばご飯だけど、狐だから油揚げとかが良いのだろうか。
「お母さーん、油揚げある?」
「あるけど」
冷蔵庫から母が油揚げを出して私にそのまま渡してきた。手に取った油揚げは冷たい。こんな冷たいままじゃさすがに狐も食べないだろう。ジッと母の眼を見るとすぐに逸らされた。
自分でやれって事か。
フライパンの上に油揚げを一枚置いて少し温まる程度焼いた。これならこの狐も食べられるだろう。
リビングのカーペットに立っていた狐の前に、焼いたそれを置いてみる。すると鼻を油揚げに近づけクンクンと匂いを嗅いで少し口に含んだ。それだけの行為だが、とても癒される。
油揚げが気に入ったのか口を動かしてもの凄い勢いで食べ始めた。
「名前どうしよっかな」
そう呟くと狐の耳が少し反応した。やっぱり自分の事だから気になるのだろうか。狐はこちらに目を向けて私と目を合わせた。よく見ると、瞳は黒いだけではなく紫色も少し入っているように見えた。綺麗な瞳だ。少しの間見つめ合っていると、肩を叩かれた。
後ろを振り返ると母が立っていて
「おじいちゃんの神社に今から行きましょう」
と言い出した。
おじいちゃんの神社って何処だ。そもそもそんな話初耳だ、聞いたことが無い。それに今からそんな所に行ける訳が無い。もう十時を回っているのだ。
「おじいちゃんの神社って何よ」
「月城神社よ」
月城神社は私の家から歩いて十分の所にある神社だ。どういうことだ。おじいちゃんに会ったことがないから分からないが、本当にそうなら親戚の集まりとかで少しくらい聞いたりするだろう。訳が分からないといった顔で母を見るが、怖いほどに母は無表情で私を見ていた。
「早く」
私の腕を掴んで立たせ玄関へと引っ張られる。私は酷く困惑していた。まず第一にどういうことかよく分からないし、母のこんな怖い顔は見たことが無かったのだ。
「ちょっと!」
声をかけて腕の手を引き剥がそうとするがびくともしない。母はこんなに力は強くなかったはずだ。玄関の扉を開けて私を引っ張り外に出る。そこまで来るとさすがに怖くなって私は泣きそうになっていた。
その時だった。あの黒い狐が、腕を掴んでいた母の手を噛んだのだ。その痛みに母は顔を歪め私から手を離した。今だ、と思い私は母から離れた。狐が私の服の裾を引っ張った。走り出しそうな勢いでこちらを向いていた。ついて来いということだろうか。
後ろを振り返り母を見る。母の目は黒色に染まっていて、腕をだらんと下にさげて首は傾きこちらを無表情で見ていた。迷っている暇などなかった。
狐が走り出し、私は必死になってその後を追いかける。もう狐しか目に入らず、木の枝が頬を切るがそんなものには構っていられなかった。捕まれば終わりなのだと感じた。
少し先に鳥居が見える。
あれは、月城神社だ。