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短編集

太陽のように優しいその言葉

作者: 十五郎


 僕たちが大地から見放され、自身の体から追い出されたのは夏の日だった。

 あの日は今日のように残暑を感じさせ、明日から再開する学校生活に疲労と期待を感じせせる夏の日ではない。誰もが永遠を信じたくなるような、世界が祭りの真っ直中にいるような、遠くに浮かぶ入道雲に懐かしさを感じるような、夏真っ盛りの日だった。


 夏の暑さは気怠さを覚えるが、楽しみがあることも教えてくれた。真っ黒に日焼けした友達と一緒に遊びに行った川の冷たさ、蒸し蒸しとした雑木林で捕まえた昆虫の力強さ、くたくたになるまで走り回ったあとのラムネのおいしさ。光りが僕たちの周りにある全てを透過し、柔らかに輝かせてくれていた。

 太陽の光りはとても強いが、それ以上に優しかったと思う。ただ、あの年のあの日はいつもの太陽と違っていたのだろう。

 思うとか、だろうとか、仮定の話でごめん。でも僕たちには、あの日を境にした過去とそれ以降の記憶しかないのだから許してほしい。あの日のことで僕たちが覚えているのと言えば、青空に太陽が二つあったことぐらいだ。全部を覚えているのはきっと、未だに大地に残っている僕たちの影と、どこをさまよっているかわからない僕たちの身体だけに違いない。

 今の夏はかつての夏と違う。大地からの照り返しを憎らしげに感じることもなく、時折吹く涼風が心地よいと笑うこともなく、花火のはじける音や大太鼓の地響きのような音に心を躍らせることもない。ただひたすらに時を過ごすことしかできなく、そうすべきであると確信している。

 この地から離れてしまえばそのようなこともなくなるだろうが、そうすることもできない。夏だけではなく、春も秋も冬もここにいなくてはならない。なぜなら僕たちの影は未だにこの地に残っているからだ。どうして、かつての半身である彼らを一人残していけるか。たった一つ、僕たちが大地に存在したことの証だというのに、どうして置いてきぼりにできるのか。

 ただ、今の夏はこの地にたくさんの人が押し寄せてくるようになった。彼らは片手に花束を持ち、もう片手には綺麗な折り紙で折られた千羽鶴が入った袋をぶら下げている。

 そんな彼らは大抵黒い服に身を包んでいる。こんなにも暑い中なのに、そんな格好でやってくる。自らに科せた試練であるのか。彼らの顔と手には汗がにじみ出て、なぜか涙もあふれて下へ下へと落ちていく。

 そんな悲しい顔をやめてほしいから、僕たちは色々と試してみた。でも、何もできやしなかった。身体のない僕たちには彼らの涙を拭うことは当たり前に、励ましの言葉をかけることも、もらった花束を抱えて微笑んで安心させることもできない。

 そこでようやくわかった。彼らも僕たち同じ様に無力感に苛まれているから泣いているのだと。僕たちが彼らに何もできないのと同じように、彼らもまた僕たちに何もできていない。こんなにも思い合っているのに、何もできない何もされない何もしてやれない。

 それはどこまでも苦痛だった。

 風の感触も、光りと音の美しさも、花の甘い匂いも曖昧にしか感じることができないのに、やけにはっきりと心の芯で痛みだけを感じる。

 やがて彼らは僕たちを、僕たちが感じたらしい苦痛を銅像や石の彫刻で描くようになってきた。それらを目にする人は表情を虚ろにし、様々な思いを馳せている。そして、その中に一人の少女の像が現れた。

 彼女は僕たちなどよりもずっと高いところに姿勢良く立っている。両手を高々と上げ、そこにトライアングルを組み合わせたような素敵な立体を掲げていた。彼女の名前も、なぜここにいるかもわからないが、僕は彼女に恋をした。

 だからか、少しだけ、苦痛が収まってきた。

 しかし、完全にではない。

 苦痛を一番感じなくなるのは、毎年やってくる八月六日という日。僕たちが大地から見放され、自身の体から追い出されたあの日だ。それがあるから僕たちはここにいられる。

 その日には、たくさんの人がたくさんの人に対してたくさんの言葉を投げかけている。その言葉の意味をとらえることはできないのだが、僕たちの苦痛に満ちた心に安らぎを与えてくれる。その言葉さえあれば、また一年間、苦痛に負けてしまうことなくここにいられる。


 僕たちよりもあとからやってきたあの女の子も、きっと安らかにいられるのだと思う。

 その言葉が世界の人々に受け入れられるだけで、二つめの太陽などという間違った存在は絶対に許されないに違いない。

 そして永遠に、太陽は力強くも優しいままでいられ、みんなを照らしてくれるだろう。

 だから八月六日の、太陽のように優しいその言葉を言い続けてほしい。

 そうすればきっと、明日からのみんなの新しい生活も少しずつ良くなっていくだろう。

 願おうよ、まだ見知らぬ“ヘイワ”という世界を。


 電撃掌編王という公募に応募した奴です。そのときのテーマが「8月31日」、入れるキーワードが「日焼け」と「トライアングル」でした。そしてできあがったのがこれ。はい、ラノベじゃありません。もう、散文詩としか言えないでしょう。

 夏が来るたびに、なんとなくこれを読みます。

 丁度今日は8月6日。広島への原爆投下の日。投稿するのには丁度良いかもしれない。

 今は削除した自分のサイトから持ってきたものですが、とりあえず新規投稿として掲載します。

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