命と交換はお断りです! ~今流行りの立体シールが、異世界では最強の聖印でした~
魔王討伐の旅の途中、勇者アレスは森の奥で奇妙な少女を見つけた。
場違いなほどふわふわした服。胸に抱えた小さな帳面。見慣れない素材の靴。どう見ても、この辺りの村の者ではない。
「おい、君――」
声をかけかけた、その瞬間だった。
茂みが大きく揺れ、黒い影が飛び出した。黒狼。しかもただの魔物ではない。口元に紫の泡をにじませた、呪毒持ちだ。
アレスは反射的に剣へ手を伸ばした。だが、先ほど別の魔物に受けたかすり傷がまずかった。毒は浅いはずだったのに、利き腕がわずかに痺れている。一拍、遅れた。
まずい。
黒狼は少女ではなく、動きの止まったアレスへ一直線に飛びかかる。
「危ないっ!」
少女が悲鳴を上げ、抱えていた帳面をばっと開いた。
ぺたり。
飛んだのは、星形のポンポンころっとシールだった。金色にきらめくそれが黒狼の額に貼りついた瞬間、魔物はぴたりと動きを止める。次の瞬間、輪郭からほどけるように光の粒となって消えた。
森に静寂が落ちた。
アレスは剣を半ば抜いたまま、固まった。
「……今、何をした?」
少女は怯えた顔のまま、帳面を抱きしめる。
「えっ……あ、あの、シールが当たったら、消えて……」
自分でも何が起きたのかわからない、という顔だった。
だがアレスの背には冷たいものが走っていた。魔物を一瞬で消滅させる術など、この世界ではとうに失われたはずの古代封印術しかありえない。
しかも、俺は今、間違いなく命を救われた。
「君、名前は?」
「ひ、ひまりです……」
「俺はアレス。勇者アレスだ」
「ゆ、勇者……?」
ひまりはまだ状況を飲み込めていない顔のまま、けれどしっかり帳面を抱え直した。
「……あの、ここ、どこですか」
「王都から北の森だ」
「おうと……」
「まさか、本当に何も知らないのか?」
「えっと……さっきまで雑貨屋さんの行列に並んでて、新作のポンころ、やっと買えて、嬉しくてシール帳に貼ってたら、そのあと急に……気づいたら森で……」
ポンポンころっとシール。通称ポンころ。ひまりのいた世界では、ファンシーショップに大人も子どもも列を作る、今いちばん人気の立体シールだ。
ひまりの話していることは支離滅裂だったが、嘘をついているようには見えなかった。
アレスは短く息を吐き、剣を鞘に戻した。
「とにかく、王都へ行く。君を一人にはできない」
「はい……あ、あの」
「なんだ」
「助けてくれてありがとうございます」
「いや」
アレスは、黒狼が消えた場所を見た。
「助けられたのは、君のほうじゃない。俺のほうだ」
◇
王都へ連れ帰られたひまりは、そのまま王宮の一室へ通され、大神官と宮廷魔術師たちに囲まれた。
テーブルの上には、例の帳面――シール帳が置かれている。
誰もが息を呑み、誰もが恐る恐るそれを見つめていた。
「聖印です……」
「しかも神代級……神話にしか残らぬはずの最上位……」
「この半透明の霊脂封層……光を抱いたまま固めたような質感だ……」
「聖獣や聖菓子を模した意匠……ころりとした小さき円相、玉のごとき艶を帯びたその内に、かくも強大な力が封じられているとは……」
「こんなものを帳面に並べて持ち歩いているなど……」
ひまりは困ったように言った。
「いや、これ、シール帳なんですけど……」
「しーる、ちょう?」
「えっと、透明でつやつやしてて、中にラメが入ってて、ころんとした粒みたいなシールで……今は大人も子どもも集めてるやつで……」
その場の誰も理解していないのに、なぜか一瞬だけ空気が引き締まる。
ひまりは少しだけ考えて、ぽつりと付け足した。
「シールを集めて、貼ったり、交換したりするための……」
「交換!?」
次の瞬間、部屋の空気が変わった。
大神官が杖を取り落としそうになり、宮廷魔術師が本気で顔色を失う。
ひまりはびくっと肩を震わせた。
「え、なに、交換ってだめなんですか?」
「だめ、というより……!」
大神官が深呼吸をひとつしてから、重々しく告げた。
「この世界で“印を交換する”とは、対等の契約、友誼の証、時に魂を賭けた誓約を意味します」
「えっ」
「しかも、ひまり殿のお持ちのそれは、一枚で魔物を封じる神代の聖印。王家の盟約にも匹敵する重みがございます」
ひまりはしばらく口を開けたまま固まっていたが、やがておそるおそる自分のシール帳を見下ろした。
「……でも、これ、ポンポンころっとシールですよ?略してポンころ! 」
「なんと軽やかで、それでいて神意を宿したような響きだ……」
「呼び名まで祝福めいている……!」
「“ポンころ”……古き聖語の残響では……?」
宮廷魔術師たちが勝手に震え始める。
「違うでしょ!?」
ひまりが思わず声を上げる。
「くまとかうさぎとか、お菓子っぽいシールだよ!」
◇
最初に交換を申し出たのはアレスだった。
王宮の中庭。まだ日が高い時間だというのに、大神官、騎士団長、王太子、宮廷魔術師、果ては侍女にいたるまで、なぜか全員が見守っている。
ひまりは緊張していた。シール交換なんて、本当はもっと気軽にするものだ。だが周りはみんな、まるで国の存亡がかかった儀式でも見るような顔をしている。
その中でアレスは、いつも通り落ち着いた顔で一歩前に出た。
「森で命を救われた礼をせねばならない」
「え、いや、あれはたまたま……」
「偶然だとしても、救われたことに変わりはない」
そう言って、彼は腰の剣を外した。
周囲がどよめく。
勇者の証たる聖剣だった。
「では、こちらの聖剣と交換願う」
「重い重い重い重い!!」
ひまりは全力で首を振った。
「なんでシール一枚に聖剣なの!?」
「不足か」
「足りる足りないの話じゃない!」
「だが、君は俺の命を救った」
「それはそうかもだけど、シール交換ってそういうのじゃないから!」
そこでひまりは、ふと気づいたように周囲を見回した。
「あれ?」
「どうした」
「シール交換って言うのに、みんなシール持ってないんだね……」
場がしんと静まり返る。
大神官がそっと咳払いした。
「この世界において“印の交換”とは、それぞれが自分にとって最も大事な証を差し出し合うこと。ひまり殿の世界ではそれが“シール”なのかもしれませぬが、我らはそのような文化を持ちません」
「じゃあ、みんなが出してるのって」
「己の印となるものです。剣であり、盾であり、指輪であり……命に代えて守るもの」
「重すぎるよ!」
ひまりは頭を抱えた。
だがアレスは少し考え、聖剣を元に戻した。その代わり、首元の革紐を外す。先端には、小さな銀の札がついていた。
「これは旅立つ前、村の子どもたちがくれた護符だ。聖剣ほどの重みはないが、俺には大事なものだ」
「……それなら、交換っぽい」
「っぽいのか」
「うん。それ、君にとって大事なものなんでしょ? じゃあ、私もちゃんと大事にするね」
ひまりは嬉しそうにうなずき、うさぎ柄のポンポンころっとシールを一枚はがすと、アレスの手の甲にぺたりと貼った。
淡い光が広がり、アレスの全身を包んだ。
ざわめきが走る。
「呪毒が……」
「消えている……!」
「浄化と恒常加護の複合……!」
宮廷魔術師が震える声を漏らす。
アレスは自分の手を見下ろした。さっきまで残っていた痺れが完全に消えている。体も軽い。呪いも毒も、もう自分には届かないのだと直感でわかった。
「……聖女様」
「違う、ただのシール好きです」
ひまりは真顔で言った。
◇
それから王都は大変なことになった。
ひまりが神代の聖印を持つ少女であり、しかも交換を望んでいる――その噂は瞬く間に広がったのだ。
騎士団長が跪いた。
「神代の聖印をいただくなど、我が身には過分。されど、それに見合うものを差し出さぬままでは礼を失します」
「いや、だから、そんな固くならなくていいんですけど」
「ならば、わたくしめの忠誠を」
「それはいらない!!」
「では、それでもなお足りぬとあらば、わたくしめの命をもって――」
「命はだめぇぇぇぇ!!」
ひまりの悲鳴に、騎士団長はぴたりと口を閉ざした。
「シール交換に命はだめ!」
結局、騎士団長は竜鱗を張り合わせた神盾を差し出した。
次に交換に来た宮廷魔術師は、千年樹の芯から作られた加護杖を。
商人ギルド長は、代々受け継がれてきた宝石箱を。
王太子は、王家の指輪を。
神官長は、聖布の外套を。
「だから重いってば!」
ひまりは何度も叫んだが、相手はみな本気で「受け取っていただけなければ不敬」と青ざめるのだ。ひまりが断れば断るほど、相手はますます深刻な顔になる。
その結果、ひまりの周りには国宝級の装備がどんどん積み上がっていった。
そしてさらに困ったことに、それらは「せめてお持ちください」「どうか身につけてください」と半ば強引に装着されていく。
腰には勇者の聖剣。
背には竜鱗の神盾。
指には王家の指輪。
肩には聖布の外套。
胸元には千年樹の護符。
ふわふわの服にシール帳という場違いな姿のまま、装備だけが神話級である。
「なんでシール交換しただけで、こんな重装備になるの私……」
本人が呆然と呟く横で、人々は畏敬の目を向けた。
「神装の勇者……」
「いや、勇者はアレスさんでしょ」
「では、神装の聖女……」
「ただのシール好きだってば!」
だが誰も信じなかった。
◇
その噂は、当然ながら魔王城にも届いた。
玉座に座る魔王レグルスは、配下が差し出した報告書を読んで、赤い瞳を細める。
「その者、印を惜しげもなく配るというのか」
「は、はい。しかも交換を望んでいると」
「交換……だと」
魔王は立ち上がった。
生まれてこの方、世界は彼を恐れ、頭を垂れてきた。差し出されるのは服従だけ。奪うことはあっても、対等に何かを差し出し、何かを受け取る“交換”をした者などひとりもいない。
「余が行く」
「ま、魔王様自ら!?」
そして王都は、再び大騒ぎとなった。
魔王レグルス、自ら来訪。
謁見の間に緊張が張り詰める。騎士たちは剣へ手をかけ、神官たちは祈りを捧げ、アレスはひまりの前に立った。
だが、玉座の前まで進んだ魔王が告げた言葉は、宣戦布告ではなかった。
「シール交換を所望する」
場が凍る。
ひまりだけがぱっと顔を輝かせた。
「えっ、本当に? するする!」
「待て、ひまり殿!」
アレスが青ざめた顔で止める。
「相手は魔王だ。言葉通りの交換とは限らん」
「でも交換したいって」
「こちらの知らぬ条件を後から足したり、交換そのものを別の契約にすり替えたりするかもしれん」
「それは困る……」
ひまりはきゅっと口を引き結ぶと、ずんずん魔王の前まで歩いていった。
「シール交換はね、軽く楽しくするものなの。ひざまずいたり、命を出したり、血で誓ったり、そういう重いやつは禁止。呪いとか裏契約とかも禁止」
「……禁止?」
「禁止。楽しくやるの」
「なるほど」
魔王はしばし黙った。
周囲が息を呑む。
やがてレグルスは、黒い外套の内側から、小さな古びたメダルを取り出した。
「余が幼き日に持っていたものだ。今も手元に残している唯一の品だ」
「それ、すごく大事なやつじゃん」
「大事だ。だから、交換だ」
ひまりはにっこり笑った。
「うん、それならいいよ」
彼女が差し出したのは、最後まで取っておいた一枚だった。丸くて、きらきらして、少し虹色に光る、王冠をかぶったくまのポンポンころっとシール。
それを魔王の手の甲にぺたりと貼る。
次の瞬間、魔王城を遠くから覆っていた瘴気が、ふっと薄れた。
禍々しい魔力ではなく、やわらかな光が広がっていく。張り詰めていた敵意も憎しみも、少しずつほどけていくようだった。
「……何だ、これは」
「仲良くなるシール。お気に入りだったの」
「仲良く……」
レグルスはしばらく自分の手を見つめていたが、やがて本当にわずかに口元をゆるめた。
「なるほど。交換とは、こういうものか」
その言葉に、謁見の間の緊張がゆっくりとほどけていった。
◇
その日を境に、王都にも魔王城にも“シール交換”が広がった。
最初は神聖な聖印として。
次に旅の安全を祈るお守りとして。
やがて子どもたちの遊びとして。
ただし、ひまりの持ってきた神代のポンポンころっとシールそのものは数に限りがある。そこで王宮の魔術師たちと町の職人たちが、ひまりのシールを見本にして、簡易な加護を込めた“交換用シール”を作り始めたのだ。
兵士は兜の裏に星のシールを貼り、旅人は荷袋にハートのシールを忍ばせ、子どもたちは友だちになりたい相手へ動物のシールを差し出した。
ひまりは何度も「もっと、宝物とか命とかじゃなくて、好きだから交換するくらいの感じなんだけどなあ」と首を傾げた。国宝や忠誠や命まで持ち出してくる最初の頃に比べれば、だいぶましにはなったけれど、それでもまだこの国の人たちは、シール交換となると少し本気すぎる。
けれどみんな楽しそうだったので、最終的にはまあいいかと思うことにした。
王都の一角には、ひまり監修の小さな店までできた。
看板にはこう書かれている。
『ポンポンころっとシールのおみせ ※命は対価にしないこと』
開店前から長蛇の列だ。
聖剣を下げた勇者も、黒い外套の魔王も、子どもたちに混ざって自分の番を待っている。
「だから並んでる間に決闘しないで!」
「していない」
「していない」
声をそろえた勇者と魔王の手の甲には、同じくまのシールがぺたりと貼られていた。
重たい誓いばかりが交わされてきた世界に、ひまりが持ち込んだのは、たった一冊のシール帳と、かわいいものを交換する楽しさだった。
それだけで、世界は案外、平和になったのだった。




