ただ、書き続ける
今日も私は小説を、詩を、文芸と言われる諸々の作品を書く。
今までの私は、漫然と生きていた。
20年以上前、私は若ささえあれば、何もしなくても自分を何者かにしてくれるだろうと慢心していた。
だが、それはただの幻想に過ぎず、若さが私を何者かにしてくれることはなく、時は過ぎ去り、若さはいつの間にか私の元から去った。
残されたのは、無為に時間を過ごしてきた中年である私だった。
若さを失って・・・未来への漠然とした希望を失って初めて私は、自身が何をしたいのか考えるようになった。
あれは学生時代、数百円の文庫本の小説に、エッセイに夢中になった。
なんと素晴らしい体験だったのだろう。わずか数百円の紙の束を綴じたものが、私の中に眠る想像力を引き出し、他者の人生を追体験させ、いまだ見ぬ世界を旅させた。
そして学生時代の私は、漠然と作家になりたいと思ったのだ。
だが、作家になるにはどうするか分からなかったし、行動力のなかった私にはどうすることもできなかった。
周囲に流されるまま、就職し、就職したらしたで少しは出世するかと思ったが、漫然と生きてきた人間が出世することはなかった。
結局夢を叶えようと行動することすらせず、就職して出世もできず、何もないまま人生の折り返し地点を越えてしまったのが私なのだ。
人生に半ば絶望しかけた時、かつての夢・・・作家になる夢が私の記憶の押し込めたはずの片隅から顔を出した。
かつては、作家になるには公募で賞をとって出版社に認めてもらわなければならなかった。
私なんかが小説を書いたとて賞など取れるはずもない・・・
だが、今は時代が違う。賞なんか取れなくとも、出版社が見向きもしなくとも、インターネットで自身の作品を全国に、いや、全世界に発表できる。
それに、このまま何もせず、自分に才能があろうとなかろうとも挑戦もせず朽ち果てることに自分自身耐えられなかったのだ。
私は小説サイトに登録して、作品を書き始めた。
小説に限らず、詩、エッセイ、果ては自由律俳句と思いつくままに書いた。
すべてはより多くの人に読んでもらう為、楽しんでもらう為だ。
そしてそれこそが私自身の喜びになる、私自身の為になるからだ。
紙とペンは今は昔。私はキーボードを叩いてパソコン画面に文字を刻み、出来上がった作品をインターネットの電脳の海に放流していく。
理論上は世界中の何十億人に読んでもらえる可能性があるが、そうそううまくはいかない、ひょっとしたら私の作品は誰にも見向きもされず、深い海の底で眠り続けるだけかもしれない。
それでも書く、ただ、書き続ける。
自分にとっての面白いが、みんなにとっての面白いとリンクしていることを信じて。
書かないと何も始まらない、何も変わらないことにようやく気づいたのだから。




