13. 招集
若干キツメのお話です。
当夜はどうしてもと薫に言われ巌にこっそりと連絡をとり、できるだけ秘密裡に薫の自宅へきてもらった。聖夜にも一馬にも内密でとのことで、ただ事ではない雰囲気である。
事務所ではなく自宅へ招かれたのは初めてで、巌も若干緊張気味だ。
「お久しぶりです。神崎先生」
「いつぞやは、大変失礼しました」
薫は俯き加減にそう謝罪を入れたが、巌は眉を寄せて隣で頭を掻いている甥を見る。
薫の顔色は土気色で、明らかに睡眠不足がわかるほど目の下に隈ができている。
自信と実力に裏付けされ、鷹揚で笑顔を絶やさない男がどうしてこうなった?とその目が語っていた。
「秋人君は?」
巌の問いかけに薫は一つ頷く。
「夏休みなんですが10月の文化祭用の作品を描くとかで、学校へ行ってます。なので、丁度良いかと思って、プライベートなことなのでこちらに来ていただきました。どうぞ」
薫の元気がないと場の空気がもたない。当夜はハラハラした気持ちで薫の後を追った。
居間に案内され、冷たい緑茶を差しだされた。夏の暑い日にはぴったりの飲み物だ。
薫の対面に巌と当夜が座っている。薫はしばらく逡巡した後、何度か口を開きかけ、躊躇い、また開くを三度ほど繰り返した。
それから、思い切って顔を上げた。
「この話をあなたに相談するか、後藤さんに相談するか悩みました。相談してもいいかどうかも悩みました。でも、流石にちょっと私の手には負えなくて、アドバイスいただけたらと思って」
自信が服を着て歩いているような男に言われて、巌も当夜も若干引き気味だった。
「秋人のことなんですが…先日ちょっとした事件がありまして」
ああ、やっぱりあれで悩んでたのか…と当夜は遠い目をした。
そりゃあそうだ。誰だってあんな話を聞けば脳天に血が上るだろう。ましてや、薫は秋人の事を本当の息子か弟かというくらいに可愛がっているのだ。かくいう自分だって、その夜は腹が立って眠れなかった。
「その…もしかしたら、秋人は性的虐待を受けていた可能性が…あるかと」
「は?」
巌の表情が抜け落ちた。
薫は顔を覆った。
「私の落ち度です。男子だからそちら方面はまったく考えていなかったのですが、このご時世どこにどんな変態が潜んでいるか分かったもんじゃなかったのに」
その言葉と共に、一連の騒動の話を薫は巌に語った。
「帰宅してすぐに以前秋人のカウンセリングをしてくれた先生に相談しました。その先生が言うには、おそらく深刻な内容のものはないだろうという事でした。カウンセラーの先生は、専門なのでその辺りはかなり警戒して聞き出していらっしゃったようです」
当夜はその言葉で少しほっとした。しかし、薫の顔色は冴えない。
「でも、ですね。そもそも秋人は何がそういう行為なのか分かっているのかが疑問でして」
「へ?」
当夜が思わず声を出す。
「秋人は10歳から15歳を家族も友達もいないところで、一人で過ごしています。普通ならその間に、年上の兄弟のいるろくでもない友達やら、18禁の漫画やエロ本やら、ちょっと小耳にはさんだ猥談とか便所の落書きなどから、相応の知識を得ると思うんですが、秋人の環境上その線はまったくなかったでしょうし、おまけに学校にも通ってないから授業も受けてないし」
薫の言葉は震えている。聞いているこちらの顔色が変わってきた。
「もしかして、知らないんじゃないかと。知らないから、そもそもそんな酷い目にあったことにも気が付いていないんじゃないかとか、秋人は知らないままの方がいいのかもしれないとか、でもこの先だって同じようなことがもしも起こったらとか思うと…夜も眠れなくて!」
薫も弁護士なので、いろいろな事件を扱っている。そんな中でもやはり性犯罪は扱いは難しい。今までだって慎重に取り扱ってきたが、それが身内となると話は別だ。弁護士になって以来初めて、薫は真相を確かめることに恐怖していた。
「先生、落ち着いてください。少し深呼吸しましょう。あなたがそんなだったら秋人くんにも影響が出ますよ」
巌が言う言葉は当たっている。今朝の薫の様子があまりにも酷かったので秋人は心配して学校にいくのを取りやめようかと思ったくらいだ。
「赤城に話を聞きに行こうかと思ったのですが、私は今あの男を見ると自分が何をするか自信がありません。私が逮捕されたら秋人の保護者ではいられなくなる」
薫の言葉に当夜は驚く。これでも薫は遵法精神は鋼の弁護士仕様なのだ。その彼が、逮捕されるほどの何をするか分からないというからには、相当切れているのだろう。
「分かりました。それはこちらで聞いておきます」
さらっと巌が言ったが、おそらく赤城は死んだ方がマシという目に合わされることだろう。南無阿弥陀仏である。
「それと、これからの事なんですが、その…」
薫が言い淀む。
「秋人のそっち方面の教育をどうしようかと。」
「ああ」
高校生だし、下手したらクラス内にも、もう男を知っている女だっているだろう。ましてやあの容姿だ。よく分からないうちに押し倒されて…などと考えるだけで恐ろしい。
「私は、あまりこの手の話を教えるのは向いていないので」
と薫が蚊の鳴くような声で言う。
「先生、流石に経験くらいはあるでしょ」
当夜は場の空気に耐えられず思わぬ軽口を口にして、後で死ぬほど伯父に説教された。
「ありますよ。ええ、婚約者とね」
冷え冷えとした声音に当夜も巌も凍り付く。
「普通に婚約している男女でしたからね。婚前交渉はもちろんありましたよ。デートもしたし、旅行もいきました。同じ部屋ですよ、もちろん。浮かれましたね。ははは」
地獄である。
「ええ、女の人って何考えているか今の私にはさっぱりわかりません。大嫌いだったとか言われてもね。嫌いな男とでも、ああいう行為ってできるんですかね。あれですかね、友達と笑い物にでもされてたんですかね、私。神崎浮かれちゃってばっかみたいとか言われてたんでしょうか」
やめてー、この会話やめてーと当夜が脳内で叫んでいると、巌がぽんと薫の肩を叩いた。
「言いにくい話させてしまって申し訳ない。先生は真面目で誠実な男だ。そのうちきっと素敵な女性と出会うと思う」
「もうあんまり期待していません。」
ふうと薫はため息を付く。最近薫は自分の豪運は女運と引き換えになっているのではないかと思い始めている。
「というわけで、私の体験談ではどうにもならないので、あなたにお願いするしかなくて」
「え?」
巌の顔をひきつる。
「きちんとご結婚されていて、三人もお子様がいて、立派に成人されて全員独立したのに、まだきちんとご夫婦仲良くされていらっしゃるんだから、きっとすばらしい話を秋人にしていただけると思うんですよ」
薫の目が座っている。
「私…ですか?」
「はい。後藤さんとどっちにしようか悩んだんですが、より秋人に対して良心の呵責の多い方を選びました」
当夜の伯父は見たこともないくらいに狼狽えた。
「よろしくお願いします」
薫はがっしと巌の腕をつかんで無理やり握手に持っていっている。
「無理です!無理無理無理!!!」
と伯父の聞いたことのないような悲鳴が響いた。
巌「それでは、私はこれで」
当夜「あ!待って!伯父さん!置いて行かないで」
薫「夕飯をご一緒に!秋人が帰ってくるまでいてくださいよ」
巌「急用を思い出しました!!」
薫「くそう、逃げられた!」




