13. 声
秋人が躊躇っている間に、桜子はまた指輪の支配に飲み込まれてしまった。
「ぐっ」
苦しそうに呻いた後、またその瞳から理性の光が消えた。
彼女の手が剣にかかる前に、秋人は跳び起きて距離を取った。
秋人のスタイルからして近距離の接近戦は分が悪い。魔法を撃つための時間を稼ぐ必要があった。
彼女から指輪を引き離し、破壊する。
これを大前提に戦略を立て直すつもりだったが、そうは簡単にいかない。
目まぐるしく攻守が交代する。秋人の持ち味はスピード、彼女の持ち味は威力だ。
長引けば長引くほど秋人が不利になる。桜子はモンスターに支配されているようなものだ。彼女自身の体のことなど何も構わない。無理な体勢からでも平気で剣を振るう。力学に反した動きをしているので、彼女の手足はおそらく相当なダメージを受けているだろうが、痛みを感じている様子がない。
却って秋人は自我をもって動いているので、防衛本能が働くのは当たり前だ。そんな生き物以外の動きはできない。
長引けば秋人が不利であると同時に、桜子も破壊されてしまう。それでは、意味がない。
「動きを止めなければ…」
秋人は桜子の隙を伺う。しかし、殺すつもりでくる桜子と、殺したくない秋人の間に、さきほどまではなかった微妙な差が出てき始めた。
秋人の剣は届かないが、桜子の剣は徐々に秋人を削り始めた。体のあちこちから血を流しながら、秋人はじっと耐えていた。
疲れを知らない桜子と、確実に疲労が蓄積されていく秋人の中で、秋人劣勢になるのは分かり切ったことだ。
殺したくない
でも、そうすると自分が殺されてしまう。
秋人は初めて八方ふさがりの恐怖を覚えた。
「薫、薫…どうしたらいい」
小さく呟く。いつも的確に答えをくれる保護者は、今ここにはいない。自分が置いてきたのだ。
今無性に彼の声が聞きたい。大丈夫だと言ってほしい。それだけで、自分は強くなれるのに。
焦りと恐怖が徐々に秋人の精神を蝕んでいく。何時間そうやって戦闘を続けているのかさえ、もう秋人は分からなくなった。
息が切れ、呼吸が乱れる。手も足も思うように動かない。回復をする隙すらない。
一人の弊害をひしひしと感じたが、後の祭りである。
汗が額から流れ落ちる。一瞬それが目に入った事で視界が歪む。その隙に桜子が一気に距離を縮めてきた。
「くっ」
秋人が下がりそこなって態勢を大きく崩してしまった。それを見逃すはずがない。
桜子の右手の太刀が迫る。
確実に首を狙ってきたそれをギリギリで弾き返したが、返す勢いでもう一太刀の方はよけようがなかった。
「あっ」
スローモーションのように彼女の剣が迫るのが見えた。
それと同時にどこからか、声が聞こえてくる。
『ごめんなさい。お父さんとお母さんが全部悪い』
脳裏を凄まじい勢いで満たしていく記憶。
忘れていた声を思い出した。
「お、お母さん…」
血だらけの父の背中。
「夏実!逃げろ!迷宮核を潰して上に上がれ!!」
「嫌!春彦、あなたを置いていけない!」
父の言葉を母が否定する。父は狭い入口に陣取って、これ以上モンスターを近づけないようにするつもりだ。
「秋人を守れ!!」
その言葉に母はぎゅっと秋人を抱きしめ、駆けだした。母の腕の中で心臓が早鐘を撃つようにドクドクと激しく鳴っていた。遠ざかる父の背中が瞳に灼きついた。
無数に現れるモンスター。今までとはけた違いに強い個体ばかりだ。母は秋人を抱きかかえながら、全速力でダンジョンを駆け抜ける。モンスターの攻撃を避けることもしなかった。
最終階層のボスを母は一番最大の魔法を使って一撃で倒した。その先の迷宮核を目指すために。だが、その代償は大きく、彼女はすべての防御を失っていた。だからだろう、あっけなく迷宮核の簡単な攻撃に胸を刺し貫かれた。
「お母さん!!」
秋人が叫ぶ。彼の拙い技では、迷宮核をどうにかできるはずもない。必死で剣を振るうも母を助けることなどできるはずもなかった。
「ゴメンね、秋人。お母さんどうやらここまでみたい」
「だめ、だめだよ」
秋人は母の胸の傷に手を当てた。止血はこうするのだと父に教わったのだ。でも秋人の小さな手の隙間を縫うように赤い血が零れ落ちるのが止まらない。
「お母さんが、最後の力で迷宮核を眠らせるから。死んだって思わせて出口を作るわ。秋人…あなたはその出口から出て、ギルドにダンジョンの状態を報告しなさい」
苦しい息の元、彼女は告げる。
「嫌だ!一人で逃げるなんて絶対に嫌だ!」
秋人の悲痛な声に母は顔を歪めた。
「行きなさい。秋人。探索者は常に人のために戦わなくてはならないの。人より強い力を持ったからには誰よりも正しくあるべきなの。そうでなければ、私たちは怪物になってしまう」
あなたも探索者でしょう?
母は笑顔を零した。秋人の目からは大粒の涙がこぼれる。彼は小さな拳でぐいっとその涙をぬぐった。
「強い子ね。」
母は耐えかねたように涙を零した。震える手で秋人の頬を撫でた。それまで保っていた理性が溶けるように、探索者ではない母としての顔が浮かぶ。
「ああ、ごめんなさい。あなたに全てを負わせることになってしまった。お父さんとお母さんを許して」
「お母さん…」
母の言葉…
「あの人たちの言葉なんか全部忘れて。全部忘れて普通の人生を送って。愛しているわ。秋人。生きて。誰が否定してもあなたは私たちの希望の元に生まれてきたの。お願い、それだけは覚えていて」
声がかすれて消える。
「何もかもお父さんとお母さんが全部悪い。ごめんなさい、秋人」
【死の深淵】
彼女の命を使った最後の結界魔法が放たれた。迷宮核を騙し眠らせることで、ダンジョン自体に一時的な結界を築く。
「四年くらいは保つわ…」
小さく呟く。
ダンジョンの出口が現れた。
「走って!秋人」
走って!!
一瞬の記憶が流れたのち、秋人の目の前には逃れられない死がやってくる。
秋人はそれをただ見つめるしかできない。
彼が死の刃にからめとられる寸前、風を切る音と共に、二人のすぐ近くに一本の剣が鋭い音を立てて突き立った。
「え?」
剣に驚いたのではない。
「秋人!避けて!!
【雷神の雷鎚】」
もう会えないかもと思った人の声が聞こえると同時に、その剣に大音響の轟音と共に雷撃が一気に降り注いだ。
猛「行っちゃいましたね」
巌「そうだな」
猛「訴えられますかね」
巌「たぶん秋人くんが止めるだろうな」
猛「やっぱかっこいいじゃないっすか」
巌「カッコよくないとは言ってない」




