10. 怒り
後藤が起きる前に、とりあえずの作戦を立てようということになったが、その場で秋人が爆弾発言を発した。
「僕一人で行きます」
「絶対に反対!」
秋人の発言を予想していたように薫が大反対する。
「でも、薫。今回は流石に僕も余裕がないし、正直なところ誰かを庇って動けないと思う」
「・・・それは分かってるけど、この前みたいなことがあるかもしれないじゃないか」
薫の反論に、しかし秋人は首を振る。
「薫は連れて行かない」
「だめだ」
二人の言い合いを猛が「まあまあ」と言って仲裁に入る。
巌も厳しい顔だが、秋人の言う事にも反論できず難しい顔をしていた。
ようするに、ここにいる薫以外は自分たちの実力と秋人の実力がかけ離れていることを理解し、彼の言い分をもっともだと判断しているのだ。理性では。
しかし、相手が15歳の少年であることがその理性通りの行動をとらせる事を躊躇わせるのである。いっそ、薫のようにすっぱりとこれはこれ、それはそれと言い切れる方が楽だと思った。
「薫、ごめんね」
秋人のその言葉と共に薫は床に崩れ落ちた。薫は秋人の動作には気を配っていたが、まさか背後からやられるとは思っていなかった。
「先生、悪い」
当夜が薫を気絶させたのだった。秋人から何度も目で合図されており、当初は嫌がって首を振っていたが、埒が明かないと判断したのだ。
「すぐ行くのか?」
当夜が尋ねる。
「うん。少しでも早い方が指輪が馴染んでレベルアップされる前にたどり着ける」
当夜は薫を担ぎ上げ、後藤の隣に並べた。
「お前さ、帰ってきて俺を神崎先生から助ける義務があるんだからな」
「そうだね」
秋人はにこりとほほ笑んだ。
「あー、俺もお前がどんな結果を持ち帰ってきても、帰って来さえすれば気にしないからな」
当夜がそう不器用に告げると、秋人は一瞬驚いて、それから花が綻ぶように笑った。
「分かった」
その言葉を最後に秋人は会議室を後にした。
当夜も薫も連れて行かない。それは秋人が決めたことだった。
最近では二人はいつもそばにいてくれて、一人でダンジョンを攻略するのがこれほど心細いことだなんてまったく気づいていなかった。
「待てよ」
猛と恵子が慌てて秋人の後を追ってきた。
「これ、持っていけ」
猛は自分の収納魔法からとっておきの回復アイテムをいくつか秋人に分けてくれた。
「補助魔法をかけておくわ。あまり得意じゃないんだけど、ないよりはましな筈よ」
恵子が唱えたそれで防御力や攻撃力が上がるのが分かった。
「ありがとうございます」
秋人が礼を言うと、猛は複雑そうな顔をした。
「本当は俺が付いて行ってやりたいんだが、あんたがダメだった場合の予備があった方がいいだろ?」
猛の言葉に秋人は大きく頷いた。
少なくても、秋人が失敗した場合に、薫が引っ張り出される順番は後の方がいいに違いない。
「気を付けて」
恵子の言葉に頷いて、秋人は踵を返した。
「まあ、あんたに勝った桜子になんて、勝てる奴がいるとは思えないけどな」
去っていく少年の後姿にポツリと猛は呟いた。恵子は答えなかった。
自分たちがとんでもない卑怯者になった気がした。
丸の内第1ダンジョンは64階層まで深くなっている。秋人は入り口で迷宮探索を唱えダンジョンの構造を確認した。
「ここに彼女がいる」
いつも持っておきなさいと薫に口をすっぱくして言われていたおかげで、ポーションも魔力回復薬も沢山持ってきている。
常にいつダンジョンに遭遇するか分からないから、装備は一通り収納して持ち歩いていたのが幸いだった。
「備えあれば患いなしってほんとなんだ」
秋人は感心したようにそう呟き、さくさくと武装すると、ダンジョンの深層へと駆けだしていった。
まず後藤が目を覚ました。慌てて跳び起き、秋人が出発したことを聞いてがっくりと項垂れた。
「頼みますから、今から死ぬとか言わないでくださいね」
巌が部屋の反対側を指さす。そこには同じく気絶させられて眉間にしわを寄せて倒れている薫が横たわっていた。
「これは…」
恐る恐る部屋にいる人間に尋ねる。全員が目を反らす。後藤は血の気が引いていくのが分かった。できれば、このまま気絶しておきたかった。
「後藤のおっさん、俺命の危機だと思うんだよ。助けてくれるよね」
当夜が青い顔で後藤に縋る。
「誰の命が危機だって?」
地獄の底から聞こえてくるような声に、「ひっ」と当夜が跳びあがる。振り向いた先の憤怒に濡れた薫と目があって、当夜は金縛りのように動けなくなった。
「俺は何分寝てた?」
薫が尋ねると、仕方なく恵子が答える。
「2時間ってとこかしら」
「ちいっ」
激しく舌打ちをして、薫が跳び起きる。
その瞬間、ぐらりと体が傾いだ。
「うっ」
当夜が慌てて薫を支える。薫はジロりと当夜を睨んだ。
「何で行かせた」
「それが一番いい方法だから」
「ふざけるなよ」
薫が眉を寄せる。
「先生はあんまり探索者の事分かってないかもだけど、今回のことは秋人が言う方法が一番正しいんだ。一番可能性がある、だから秋人も…」
「何度でも言うが、ふざけるなよ」
薫はよろけながら立ち上がる。
「あんたたちは根本から間違えてる。この仕事は15歳の少年に振っていい仕事じゃない。たとえ、それでこの世に地獄が待っているんだとしてもだ」
「先生だって秋人が今まで生きていく中で、屑の探索者をどうにかしてたことくらい分かってんだろ。今更じゃないか」
当夜の言葉はそこにいる全員の思いを代弁していたが、薫はため息を付いた。
「今更ってなんだよ。前もそうだったから今回もそうしろっていうのか?あんたたちは狂ってる。前もやったんだから10人も11人も同じだろってか?人の命を奪うというのはそんなにお前らの中では軽いのか?今のあの子はそうではない事を知っているんだぞ」
薫の怒りは収まらない。この半年秋人を普通に生活させてきた。今の彼はもう半年前の何も知らない子供ではないのだ。
「なんで秋人がたったの15歳で、そんな目にあってんだ?お前らが無能だったからだろうが」
がんと机の上に拳を叩きつけた。皆には耳の痛い話だった。
「お前らは絶対に何が何でも秋人を送るべきじゃなかった。せめて行かせるならついていくべきだった。もしどうしても彼女を手に掛けないといけないなら、大人がやるべきだったんだよ」
薫は自分に一番腹を立てていた。あそこでついていけなかった弱い自分が呪わしい。
「しかもだ。霧崎さんは今まで秋人が正当防衛で殺してきた屑野郎どもとは違う。真っ当な女性で今回の騒動の被害者なんだぞ。それを殺せって放り出したのか」
誰もが分かっていて目を反らしていた事実が、そこにいた全員に重くのしかかった。
その事実から目を背けなかったのは薫だけだ。薫だけが秋人をただ普通の少年として扱っていた。
「帰ってきたら覚えてろよ。全員児童虐待で訴えてやるからな」
薫は吐き捨てて会議室を後にした。
秋人『薫を黙らせて』
当夜『無理無理無理無理オレ殺されちゃうよ』
秋人『やって!』
当夜『圧が魔力圧が凄い』
恵子『この魔力に気がつかない魔法師ってどうなの』




