7. ヤクザの息子と甲子園
「俺の家は大昔風に言うと木下組って指定暴力団だったんだ。でも、ダンジョン災害のどさくさで、マネー洗浄して普通の土建屋に生まれ変わったんだ」
そんなヤクザは多い。あの当時、日本は他の国より相当にマシだったが、それはマシだっただけで、混乱と暴力と無法がなかったわけではない。そんな中、いち早く立ち直り己の体制を整えることができたのは、常に暴力沙汰に慣れていたヤクザ稼業や半グレの面々だった。
「それでも、ちょっと調べればヤクザだってすぐわかるし、友達とかにも避けられたりしててさ。母さんも出て行ったし」
智輝は肩を落とす。
彼の母親は夫が元ヤクザの家柄と知らず、単なる企業のオーナー社長だと思って結婚した。もともと金に汚い女だったが、木下組は極道の中でも硬派な方だったので、経営は堅実だった。おそらく当てが外れたのではないかと智輝は睨んでいる。
「そんなわけで、俺はいずれこの組を継いでいかなくちゃいけない跡取り息子ってやつなんだけど」
智輝は頭を抱えた。
「そんなの絶対に嫌なんだよ」
ヤクザになるなんて、真っ平ごめんである。
そうして逃げ道を探しているうちに智輝は野球に出会った。
野球は楽しかった。すぐにのめりこんだ。練習をすればするだけ実力が上がっていく。スポーツにヤクザの息子なんてレッテルは関係ない。皆が彼を掛け値なしで誉めてくれた。
子供の頃にみた大リーグへいつか行ってみたい…智輝はそう夢見るようになった。
「でも、現実は残酷なもんさ」
確かにスポーツの結果にはヤクザの息子は関係なかった。しかし、プロになるには大いに関係したのだ。
まず、智輝の実力ならリトルリーグの時点で目を付けられ、中学校推薦などの話がきてもおかしくないかった。チームの監督もそう言っていたが、なぜかどこからも声がかからなかった。
仕方なく地元の中学校に通った。その時のメンバーはそこそこに強かったので、全国優勝を果たした。智輝の名前は燦然と輝く星のように新聞にも、野球雑誌にも「優勝チームを支えたエースで4番の二刀流」として掲載された。
しかし、高校受験の時もどこからも声がかからなかった。それならばと自ら行きたい高校へ出向いて直談判しようとしたのだが、そこで彼は自分の出自が大きく影響していることを知った。
「確かに君の才能はすばらしい。本当に私だって君を我が校へ迎えられたらどれほど嬉しいだろう。だが、それは出来ないんだ。君のお父さんの稼業が稼業だからね」
「え?」
智輝はその話を茫然と聞いた。
「君には何の罪もない。君のお父さんの会社が一見普通の企業なことも分かっている。でも、もしもこんなことがマスコミにバレたら、我が校の名誉にも関わる。高校野球は清廉潔白というイメージを大事にしている。たとえ偽善であっても、その看板を傷つける可能性があるものを受け入れることはできない」
「・・・・・・」
「すまない。本当に申し訳ない。だが、君は諦めた方がいい。この話は強豪校と呼ばれるところでは皆共有されている。そういうリストがあるんだ」
愕然とした。
「俺は、プロにはなれないってことですか?」
智輝は唇を噛んだ。その監督は本当にいい人だった。他の監督なら門前払いするだろうところを、彼は無駄な努力をして辛い目にあう智輝を黙って見てられなかったのだ。
「一つだけ、方法がある」
監督は言った。
「君の腕一本で甲子園で優勝してみなさい」
監督は言った。
「おそらく君が入れる高校はさほど野球が強いところではないだろう。しかし、もし君がそんな高校のナインを率いて優勝出来れば君は本物だ。リスクを冒しででも取りに来るチームはあるだろうし、最悪甲子園で名前を高められれば大リーグに直接行くという手もある。アメリカなら君がヤクザの息子だろうと関係ない」
藁にもすがる気持ちだった智輝はその言葉を信じた。
「轟学園はいい学校で、俺をヤクザの息子だからって差別したりはしなかった。文武両道だから、野球だってそんなに弱くない。でも、甲子園で優勝するには全然足りない」
智輝だって長年野球の世界にどっぷり嵌って生きてきたのだ。己の学校のレベルがどの辺りであるかなど嫌というほど分かっている。
「俺はスポーツテストでよさそうな人材を見つけようと思った。そこでお前の遠投を見たんだ」
キラキラした目で智輝が秋人を見る。
「まるで、大リーグメックのマルティネス選手みたいなフォームで投げるからびっくりした。そんでお前がまた馬鹿みたいに飛ばすから、もうこれは神様が可哀相な俺に与えてくれたギフトだろうって思ったんだ」
智輝がそう告げた時、秋人はそういえばあの時アメリカ大使館で見てた大リーグのチームはメックで、そのマルティネスって人が投げるの真似して投げたなぁ…と思っていた。
「頼むよ、如月。練習に全部付き合ってくれとは言わない。美術部と掛け持ちでも構わない。なんなら試合だけでもいいから、俺と一緒に甲子園を目指してくれ。俺の人生が掛かってるんだ」
智輝がぐっと頭を下げた。しかし、秋人は無言である。
さっぱり意味が分からなかった。
「なんで?」
「え?」
秋人にそう返されるとは思ってなかった智輝は思わず聞き返した。
「その監督さんは木下が一人でやったら皆が認めるだろうって言ったんでしょ?なんでそこに僕が参加して甲子園で優勝したら条件クリアになるの?」
智輝はなんと答えていいか分からない。
「野球は9人でやるんだ。他にもメンバーがいるんだよ」
「でも、木下が一番目立って活躍して中心になるつもりなんでしょ?それをどうして僕が手伝うの?」
「それは…」
「僕が木下より目立って活躍して中心になったらどうするの?君はただのチームメイトで、やくざの息子のままだよ」
「俺は野球歴10年だぞ。今までやったことない人間に負けるわけないだろ」
智輝が思わずカッとなって叫ぶ。
「うん。そう思ってるんだろうなって思った。君は自分が一番おいしいところを持っていくために、自分より目立たないけど役に立つ駒が欲しいって言ってるんだよ。でも、それってものすごく失礼な言い分だって自覚ある?僕はさっきの黒服さんみたいに君の命令に絶対服従ではないし、命を助け合った仲間でもなければ、恩も義理もない」
「それは…」
智輝が言葉に詰まる。
「だいたい、ヤクザの息子っていうのを嫌ってるくせに、なんでその力を使って僕を誘拐したりするの?本当にそれが嫌ならお母さんのところに行って、木下の家と縁を切ればいいじゃないか」
秋人が呆れた顔で立ち上がった。
「さっきの話で同情してもらえるって思ってたんなら大間違いだよ。」
冷たい秋人の声。
「僕の両親は新宿第六ダンジョンを封鎖するために命を落とした。死体も回収できなかった。僕は天涯孤独になってそれから5年、地を這って生きてきた。でも、そんな人は世界に大勢いる。君が馬鹿にした僕の保護者も、家族全員ダンジョンブレイクで失って、でも自力で努力して優秀な弁護士になった人だ。でも、彼も僕も自分が可哀相だなんて言わない」
智輝は答えらえない。
「君は生きて元気で健康で才能がある。自力で努力すれば夢をつかめるかもしれない道もある。君のことに親身になってくれる家族がいて何不自由なく暮らしてる。なのに君は自分が可哀相なの?」
智輝は羞恥で頬が赤くなるのを感じた。
今目の前に立っている少年が、自分とどれほど違う人生を歩んできたか想像もしていなかった。災害孤児で親がいないという本当の意味を理解していなかった。彼はもうすでに一人で人生を歩んでいるのだ。
「僕は、最後に両親と見たダンジョンの景色を絵にして残したい。だから美術部に入った。君のわがままに付き合ってる時間はない」
秋人が何度も何度も忘れないように思い返した光景。
金色と虹色の混ざった光が複雑なカーテンのように十重二十重に折り重なった美しい景色。父と母との最期の思い出。あれをせめて形にして残したい。
「すまなかったね」
ドアがあいて和幸が入ってきた。
「息子のわがままに付き合わせて申し訳なかった。家まで送らせよう」
「いえ、近くの駅までで結構です」
秋人が冷たく答えた。和幸は苦笑を返す。
血は繋がってない筈だが、この前煮え湯を飲まされた弁護士とよく似ていると思った。
和幸「まあ、なんだ。初恋は実らないもんだぞ」
智輝「冗談でもまじでやめろよ」
和幸「でも、お前秋人くんに『めんどくさい女子』よりもめんどくさいって思われてるぞ」
智輝「・・・・・・(言葉も出ないくらいショックを受けている)」
和幸「まあ、初恋は実らないもんだよ」
智輝「勘弁してください」




