6. 決裂
夏休みが楽しみだねと皆で盛り上がっていると、部室に智輝がやってきた。
彼の顔色は悪く、この前までの不遜な態度はすっかり影を潜め、目はおどおどと視線が定まらなかった。
「何か用か?」
部長が秋人と智輝の間に割って入った。
部員も顧問も野球部の横暴にはかなり頭にきていた。そもそも、野球部より美術部の方は対外成績はいいのだ。馬鹿にされる筋合いはない。
「木下君。言いたくないけど、今回の件は圧倒的に君が悪い。如月君は何も悪くないよ。君の所為で美術部全員大変迷惑をしている。これ以上事を荒立てるなら、私も学年主任に訴えねばならん」
顧問が珍しく強い口調で、部長の後を継いだ。
彼も秋人の才能には気が付いていたので、野球部などに持っていかれるわけにはいかないと思っていたのだ。
智輝は俯いてぺこりと頭を下げて、足早に去っていった。
「何しに来たんだ、あいつ」
部長が呟く。
「あやまりに来てくれたんじゃないかしら」
美香の言葉には皆首を傾げた。
「そんな殊勝な奴かしら」
「そうよねー。感じ悪かったもの」
秋人は去っていった彼の後姿を黙って見ていた。
個人的にはもうこれで勧誘してこなくなってくれれば、後はどうでもよかった。
部活が終わって手早く道具を片付けた秋人は、いつもよりゆっくり学校を出た。
今日は薫はなんでも「ハラスメント講習会」なる催しに参加するらしい。知り合いの弁護士が主催の催しで、裏方を頼まれてるのだそうだ。最近では珍しい普通の弁護士案件だ。その後打ち上げがあるとのことで、「どこかでご飯たべておいで」と言われて食事代も渡されている。
秋人はこの前美香に連れて行ってもらったカフェに行こうかと思っていた。
「如月」
校門の前でそう声を掛けられて、その声に思わず眉を寄せる。
秋人はあまり他人に対して感情を揺らすことがないのだが、さすがにここ数日の出来事でうんざりしていた。
「何?」
無表情で秋人が振り向く。
秋人からすると不機嫌な態度を見せるのは礼儀に反すると思っているから表情を消して見せたのだが、彼の整った顔でそれをされると、取りつく島もなく冷徹に見えるのだ。
智輝はぐっと言葉に詰まった。
「話がある」
「僕はないよ」
ため息を一つ吐いた。もう本当に勘弁してほしいというのが正直な気持ちだった。
「野球部に入れってのはもう言わない」
「あ、そう。分かった」
秋人は駅と反対側に歩き出す。
「でも、話を聞いてほしいんだ。俺がなんでお前を野球部に誘ったのか。その話聞いてからもう一回考えてくれよ」
秋人の後を追いかけながら、智輝が言い募る。
流石の秋人も、もはや限界だった。
「いい加減にしてくれないか。君の所為で美術部の夏の合宿は台無しになるところだったんだぞ。僕は絶対に、金輪際、かけらも、これっぽっちも、野球なんか好きにならないし、やる気もないよ!」
吐き捨てるように秋人が叫ぶと、周囲の学生が二人のやりとりに注目しだす。
体格のよい智輝と、見目のよい秋人が言い合っているのだから、目立つことこの上なかった。
智輝は顔面蒼白で秋人を見つめている。秋人はその秀麗な顔に怒りの表情を浮かべ、きっと智輝を睨んだ。それだけでものすごい迫力である。一気に血の気は引くのを智輝は感じた。
秋人は深呼吸する。思わず魔力を暴走させるところだった。
最近感情のコントロールが効かない。前はこんな風に不安定になることなどなかったのに。
少し自分が怖くなって、秋人は俯く。無性に薫の顔を見たくなった。今日は外食はやめて家で食べようと秋人は計画変更を決意した。
「悪いけど、本当にもう勘弁してほしい」
ぼそりと呟くと、足早に駅に向かった。
とそこへ、黒塗りのセダンが急発進で現れ、秋人をあっとういう間に車の中に押し込めた。
「は?」
急展開についていけず、されるがままの秋人を尻目に、智輝は反対側のドアから車に乗り込む。
「出して!」
彼が叫ぶと車は急発進した。周囲は騒然となった。どうみても秋人が誘拐されたからだ。
「誰か!先生に連絡!!」
「いや、110番だろ」
叫ぶ学生たちを置いて、セダンは高速道路に向かった。
「流石にこれは洒落じゃすまないと思うんだけど」
呆れてすっかりやる気がなくなった秋人が呟くと、智輝は両手を合わせて
「ごめん、でもどうしても話を聞いてほしくて」
と拝む仕草を見せた。
ふうっと大きく秋人は息を吐いた。
「学校に電話して。如月秋人を無事に家まで送り届けますから心配しないでくださいって」
「え?」
「君、校門の前で僕を誘拐したってこと気づいてる?」
秋人の言葉に智輝は顔面蒼白だ。
「あなたたちも坊ちゃんが大事なら止めるべきだったよ」
秋人は自分を引きずり込んだ男と運転手をジロりと睨んだ。男たちは俯いてだんまりである。彼らは誘拐で捕まる覚悟だったようだ。
車はとある豪邸の門を抜け、車溜まりに滑り込んだ。
「お帰りなさいませ」
と老齢の男が頭を下げる。
智輝は微かに頷いた。秋人はため息をついて車を降りた。ここから走って帰ることも簡単だったが、もうけりをつけようと決めた。
「すぐに夕飯の支度が整いますので、今しばらくこちらでご歓談ください」
おそらく執事である男がそう告げて案内した先は、談話をするための居心地のよい部屋だ。しかし、中の空気はブリザードである。
「で、話って?」
秋人は適当にソファに座る。
「いや、話は飯食ってる時にする…」
「僕は早く帰りたい。夕飯は要らない」
取り付く島もない返答に智輝の肩が落ちた。
「まずは謝らせてほしい。美術部の保養所の件は本当にすまなかった。先輩の中に親がうちの会社で働いている人がいて、変に気を回したみたい。俺の本意じゃなかったんだ」
智輝は深々と頭を下げた。やはり、さきほどは美香の言う通り謝りにきたようだった。
「うちの会社の保養所を使ってくれて構わないって父さんが…」
智輝の言葉を秋人は片手を上げて遮った。
「それは、もう解決したから問題ない。君がいうところの僕のダメな保護者の伝手でなんとかなったから」
智輝は秋人の返事を予測していなかったらしい。
「あの人数で予約できたのか?」
「うん。問題ないよ」
「そっか…」
夏休みにそれだけの大人数の宿を確保するのは至難の技だ。ましてや、部活動ということで、あまり予算もかけられない。智輝の作戦としては、ここで宿泊所を斡旋して少しでも自分への評価を上げたかったのだが、まったく逆効果になってしまった。
「話がそれだけなら、僕は帰る」
「待って!」
立ち上がりかけた秋人の袖をつかんで止めた。
「俺、ヤクザの息子なんだ」
智輝は死刑の宣告を受けるような気持でその言葉を綴ったが、生憎秋人には何も感銘を与えなかった。
「そうなんだ」
と普通に返事をしたことで、智輝は変なものをみる目で秋人を見た。
「怖くないの?」
「全然」
平然としている秋人に逆に智輝が愕然とする。
「如月は変わってるな」
「そうだよ。変わってるんだよ。だから大変なんだ」
ふうと秋人がため息を付く。本当に、ままならない。自分がもう少し普通に育っていれば薫の苦労は半分に減っていただろうに。
「ヤクザの息子と野球が何の関係があるの?」
仕方なく秋人が尋ねると、智輝はぽつぽつと話し出したのだった。
薫「はぁ!?秋人が誘拐された?どこのどいつがどうやって!?」
弁護士A「神崎先生、大変そうだから今日はもう帰っていいですよ」
薫「すいません。この埋め合わせは必ず!!」
弁護士A「いやいや、一大事でしょ。早く帰りなさい」
薫「すいませんっ、ではこれで!」
弁護士B「今窓から飛び降りたの神崎先生じゃなかった?」
弁護士A「あいつもだいぶ人間離れしてきたなぁ。加藤先生思い出すよ」




