7. 夜の散歩
活動報告に50話記念のSSをアップしましたー
「もう遅いから駅まで送っていきなさい」
薫の言葉に秋人は頷く。
「駅はすぐそこですから」
と美香は固辞したが、「コンビニに用事がある」という秋人の言葉に折れた。
二人で駅までの道を歩く。
美香は女子にしては背の高い方なので、秋人とあまり身長が変わらない。なんだか、弟ができたようだと美香は思った。
「それじゃあ」
駅の明かりが見えたところで美香が手を振る。この辺りはまだ人通りが少ない。秋人は駅まで送るつもりだったが、「そこまでだし」と、今度は美香が譲らなかった。
美香が横断歩道を渡ろうとしたその時、一台の乗用車が突っ込んできた。ヘッドライトの明かりが視界に広がる。悲鳴をあげようとしたがその時間すらなかった。
咄嗟に美香は目をつぶったが、不思議と衝撃は来なかった。
「え?」
恐る恐る目を開けると、いつの間にか目の前に秋人がいた。
彼は右手で美香を抱え、左手一本で突っ込んできていた乗用車を止めていた。夜目にうっすらと彼の体が緑色に光っている。
「は?え?え?」
恐慌一歩手前の美香に、秋人は耳元で囁く。
「工藤先輩、怪我はない?」
その言葉に我に返って美香は自分を見渡した。傷一つないが、今はそれどころではなかった。秋人に支えられていなければ、おそらく地面にへたり込んでいただろう。
美香が落ち着くのを待って、秋人は停止した車のサイドに回り、ガラスに無造作に拳を突っ込んで割った。
「飲酒運転だ」
窓ガラスが割れると同時に、強いアルコール臭が漂ってくる。
「面倒だな」
秋人は小さくつぶやくと、美香を両腕で抱えてとんと軽く跳躍した。すると、どうだろう。あっと言う間にどこかの屋根の上まで飛んでいたのだ。美香は驚きで声も出ない。
「警察に届けると先輩が家に帰るの遅くなるからね。ちょっと待っててください」
秋人はポケットからスマホを取り出し、薫に連絡を入れた。
「薫、ごめん。なんか交通事故にあった」
『え?怪我は?相手は誰?工藤さんは大丈夫?』
「単なる酔っ払いみたい。普通の人だった。だけど、警察に事情聴取とかされてたら先輩が家に帰るの遅くなるから、ちょっと跳んで逃げちゃった」
『分かった。後藤さんに繋いておく。後から報告はしてくれよ』
「うん、わかった。先輩の家まで念のため送る」
『自力で?』
「まずいかな」
『うーん…代わって』
薫の返答を聞き、秋人はスマホを美香に渡した。
『工藤さん、落ち着いてください。詳しい話は後日きちんと説明しますので、今は彼に従ってください』
「あ、あの…えっと、神崎さん、これはいったい」
『秋人も私も探索者です。事情があって伏せています。万が一のことがありますので、ご自宅まで秋人を付けます。』
「ふえ」
「先輩、遅くなるから行きますよ」
話の途中だったが、秋人が遮った。美香はスマホを握りしめながら固まっていたので、丁寧にその手からスマホを受け取った。
「野次馬が集まってきそうだから移動する。薫、後藤さんによろしく」
『気を付けて』
通話が切れて、スマホを秋人がポケットに突っ込む。
そして、また美香を抱えとんとんと片足を地面に二度、三度リズムを取るように鳴らした後、おもむろに跳躍を開始した。
「うわわわわわ」
美香の口から声にならない悲鳴が上がる。ビルからビルへと高速で飛び移るのだ。生きた心地がするわけがない。耳の横を高速で風が切っていく。
「先輩、見て。ほら、ネオンが綺麗でしょう」
秋人が気軽に言うが、美香は当初怖くて目を開けるどころではなかった。しかし、10分も過ぎるころには恐る恐る目を開けることができた。
「わあ」
見たこともない角度から東京のネオンが眼下に広がっていた。
メガネの奥の目を輝かせて呟く美香に、秋人はにっこりと笑った。自慢の風景を案内できてうれしかった。ついこの前まで、この光景を楽しめたのは薫と当夜とだけだったのだ。
今日美香が見せてくれた画材屋の景色のささやかなお返しのつもりだった。
「先輩の家って世田谷でしたよね?」
「うん。そう」
「分かりました」
秋人はどうやら世田谷までこの方法で連れていくつもりらしい。
「もう大丈夫よ、落ち着いたわ。途中で電車に載せてくれたらいいから」
そう言ったが、秋人は首を振った。
「たぶん大丈夫だと思うけど、念の為お家まで送らせてください」
「だけど、私って重くない?」
華奢な秋人が自分を抱えているという事実にふと思いいたる。身長だって同じくらいだ。しかし、秋人はぷはっと噴出した。
「全然。軽い軽い。この前は100キロ近い大男を運んだから、先輩なんて羽みたいなもんですよ」
秋人はアメリカでのことを思い浮かべた。
「如月君って探索者だったのね」
「うん。ちょっとどこまで話していいか、僕には判断付かないから説明できなくてごめんなさい」
秋人が申し訳なさそうな顔をしたが、色々と腑に落ちることも多かった。
「もしかして美術方面に進めないかもっていうのは、それの所為?」
「うーん。どうかなあ」
秋人は考えた。探索者を辞めてもいいよと薫は言ってくれている。どうしても探索者でいなくてはいけないという事はないということも、今の秋人は理解している。
「悩み中」
秋人は答えた。まだ自分が何になりたいのか、決まっていなかった。
結局そのまま自宅近くまで跳んで、玄関まで送ってもらった美香は大変恐縮していた。
「ごめんなさい。余計な手間かけて」
「いいえ。先輩が無事でよかった。」
そこから、秋人は少し躊躇った。
「あの…僕の事、怖かったですか?」
恐る恐る尋ねる顔がひどく傷ついているようで、美香は心が痛んだ。きっと、今までも色々な辛い思いをしてきたに違いない。
「いいえ、全然。とってもカッコよかった。助けてくれてありがとう」
にっこりと特大の笑顔を浮かべて美香が礼を言うと、秋人は少し驚いた顔をした後、花が咲くように笑った。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
挨拶をして別れる。
美香は何となく何となくなのだが、とても別れがたかった。ついさっきまで弟ようだと思っていた少年は、彼女の中ではもう弟ではなかった。
何を言っているかまでは分からなかったが、去っていく少年をぼんやりと見つめている妹を、窓から眺めていた姉は
「遅い初恋だこと…」
と呟いた。




