6. 初めての友達
秋人は美香を連れて、帰宅した。
デザートまでは手が回らないと薫に言われたので、カフェでケーキを買って帰った。
「ただいま」
と秋人が声を掛けると、
「お帰り」
と台所から薫が返事する。
「先輩、どうぞ」
「お、お邪魔します」
美香は恐る恐る玄関を潜った。
浅草の少し鄙びたビル、その最上階に二人の住まいはあった。
どこからどう見てもワンフロアぶち抜きである。お金はあるという秋人の言葉は伊達ではなかったのだと美香は思った。
「初めまして、秋人の保護者をしています。神崎薫です」
台所から出てきた青年は、超ド級の美形だった。美香は空いた口がふさがらなかった。
入学式の時に保護者席に異様に綺麗な男がいたと噂を聞いたが、「これ」だと美香は思った。
「あ、あの…工藤美香です。初めまして」
何とか挨拶の言葉を振り絞った。
「もう少しでできるから、ゆっくりしていて。秋人、工藤さんにお茶を出して」
「分かった」
秋人は素早く台所に向かう。
「どうぞ、ゆっくりしていってください。あなたは、秋人が初めて連れてきた学校の友達です。歓迎します」
薫の言葉はいろいろな事を素早く美香に伝えた。美香は小さく頷いた。
夕飯は楽しかった。後から合流したミドリも含めて話は弾んだ。
薫の料理は秋人が自慢するだけあって、本当に美味しかった。
唐揚げとポテトサラダとコーンスープ、アスパラのベーコン巻、キャロットラペ、ブロッコリーとツナの和え物などがテーブルに所せましと載っている。
「高校生は沢山食べるからね。遠慮せず」
薫の言葉に秋人は大きく頷いた。
彼は今日行った店や購入した画材について、薫に楽しそうに説明している。二人の仲は良好なのだろう。美香はホッとした。
食後のお茶をもらいながら、美香は何から話そうかと思案する。
薫の心配はおそらく自分が秋人に対してどのような意図をもって近づいたかだろう。
もちろん、美香は秋人がとんでもない資産を持っているなどということは知らなかったし、彼の両親が死亡しているということも知らなかった。
「じつは、うちの部は表の部員と裏の部員がいまして…」
美香が話す内容は秋人も知らないらしく、不思議そうに首を傾げた。
「表部員は普通の美術部員なんですが、裏部員は所謂『オタク』的な創作活動を主にしている方々でして。秋人くんはそっちの方なのかなーと思ったんです」
それで、今まであまり油絵には興味がなかったのかと思っていたのだと説明すると、薫は
「ああ」
と納得がいったようだった。
秋人は一応当夜から漫画も借りて読んだことがあるのだが、あれは読むのに暗黙のルールがある読み物なので、いまいち内容を理解できていない。
「それで、すいません。もしかしたら、ちょっとばっかり秋人君のご家庭の事情を詮索するみたいな流れになってしまって」
「いえ。おそらく普通に会話したら違和感あるでしょうからね。秋人は、10歳でご両親を亡くしてから、ちょっと特殊な環境に置かれてしまっていたので、あまり普通の子供ような小学校、中学校生活を送れていないんです」
薫はふわっとした外縁だけ説明した。
深く説明すると、彼女に利用価値が出てしまう可能性があるからだ。
「その、言いにくいんですが、金銭感覚とか話しちゃいけない事とか、もう少しレクチャーしておいた方がいいかと」
「…そうですよね。すいません。そこまで手が回ってなくて」
薫は小さくため息を零す。
何しろ、秋人を取り巻く環境の第一は、まず3Sランクの探索者であるという特殊事情に関する話だったので、「普通の子供と違う部分がある」というレベルの話は後回しだったのだ。
6か月でよくここまで体裁を整えたなというのが、薫の正直な感想だった。
「よかったら、私が」
美香は姿勢を正して言った。
「私と色々お話して、レクチャーしましょうか」
「そこまでご迷惑をかけるのは…」
薫は眉を寄せる。
「余計なお世話かもしれませんが、如月くんはすごく芸術的なセンスを持っていると思います。私の父が画家なので、昔からいいものには触れてきたので、わかるんです。」
美香はびっくりしてこちらを見ている秋人に笑いかけた。
「でもたぶん、今まで全然触れてこなかった基礎の部分が抜けているので、そこをしっかり伸ばすことが必要なんです」
美香の部屋に飾られているあの絵、おそらく美香が何十年と修行してもたどり着けない高みに、今既に秋人はいる。
「私、如月君の才能に心酔しています。どうかお手伝いさせてください」
美香は頭を下げた。
困った顔の薫は、横にいるミドリをちらっと見た。ミドリはじっと美香を見つめていたが、女の勘的に悪い感じではなかったので、小さく頷いた。
「まあ、そういう事でしたら…そちらの方面は私ではさっぱりですし」
うーんと唸る。
「絵心ないもんね」
「ほっとけ」
ミドリの茶々入れに薫は舌打ちする。
「でも、私は進路については秋人の自由にすると決めています。彼がそちら方面にいくとは限りませんよ?」
「はい。それはいいんです。ただ、如月くんが、描きたいものを描けるようにお手伝いしたいんです」
薫の返答に、美香は大きく頷いた。
薫は「どうする?」という視線で秋人を見る。秋人はびっくりしたまま固まっている。
「嫌かな?」
美香の質問を咀嚼した後、秋人はうーんと唸った。
絵を描くのは嫌ではない。が美香が求めるほどの気持ちがあるわけではない。
己は今のところ探索者で、おそらくこれからも探索者だろう。
しかし、そのこと美香に告げることは今はできない。もう少し親しくなれば可能だが、今はまだほぼ初対面だ。
「えっと、僕は先輩の気持ちに応えられないかもしれませんが、描きたい絵があるので色々絵の描き方を教えてもらえるのと、今朝みたいに何がダメだったか教えてもらえるのはありがたいです」
素直な秋人の返答だった。美香は大きく頷く。
「それでいいわ」
「それじゃあ、よろしくお願いいたします」
秋人がペコリと頭を下げた。
こうして、秋人は工藤美香と特別なかかわりを持つことになった。
秋人にとって初めての魔力のない友達だった。




