5. 探索者
秋人は強かった。
探索者の本物は初めて見るし、その魔法や肉体を使った戦闘シーンなどを、辛うじて映像でチラリと見たことがある程度の素人のある薫でさえ、彼の強さが抜きんでていることが分かった。
四方から襲い掛かってくるモンスターを紙でも裂くように斬り伏せる。
秋人の手には薄い水色に光る刀身の剣があり、その刃はけしてモンスターを逃がさなかった。
驚いたのは薫の背後に迫っていたモンスターでさえ、滅することができることだ。秋人とモンスターとの距離は刀身より長かったが、そこから放たれた斬撃は、モンスターを真っ二つにしたのだ。
「すごいな、当たらなくても斬れるのか」
薫が感嘆をこめて呟くと、秋人は小さく頷いた。
「僕、魔法剣士のジョブもちなので、この剣は自分の魔力の塊みたいなものです」
薫は、秋人の言葉を半分くらいしか理解できなかったが、純粋な固形物ではないのだということは理解できた。
「急ぎます」
秋人が足を速める。
周辺を囲むように群がるモンスターなどいないかのように、秋人は駆け上がった。
薫はついていくのがやっとだったが、文句を言う筋合いではない。
何しろ、自分が彼に対して急いで外に出たいと願ったのだから。
「それじゃあ、殺されかけたんですか」
薫の現在の境遇を聞いた秋人は、「ふええ」と気の抜けた声をあげ、大きな目を丸くして驚いていた。
「そんな小説みたいな話あるんですねぇ」
「まったくだよ」
薫だって、己の身の上にこんな事件が降りかかるなど思っていなかった。殺人事件の被害者役など御免こうむりたい。
たまたま彼の強運が火を噴いて生きているが、普通ならとっくに死んでいる。
「それで、秋人くん。実は図々しいお願いなんだが、助けてほしいんだ」
薫の言葉に秋人は笑顔を向けた。
「もちろんです。探索者は一般人が遭難していたら何をおいてでも救助してダンジョンの外に連れ出す義務があります。神崎さんのことは、ちゃんと地上まで案内しますし、ダンジョン内のモンスターは僕が倒すので安心してください」
頼もしい中学生の少年の言葉には、底知れない自信が滲んでいた。
3Sランクの探索者に請け負ってもらったのだ。大船にのった気持ちになるべきなのだが、薫にはただ外に出るだけはすまない事情があった。
「できれば、あと2日以内にここを出たいんだ」
切羽詰まった薫の声に秋人は眉を寄せる。居住まいを正して、薫に告げた。
「ここはダンジョンの56階です。Aランクの探索者でも人によっては来ることさえ難しい深層です。神崎さんは一般人なので、瘴気にも慣れていないし危険です」
瘴気というのはダンジョンのモンスターが放つ独特の魔力のようなもので、ジョブを得ていない一般人なら吸うだけで体調が悪くなる毒霧のようなものである。
倒すと効果はなくなるが、吸い続けると死を招くこともある。ダンジョンブレイクが怖がられる一因でもあった。
専門家の言うことだ。薫だって通常なら異論を唱えたりしない。
しかし、薫にはタイムリミットがある。
己の死亡が確定し、事務所が売られてしまう前に絶対に帰らなくてはならないのだ。
かいつまんで事情を話すと、しばし秋人は沈黙した。それから大広間のはるか上を見つめる。虚空に見える小さな白い点。あそこが出口だ。
「ダンジョンは8の倍数の階層にボスモンスターがいます。それを倒していかないと次の階層にいく通路が出てこないのです。自分はここにくるまでに6体のボスを倒しました。
48階と40階と32階はおそらくまだリポップしていないと思いますが、24階、16階、8階のモンスターは再生していると思います」
ひたと秋人が薫の目を見つめる。秋人の瞳は凪いだ海のように静かだった。
「神崎さん、死ぬ覚悟はありますか?」
それは命を賭けるほど大切なものですか?
秋人の言葉を薫は噛みしめる。
「大事なんだ。俺にとっては生きていくためにどうしても必要なものなんだ。今ここであいつらに持っていかれたらもう取り戻せない」
薫はぐっと拳を握る。
「頼む、助けてくれ」
14歳の少年に懇願する薫に、だが英雄は花が綻ぶような笑顔を向けて、大きく頷いたのだった。
こんな風に秋人を頼ってくれた人はいなかった。秋人は薫に頼られることが堪らなく嬉しかった。
…何時間進んだんだろう
薫は流れ出る汗で視界を歪ませながら息を吐く。
行けども行けども同じ景色。切り立った竪穴と遥か上に小さくまるい天井。
四方八方から湧いて出るモンスター。それをゴミでも払うように切り裂く少年の背中。
ふと、彼の足が止まった。
ここは25階。この上にボスがいる。
「やっぱり再生している」
上りになっている通路の先を見つめて秋人がつぶやく。そして、クルリと薫の方を向いた。
「神崎さん、少し休憩しましょう」
「いや、今は…」
「ここからかなり無茶をします。なので息を整える必要があります」
ごもっともである。
あの大広間を出る時に約束させられたのだ。何があっても秋人の指示に従うと。
素人がプロに逆らって言うことを聞かなければ助かるものも助からない。そんな例を裁判でいくつも見てきた。
その時は、薫はなぜそんな判断をするのかと、プロに逆らった素人たちの「仕方なかったんだ」というセリフを理解できなかったが、今は少し理解できた。しかし、薫はその愚かさも身に染みて知っている。
彼は逸る気持ちをぐっと堪えて立ち止まった。
秋人は1辺が2メートルほどの四角を描き、その四隅に光る棒を立てた。
「簡易結界です。この中にはモンスターは入ってきません」
それがどれほど高度な技術かなど知らない薫は、無言で結界の中にへたり込んだ。止まると立てなくなるのではないかというほどの疲労困憊である。
へたり込む薫の横に腰を下ろし、秋人が虚空から瓶を取り出す。
「どうぞ」
秋人が渡してくれたガラスの瓶にはエメラルドグリーンの液体が入っていた。
「ポーションです」
「うお、これが」
体力を回復するマジックアイテム。薫だって知っているくらい有名なダンジョン探索に欠かせない基本装備だ。しかし、見るのは初めてだ。
地上でこの液体を使うことは基本的には禁止されている。いわゆるドーピング扱いである。さらに、なぜか地上で使うと中毒症状が出て、酷い場合は廃人になるのだ。
子供の頃、冒険を夢見た日々の憧れのアイテム。目の前にそれがある。
薫はわくわくする気持ちで顔の前でその美しい液体を振った。
「初めて見た」
「ふふ」
秋人が笑う。
「味は?緑色だからメロン味とか?」
「さあ、どうでしょう」
恐る恐る口をつける薫を観察する秋人。
瞬間、薫は噴き出しそうになる口元を必死に抑えた。かなり高価なことくらいは薫だって知っている。だが、こんなに不味いとは知らなかった。
悶絶している薫を見て、一つ秋人は頷いた。
「やっぱり、神崎さん覚醒していますね」
「へ?」
薫は、驚きに目を見開いて秋人を見つめた。