3. 恋バナ
金曜日の夜、なぜか当然の顔をして神崎家の食卓についていた当夜は、明日遊びに行かないかと秋人を誘った。それは、ダンジョンで模擬戦をしないかというのと同意義だったが、珍しく秋人は首を振った。
「明日は、部の先輩が絵具を一緒に買いに行ってくれるからダメ。明後日の日曜日ならいいよ」
秋人の返事に、当夜は
「なんだと」
と剣呑な反応をする。
「おいおい、秋人だって高校生ともなれば、付き合いの一つや二つあるだろう。断られたからってその態度は…」
当然のように、お代わりを要求してくる当夜の茶碗にご飯をよそいながら、薫が窘めた。
「いや、だって、そんな、高校一年生の、しかも4月にいきなりデートとかダメでしょ。さらに年上の先輩とだなんて、なんて破廉恥な」
「は?」
当夜の言葉に薫は呆れた。
「何言ってるんだよ。明日の買い物は部活の先輩だろ?」
「いや、神崎先生。賭けてもいい、女です」
当夜の言い草に一応薫は秋人を見やると、秋人はポカンとした顔をしていた。
「あれ?なんで女の先輩って知ってるの?」
と言う秋人の言葉に薫もぎょっとした。
「え?秋人、女の先輩なの?」
「うん。美術部は部長以外はほとんど女の子だよ」
薫は頭を抱えた。
「秋人…君、その…交際を申し込まれたりとかは…したの?」
「まさか」
秋人は苦笑を零した。
「僕にそんな興味のある女の子いないでしょ。すごく絵の上手い先輩なんだ。色々教えてもらってる」
秋人の返答に、大人二人はうーんと考え込んだ。
「秋人の認識ではそうなんだな…でもこれ、どうだろう。向こうはデートだと思っている可能性ありか?」
薫が唸ると、当夜は箸を振り回して抗議した。
「思ってるに決まってるでしょ!先生!何を呑気な事を」
「いや、でも、別に将来を誓うとか、ホテルに行くとかじゃなければ、高校生なら彼女の一人や二人いたっておかしくないだろう」
「二人はおかしいっす」
「そうか?」
「これだから、イケメンは。地獄に落ちろ」
当夜が叫ぶ。
「いや、俺はもてなかったよ」
薫が真顔でそう告げると、今度は秋人と当夜が驚いて薫を見た。
「嘘だろ」
当夜の言葉に、薫は肩を竦める。
「まあ、そりゃね、遠巻きにはされてましたよ。なんかこう『みんなのアイドルでいてねー』とか『特定の彼女許さん』とかそういう一部の女子が暴走したりね」
秋人と当夜が顔を青くした。心底、底冷えのするような顔で薫が続けた。
「なんというか、告白とか真剣なのはなくてさ。5人とか団体でくるわけよ。何なの?それって感じだし。要約すると、薫はみんなのものだから、ここから一人とか決めたらだめよとか、意味わからない宣言されたりさ。バレンタインのチョコレートとかはもらったけど、あれとか本命チョコとか返事下手にしたら命にかかわりそうな勢いだったからな」
遠い目で薫は中学、高校時代を思い浮かべる。
「思えば佐代子って、そういう雰囲気なかったんだよなぁ」
「先生の元婚約者?」
当夜の確認に薫はこっくりと大きく頷く。
「大学では、そこまでおかしな奴らはいなかったんだけど、なんかこう…女子がぎらぎらしてて、あんまり普通に喋ったりしてくれなくてね。でも、佐代子は俺の事を、全然そんな風に扱わなくて、なんというか一人の人間として付き合ってくれててさ」
ふうっと薫がため息を付く。
「いや、まあ…なんてことはない。単に嫌われてたってだけなんだけどな」
はははと薫が乾いた笑い声をあげる。痛々しい。
この前コネで見せてもらった調書の内容に少し、いやかなり凹んだ薫だった。
好きで付き合ってくれと告白して婚約までした相手に、実は大嫌いだったと言われたら、そりゃ落ち込む。
秋人は静かに冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出して、薫の前に置いた。優しい。
薫は缶ビールを空けながら秋人に尋ねた。
「その先輩は普通の子?」
「うん。普通の人。魔力とか全然なし」
「そっか…変なひも付きじゃなければ大丈夫か」
薫は首を捻った。しかし、当夜は何故か大反対だ。
「いや、ダメっすよ。流されちゃ。あっくんは人慣れしてないんだから、手玉に取られて、弄ばれますよ。その次にはバッグ買ってとか、時計買ってとか言われますよ」
「やけに具体的だな」
薫が顔を顰めた。
「名家の主流に近い男は、美人局やら、ハニートラップの誘惑がすげえ多いんっすよ」
ああっと薫と秋人は視線を交わした。時々忘れるが、当夜は朽木家の本家に近い血筋の御曹司という奴である。
「身内だけじゃなくて、会社関係とか、学校関係とか、とにかく油断ならないところから出てくるんですよ。今は、まあ俺はドロップアウトしたから静かですけどね」
当夜は湯呑のお茶を飲み干した。
大学生時代はそれなりにお誘いがあった、今はゴミを見るような目でみられることを話すと、薫と秋人は石でも飲んだような顔をした。
「あっくんは、たぶん今の自分と、前の自分の違いがよく分かってないと思うけど。賭けてもいいけど、お前、今度のバレンタインはえらいことになると思うぜ」
当夜はため息を付いた。
秋人はつい半年ほど前までは、ボロボロで華奢で小さく、いかにも貧乏臭い容姿だったが、今は違う。きらっきらの美少年である。
おまけに最近悩みの種から解放されたからか、よく笑いよく話す。そして、やはりただ物ではないオーラがあった。
その違いが本人には一番分かってないのだ。
「ん-…でも大丈夫だよ。僕なんてまだ友達もできないし」
今度は秋人のしょっぱい話だ。
なぜか週末の楽しいはずの食卓で辛い話になってしまった。三者三様に口を噤む。
秋人は冷凍庫から最近お気に入りのアイスクリームを取り出して、食べだした。当夜の目の前にもおいてくれた。優しい。
「まあ、とにかくあれだな。秋人、スマホ出して」
薫の言葉に秋人は素直にスマホを手渡す。
「お金入れておくから、画材はこれで買いなさい。それから、買い物終わった後は、お礼に先輩と何か美味しいもの食べておいで」
薫は秋人のスマホに数万円の金額を振り込んだ。お小遣いである。
秋人は不思議そうに首を傾げた。
「僕、カード持ってるよ」
秋人の言葉に、薫と当夜はため息をついた。
「ブラックカード持ってる高校生とか、怪しくてしょうがないだろう」
当夜の言葉に、薫はうんうんと頷いた。
現在の日本では18歳未満はカードは作れないが、秋人は探索者として既に働いているので、例外的にカード会社が発行してくれたのだ。
ギルドのショップなどで装備品を買ったり、加工をお願いした時には、このカードを使用している。数千万円の支払いでもびくともしないブラックカードである。
上限なしのクレジットカードを、本人名義で持っている高校生なんて、今の日本では秋人くらいだろう。
「あー…そうかな」
秋人は頭を掻いた。
「携帯と口座の紐づけしておかないとな」
薫はため息を付いた。まあ、今時の高校生ならクレジットカードではなく、スマホ決済だろうから、これで幾分ごまかせる筈である。
「楽しんでおいで」
「うん」
秋人は小さく笑った。
秋人は探索者関連ではない普通の人と遊びに行くのは初めてだった。
自分が柄にもなく楽しみにしていたことを、今初めて自覚した。




