1. 入学
第四章の始まりです。
栗原明子は、同じクラスになる予定の少年から目が離せなかった。
長い睫毛が頬に影を落とす。そんな長さの天然睫毛がこの世に存在するのか…と明子は愕然とした。
彼は、体育館で行われる入学式のパイプ椅子に、ただ伏し目がちに座っているだけだった。しかし、まるでそこだけスポットライトが当たっているかのように、人の目を吸い寄せていた。
チラチラと女子も男子も彼を見ているのに、本人は気づいていないのか微動だにしない。
ピンと伸びた背筋、じっと一点を見つめる姿勢、何か武道を感じさせる佇まいの少年。
線は細く、華奢にも見えるが、なぜか雪原に凛と立つ杉の巨木を見上げているような、不思議な気持ちになる。
この学校には探索者の名家から入学する生徒も多いと聞いていたから、その関係者だろうかと明子は思った。
彫像のように動かなかった彼が、ふと顔を上げ、背後にある保護者席を振り返った。
そこにもまた心がざわつくような人物が立っていた。
薄いグレーのスーツを着こなし、少し明るめの柔らかそうな髪を流している青年。そのあまりの美しさに保護者席のお母さんたちがソワソワしてしまっていた。
明子は「イケメン」という軽い言葉では足りない、これが美貌ってやつか!と心の中で叫んでいた。
同級生になる予定の少年より、保護者席の彼の方が幾分雰囲気がある。
お母さんたちが頬を染めて見つめていても、これは仕方ないだろう。何人かの保護者がスマホで隠し撮りしている始末だ。気持ちは分かるが。
その彼が、同級生のあの子が振り返ったことに気が付いて、小さく笑って右手を軽く挙げた。
それを見て、少年は本当に嬉しそうに、そして少し困ったように笑った。
明子はその笑顔に見とれた。
「来れないと思ってた」
式典が終わってクラスミーティングが終わり、帰りに記念撮影や何やしている親子連れの中、一際目立つ二人組が、桜の木の下に立っていた。
「ああ、なんとか間に合ったよ。秋人の高校の入学式は一生で一回だけだからね」
薫はニコリと笑う。秋人は嬉しかったが、確か今日は公判があったはずだと記憶していた。
「でも、間に合わないだろうなって当夜が言っていたんだ」
「ああ、当夜に裁判所の前で車で待機してもらって…」
薫はてへっと舌を出した。
「高速に乗って、一番近い出口でおろしてもらって、そこから走ったんだ」
「走ったんだ…」
「そう、前に秋人がやってたから俺もできるかなって。秋人ほどのスピードは無理だったけど、まあ何とかなったよ」
薫は、自慢げに胸を張って嘯く。
「後藤さんに怒られる…よ」
「うん、まあ…そこはそれ」
秋人の言葉に薫は視線を泳がせた。
秋人がそれをやった後、薫の元に「ちゃんと教育してください」と苦情がきたのだ。
「秋人の入学式に、保護者がいないんじゃ洒落にならないじゃないか」
薫はそれくらいの許容範囲はギルドにあるはずだと嘯いた。
「ギルドには貸しだらけだからね」
ウィンクして見せると、周囲をうかがっていた女性陣が息をのむ気配がした。
秋人は一応ダメだと言うべきところだとは分かっていたが、嬉しい気持ちが先に立ってしまったので、苦笑するに留めた。
「神崎先生!」
遠くから呼びかけられ、薫と秋人は振り向いた。銀色のセダンの窓から友人が手を振っている。助手席には彼の伯父も見えた。
「あ、当夜」
秋人が呼びかけると、車を正門前に回した当夜が
「もう帰れるか?」
と車の中から叫ぶ。二人は黙って頷き車で去っていった。
波乱に満ちた私立轟学園高等部の入学式は、ようやく終わりを迎えた。
轟学園はなかなかに学力の高い私学で、帝都大学級の大学への進学率も高く、スポーツでも優秀な生徒が揃っている質の高い学園だ。
制服は紺のジャケットに青系の細かいチェック模様のスラックスやスカート、合服にベストやニットベスト、カーディガンなどがあり、男子はネクタイ、女子はリボンで首元をオシャレに飾っている。所謂高校生に人気のブレザースタイル一式だ。
「いや、よく似合っているよ、秋人くん」
朽木巌が薫の事務所で秋人の制服姿に感心していた。
轟学園は朽木家も出資している学校法人で、彼も来賓として招かれていた。そのついでに事務所に寄ったらしい。
「しかし、今時の制服って色々な種類がありますねぇ」
薫はネクタイの色が数種類あることに驚きを隠せない。こういうのは学校のシンボルカラー的なものとか、学年で決まってるとかじゃないのか?と思ったが
「顔に近いパーツなので、顔色とかで変えてくださいって書いてある」
秋人が説明文を呼んで眉を寄せた。
「どうやって判断するんだろう」
自分の顔色を朝起きて判断し、どの色が今日は似合うかなんて判定は、秋人には不可能だった。
そんなことをしないといけないなら、新宿第三ダンジョンの最下層スライムの種類を当てる方がまだ簡単だと思う。
「そりゃ、あれだよ。その日の顔色じゃなくて、パーソナルカラーってやつだよ」
お茶を入れに来たピンクの髪の少女が横からそう教えてくれた。
「「「ぱーそななるからー?」」」
男三人から絶対にそんなものは知らないという発音の単語を聞いて、少女はため息を着いた。
「肌の色とか髪の色とか目の色とかでー、どの系統の色が似合うかーとかの診断ってのがあってさ、女の子はそういうのを見て、着る服とか決めんだよねー」
「へー」
秋人たちの関心したような返答に、少女は頭を掻いた。
「物知りだね、茜ちゃん」
秋人にそういわれて、ピンクの髪の少女、小林茜は髪の毛に劣らぬ顔色になって
「ばか」
と秋人につぶやいて去っていった。
「女心は複雑だな」
当夜がぼやく。
「いや、さすがにお客様がいるところであの態度はダメですよ」
薫の額に青筋が浮かんだ。
「教育的指導」
「うええ」
当夜が顔を顰めて席を立った。
彼女は今は当夜の後輩という扱いなので、彼が教育係なのだ。
これには事情があった。
薫と秋人が渡米していた頃、ずたぼろに殴られた様子の彼女が、薫の名刺を握りしめてここへ駈け込んできたのだ。対応したのが当夜だった。
小林茜は初心者講習会で薫に忠告されても、結局毒親を切ることができなかった。
初心者探索者に与えられる準備金や月給を搾取され、さらに親の借金のかたに売り飛ばされそうになった。
幸い、彼女にはそれなりに武闘派のジョブが発現していたので、逃げ出すことはできたが、どこへも逃げ場がなかった。
「た、助けて」
飛び込んできた少女のあまりにも痛々しい様子に当夜は困惑し、その原因を聞いて激怒した。
彼女がこんな目にあってる現況の制度に、彼の一族が加わっていたのだ。延いてはこれは、自分たちがなんとかしなくてはならない問題なのだと思った。
当夜はとりあえず、薫が今日本にいないこと、もうじき戻ってくることを説明した。茜は当初薫がいないと聞いて絶望の表情を浮かべたが、
「俺が絶対守ってやる」
という当夜の言葉に安堵して気を失ってしまった。
そこから、当夜がずっと面倒を見ているというのに…
「なんで、そこで秋人に惚れるかなあ…やっぱ顔かぁ」
当夜は心の中で呻いた。




