4. Aの先
彼は「秋人」と名乗った。探索者であるとも。
ここの湖の水を汲みにきたらしい。なんとこの水はエリクサーの元になる貴重な水で、今回彼はとある依頼のもとにこんな深層までやってきたらしかった。
しかし、彼は湖を見て眉をひそめた。
「濁ってる」
さっき薫が水浴びをした時には透明で美しかった水は、白く濁っていた。
「あ、あの、ごめん。俺さっき中で泳いだんだ」
秋人が言うにはこの状態になると数週間は元に戻らないらしい。薫は申し訳なさでいっぱいになった。
助けてくれる人に不利益を被らせてしまった。こんな地の底までせっかく来たのに、依頼を達成できないとか罰ゲームである。
しかし、薫はふとあることを思い出した。
「あのさ、その水ってここから直接掬うのじゃないとダメか?」
薫がそう尋ねると、秋人は首を振った。
「このジャケットとかネクタイとかまだ濁ってなかった時の水含ませているんだけど、絞ったらいけるかも」
薫の提案に、秋人は大きな目を見開いた。
「飲み水の確保の為に濡らしたんだ。その時はまだ水は綺麗だった」
薫はそう言って濡れそぼったジャケットとネクタイを見せた。
秋人はその二つを受け取り小さく何かを呟いた。それからおもむろに彼の手の中に小型の瓶が現れた。
「魔法!」
薫は初めて見る魔法に声を挙げる。秋人はジャケットとネクタイに手をかざし、蓋を開けて瓶に近づけた。
何か白い煙のようなものが出て瓶に向かう。水蒸気のようなそれは瓶の中に入ると、結露し、透明な液体になった。
「大丈夫みたいです」
秋人が頷く。
薫はほっと胸を撫でおろした。
しかし、その直ぐあと、水分を無くしぱりっぱりになったジャケットとネクタイは、秋人の手の中でもろく崩れていった。おそらく生地の中にある水分をすべて瓶に移したせいだろう。
「あっ」
秋人が小さくつぶやいた。
「ごめんなさい」
「…いや、仕方ないよ」
薫は少し残念に思ったが、恩人の依頼を失敗させなかったことの方が大事だと、師匠は言ってくれるはずだと思ったし、クリーニング代ではなく損害賠償として上乗せしようと誓った。
それにしても、と薫は改めて秋人を見た。
秋人の言動はどうみても成年のそれではないのではないかと薫は思った。背も低いし、体も華奢である。もしかしたら女性ではないかと思ったくらいだが名前からしておそらく男性だ。
「あ、秋人さんは…その」
「秋人でいいですよ、神崎さんの方がだいぶ年上です」
彼は瓶を虚空にしまいながら呟く。
「だいぶって…君いくつなんだい?」
通常、探索者はだいたい早くても高校卒業くらいでなるものだ。
18歳なら10歳違いなので、「だいぶ」と言われるのは抵抗がある。
薫はこれでも司法試験やらなんやらを最短でこなしている超有能弁護士である。そこまで年輩には見えないと思っていたが、秋人の返事を聞いてぶっ飛んだ。
「14歳です、中3」
彼の言葉に薫は絶句する。
「ち、中学生!?学校は!?平日だろ??」
「ほとんど行ってないです」
「なんで!?」
「親の借金があるので」
「はあ?」
薫の中に弁護士としての職業的な怒りが沸き起った。たとえ、親の借金があろうとも義務教育中の少年を昼夜を問わず働かせるなんで言語同断である。
「秋人くん、君の保護者は訴えられるべきだ!児童福祉法に大きく反している!!」
世界で人口が3割にも減ったのだ。子供は大事に育てられる。たとえ、親兄弟親戚が全て死に絶えても、手厚い保護が政府のもとに約束されているのだ。人口は国力の源だ。子供は国の宝だった。
それを借金の片に働かせるなどあり得ない。しかもダンジョンである。こんな危険なところでモンスターと生死を分ける戦いを中学生にさせるなんて。
漫画やアニメではないのだ。
たしかに未成年でも一応探索者にはなれる。年齢制限はない。それは意図しないで探索者になってしまう場合があるからである。
ダンジョンが顕現した折、巻き込まれてダンジョン内で24時間過ごすと自動的にジョブが付与される。
その後救助された場合、とりあえず探索者に登録してジョブをチェックするためにある制度だ。けして、子供を無理やり働かせるためにあるのではない。
「探索者ギルドは何をしているんだ!!」
薫は叫んだ。あってはならないことだった。
そんな薫の怒りをきょとんとした顔で秋人は見つめていた。自分のために憤る人など、親が死んでからは初めてだった。秋人の心の中に何か暖かい小さなものが生まれた。
「秋人くん、君もしかして高位の探索者なのかい?」
ただの探索者を中学生だというにも関わらず、児童福祉法に反してまで働かせるとしたらそれ以外にない。
現代日本では児童福祉法に反すると社会的地位への影響も、罰則の重さも50年前とは桁違いなのだ。それをわかっていて少年を使いつぶしているのなら、その可能性が高い。
高位の探索者
ダンジョンと同じく探索者にもランクがある。これはジョブとはまた違う基準である。
探索者がダンジョン内でモンスターを倒したり、迷宮核を破壊したりすると探索者のレベルが上がる。これはステイタスを調べたらわかることで、ダンジョンで働くと自然と上がるものである。
レベルとは、探索者の技量が数値化されたもので、10が初心者、20が一人前、30で中堅、40なら達人、50以上は化け物と言われている。
このレベルとジョブに加え、達成した依頼、征伐したモンスターの種類や数、踏破したダンジョンのランクや数によって、探索者ギルドという組織が探索者に与えているランクがAからEまでの区分けである。
大雑把にいうとAランク以上なら高位の探索者として扱われる。探索者の中でもエリートといわれる高給取りたちである。
レベルとジョブはダンジョンによる付与、ランクは人側が秩序を守るために設定した制度なところが、大きく違うところだ。
しかし、ダンジョンにも探索者にもいわば別枠というものがある。
Sランク
Sランクダンジョンは厄災級とも呼ばれ、国家が滅んでもおかしくない危険度のダンジョンである。
際限なくモンスターを吐き出したり、ダンジョン内にとんでもない高位のモンスターがいたりなどの厄介な現象を引き起こす特級の災害だ。
日本ではこの50年で7度ほど出現している。そしてそのダンジョンを攻略できるほどのレベルといわれている、レベル50を超える探索者をSランク探索者と呼ぶ。
モンスターやダンジョンを攻略するのに適したジョブを得、経験値を積み、精神と肉体を鍛え上げた超人レベルの人々、救世主、ヒーローたちである。
かくいう薫だって、Sランク探索者の霧崎桜子の隠れファンで、ひそかにスマホの待ち受けにしていたりする。
そういった類の全人類のアイドルたちだ。
ふと、薫はある名前を思い出した。
3つのSランクダンジョンを踏破した英雄の名前。
本人の希望で、顔も年齢も知られていない、秘密のヒーロー。
日本人が誇る偉大なる3S探索者。
大きな災害級のダンジョンが発生しても比較的日本人がパニックにならないのは、彼がいるからだ。
その名前だけは知られている。
「き、如月秋人」
きさらぎ あきと
探索者は家族や親類、私生活を伏せるために芸名のように名前を別途付ける人が多い。だから、この誂えたような名前も、所謂ヒーローネームだと思っていたのだが。
「本名なんだ…」
薫が咄嗟に呟いた言葉に、秋人は苦笑を浮かべ、大きく一つ頷いたのだった。