8. ダンジョン探索 3
結局、軍人二人はへとへとになるまで走らされた。7階層のオアシスまで全速力である。
全力の身体強化で探索者が走れば、7階層までわずか30分だった。
しかし、こんな無謀なダンジョン探索は他にない。何しろわき目も振らず走るだけなのだ。
モンスターの大半は先頭を行く秋人が狩ってしまうのだが、それでも脇道などから突如現れるモンスターもいた。
一瞬足を止めそうになるも、
「止まらないで!」
と前方からの薫の声に従ってモンスターの前を反撃もしないで走り抜ける。
モンスターの攻撃は激しい音を立ててはじき返された。おそらく、薫の防御魔法だろう。堅牢なそれは、簡単にモンスターの一撃を防ぐ。軍人二人は悟った。
この極東の島国からきた二人はまぎれもなくSランクの探索者で、自分たちとはまったく異なる人種なのだと。
「休憩ですよー」
薫が笑顔を浮かべながら、緑色の瓶を差し出した。
「はい、ポーションです」
エヴァンスとパトリックは声でも出ない状態でそれを受け取る。薫と秋人も同じものを一気に煽った。
このポーションはあまり高いものではないので、正直不味い。日本で秋人と薫がダンジョンに行くときはもっといいのを用意しているのだが、今回は軍人側の仕様に合わせた。薫はともかく、秋人には慣れた味だった。
「まずー」
薫は顔を顰めている。それでも4人は疲労を回復させることに成功した。
現在、4人がいるのはオアシスと呼ばれるダンジョンに複数個所ある休憩所で、水もあり、基本的にモンスターが入ってこない。ダンジョン内で宿泊する羽目になったりする場合は重宝する場所だった。
「8階はボスがいますよね?何のモンスターですか?」
薫の問いにパトリックは
「ミノタウロスです」
と答えた。それなりに強敵のはずだが二人に緊張感はなかった。
さらに、驚いたことにボス部屋に入った瞬間、秋人は手の中の得物を変えた。水色に光る刀身、さらに双剣だった。
そして、ボスが顕現した瞬間、二本の剣はかなり距離があるにも関わらず、ミノタウロスを真っ二つに切り割いた。
「お見事」
薫が手を叩くと、少しだけ照れたように秋人が笑った。
「ミスター・神崎は攻撃はしないんですか?」
パトリックの問いかけに薫は笑う。
「私は後衛職なんで」
答えになっているような、いないような返事だった。
「私が秋人と組んでダンジョンに行くようになって、一番最初に覚えたのが身体強化、それから防御魔法です」
という薫の答えにより、二人が日本でもこんな感じでダンジョンを攻略しているのだろうなと、パトリックは納得した。
「さて、休憩終わり」
ボス部屋も休憩のうちだったらしい。
エヴァンスは肩を竦めた。これはもう行くところまで行くしかない。どうして、彼らが小柄な案内人を求めたのかもわかった。そりゃ、あのスピードで走るなら大きな男を担いでは無理だろう。
薫の掛け声とともに次は、15階層まで全速力で駆け抜けることとなった。
秋人のマッピング魔法の恩恵によって、最短距離を突き進む。薫はパーティー全体を防御魔法で覆って、細かなモンスターの攻撃をはじく。そもそもかなりのスピードで駆け抜けているので、走力のあるモンスターしか追いついてこない。
モンスターの間引きが目的なら、もっとゆっくりできる限り狩るが、今回はダンジョンの閉鎖が目的なので、まっすぐ最下層までいって、迷宮核を引き抜くのがお仕事だ。それ以外は些末なおまけであるというのが、二人の認識だった。
軍人二人は34階層のオアシスでへたり込んでいた。もう一歩も動けそうにない。
「今日はここまでにしましょうか」
薫の言葉に二人は言葉もなく頷いた。
簡易のテントを立てたり、かまどの準備をする日本人二人を、アメリカ人二人は茫然と見つめていた。自分たち軍人がへとへとになっているような走行距離を、攻撃をしながら走っている十代の少年と、防御魔法を展開しながら走っている弁護士。どう見てもあちらの方が体力がある。
「休んでていいよ」
と薫が言ってくれたので素直に従ったが、傍から見るとかなりみっともない情景だった。
「Sランクになったら体力も増えるのか?」
食事中気になっていたことをエヴァンスは尋ねた。
「さあ、どうでしょうねぇ。私、もともと探索者になってから日がないので」
薫はスープを飲みながらそう答えた。
「ああ、でも身体強化魔法に割ける魔力は多くなるので、そういう意味では体力はつくかもしれませんねぇ」
「薫は、最初から魔力が高かったから、普通の人とはちょっと比較にならないと思う」
秋人がぼそりとつぶやく。
「うーん、当夜がいたら色々教えてくれるんですが」
「当夜、どうしてるかな。アメリカ来たがってたからなあ」
「お土産買って帰りましょうね」
ダンジョンの中位層にいるとは思えない呑気な会話である。
「その…ミスター・神崎は…」
「長いので薫で結構ですよ」
「はあ…」
パトリックは薫についてあまりよく知らないようだった。
「薫は弁護士なのに、どうして探索者になりたかったんですか?」
地雷である。
秋人は実に気まずそうに顔を反らし、ある程度事情を知っているエヴァンスは肉を頬張った。
「知りたいですか…」
にこりと薫が笑う。
「えっと…」
パトリックもここで己が地雷を踏んだことを悟ったが、今更後には引けない。しぶしぶ頷くと、薫は大変にこやかに微笑んだ。
「それでは、お話しましょう。私の華麗なる人生唯一の汚点の話を」
そうして、大学を卒業してから6年も付き合っていた婚約者に騙され、ダンジョンに投げ捨てられた話を切々と語ったのだった。
炎がオアシスに微妙な陰影をつけながら、ちらちらと輝く。焚火の周りにはすっかり顔色が変わったパトリックとエヴァンスが小さくなって座り、秋人はクッキーを貪っていた。
「…というわけで、私は弁護士ながら探索者になったわけです。ご理解いただけましたか?」
「はい」
二人の軍人は小さく頷く。
「秋人とは、そのダンジョンで出会ったのか」
エヴァンスの質問に薫は大きく頷いた。
「そうですよ。私の命の恩人です」
薫は焚火にかかっているコーヒーを器用な手つきでおろしてから、秋人のカップにそそぐ。秋人は収納魔法から取り出した牛乳と砂糖を大量にカップに入れる。ブラックではまだ飲めない。
「あのダンジョン一連の出来事で、秋人に出会ったことだけが、唯一私にとって良かったことですよ」
薫の言葉に、だが秋人は少し俯く。それを言うなら自分の方なのだ。
秋人にとって、両親を亡くしてからこの5年で唯一の喜びは、薫に出会ったことだった。
それを上手く伝える方法を秋人は持たない。いつも感謝しているのに、こんな風に軽くシンプルに伝える方法が分からない。だから、小さく小さく頷くだけだ。
そんな秋人の態度を「分かっているよ」と目を細めてみてくれる薫にいつも甘えている。
薫は今回、沢山の依頼人や仕事を置いて、自分についてきてくれている。申し訳なく、不甲斐ない自分が腹立たしかった。
そこからは、寝るまでの間、たわいもないおしゃべりが続いた。
「射撃の腕だけなら、パトリックはダンジョン隊では右に出る物なしなんだぜ」
とエヴァンスが言うと、照れたようにパトリックは笑った。
「銃での射撃なんて、モンスター相手には何の役にも立ちませんよ。なので、私のランクはCです。軍人探索者としては最低ランクです」
パトリックはアメリカ人にしては珍しく謙譲の美徳の持ち主だった。
薫はクスリと笑ってエヴァンスに話を向ける。
「エヴァンス軍曹はなんで陸軍に?」
「俺か?俺は…」
楽しいおしゃべりは尽きない。
複数人でのキャンプの体験などない秋人にとっては、新鮮な体験だった。




