3. 契約
契約内容を詰めるのは、さほど難しくはなかった。ジョージは常識のある男で、基本的なダンジョン攻略のルールの通りに定めてくれた。
「ドロップ品と迷宮核は私たちの取り分でいいんですね」
「ああ、構わない。ただ売るならアメリカで売ってくれると助かるな」
そう言ってウィンクした。
「それでは、魔法契約を…」
薫が
【契約の門】
でそれを書面に書き起こす。その魔法を興味津々の体で見守っていた。
「こりゃあ、綺麗だ」
キラキラと光り輝く魔力の中で、文字が羊皮紙に刻まれていく。
【ニューヨーク・マンハッタン5号ダンジョン閉鎖を目的とした探索を、如月秋人、神崎薫の両名に依頼するにあたり、以下の内容を契約する
1.探索は32階層まで進めた場合、依頼達成とする。その場合の報酬は1000万ドル。
2.ダンジョンを踏破できた場合、迷宮核はこれを発見し破壊する。迷宮核は両名の所有とする。また、閉鎖が成った場合は追加ボーナス1000万ドルとする。
3.同じくダンジョン内で取得したドロップ品は両名の所有とする。
4.ダンジョンへは、アメリカ合衆国陸軍ダンジョン統括部隊から1名案内役として人員を派遣する
5.派遣した人員の安全は、できうる限り二人が保証する。但し、二人に対する安全性の妨げとなる言動が認められた場合、その限りではない
以上の条件を、アメリカ合衆国大統領として契約するものである
】
最後の文章にジョージは首を傾げた。
「大統領としての契約なのか?私の名前や軍ではなく?」
「ああ、まあ一番トップに責任をとってもらうのがセオリーなので」
「責任って」
「違約金が発生します」
またこのパターンか…と思いつつ薫は等価交換の説明をする。
「え?大統領に死ねって言ってるの?」
さすがにびっくりして頭を抱えるジョージ。
「まずいですか?」
「いや、うーん。統合作成本部長とかにしてくれない?」
ジョージ的には契約を破らなれば大丈夫だとは分かっているが、承認させるのにおそらくかなり時間を取られるだろうということは分かっていた。それは避けたい。
「あ、それならこうしましょう」
薫はニヤリと笑う。
【以上の条件をアメリカ合衆国として契約するものである。違反が行われた場合、直接の違反行為を行った者と、その命令を下した者に契約違反の処罰が発生する】
「これなら、問題ないでしょう」
「うーん、まあ、そうだな」
ジョージは、この時この契約が大事になるなど思っていたなかった。彼は契約を守るつもりだったからだ。後々こう述懐している。
「あの男は、最初からどうなるか分かっていたんだ」と。
「おい、そこをどけ!」
いきなりドアが乱暴に開き、一人の青年が入ってきた。
「フランクリン中尉!何事だ!?」
不快気にジョージが窘めるが、フランクリン中尉はお構いなしだった。
「は、極東の島国の英雄を持ち上げなけりゃ、ダンジョン一つも平定できないとか、煉獄のジョージが聞いてあきれるぜ」
「煉獄のジョージ…」
ぽつりと薫が復唱すると、ジョージは真っ赤になった。大昔の二つ名だ。
「中尉!君を呼んだ覚えはない!そもそも君は自宅謹慎中だろう」
「この俺が軍法会議など馬鹿げてる。俺は間違ってない!!」
二人の会話を聞いていて、薫はこれが例の無能な中尉かと観察していた。秋人はそもそも会話に興味がないようで、テーブルに置いてある美味しいクッキーをちまちま食べている。
「君がどう判断しようと関係ない。決まったことだ」
「叔父はそうは言ってない!俺は間違ってない!無能な兵がダンジョンを怖がって逃げ帰っただけだ」
「トーマス・フランクリン!!」
ジョージが憤慨して椅子をけ飛ばす勢いで立ち上がる。
彼の無茶な命令でたくさんの戦死者が出たというのに、それを無能と言い放つ性根が許せなかった。
「やるのか?俺はAランク、お前はBランクだ。そもそも俺を隊長にしておけば、こんな無様なことにはなっていない。こんな他国のいんちきまがいの魔法師など頼らずとも…」
トーマスが挑発を続けようとした瞬間、場が一気に凍り付いた。
ジョージもトーマスも、キャシーもまったく動けない。魔力がただ一点から溢れ、部屋中を満たしたからだ。
「あ、あきと…」
ジョージがなんとか声を絞り出す。剣呑な空気をまとった少年が首を傾げた。
「探索者のランクなんて、単なる人間が作った指標にすぎない」
声は冷徹だ。
「ジョージとあなたの実力なら、圧倒的にジョージが上だ。おそらく隊長職になった時点でダンジョンに潜る機会が減ったから、レベルが上がらなかっただけだろう」
秋人はたんたんと説明する。
「ランクが上だから、年が上だから、経験が上だから? 強いかどうかは、そんなことで決まるわけじゃない」
静かに雪がふりしきるような、そんな声が部屋に響く。
三人の軍人が身動きできない中、一人だけ平然としていた男は、珍しいものを見る目で秋人を見ていた。
「あれ?怒ってる?」
薫の呑気な声に三人は別の意味で怯えた。
この魔力の密度の中でどうしてそんなに平然としていられるのか。
「秋人、疲れてる?もう休ませてもらおうか。契約も済んだし」
「疲れてないよ。怒ってる」
「え、そうなの?やっぱり怒ってるんだ」
珍しい…と薫は感心した。
「もしかして、俺がインチキって言われたの怒ってるの?」
「うん」
秋人の返事に薫は破顔した。
「そっか。でも大丈夫。俺はインチキじゃないし、あの人が無能で馬鹿なだけだから気にしないで」
無能で馬鹿と言われたトーマスは怒髪天を衝く勢いで怒り狂っていたが、どうしても体が動かない。
「薫はいつも僕の所為で貧乏籤を引かされる」
秋人は肩を落とした。声は心底辛そうだった。ジョージは思わず眉を寄せた。しかし、そんな悲痛な声を薫はそよ風のように受け流す。
「いや、それはない。貧乏籤はない。今回の契約なんて1000万ドルだよ。日本円にして15億円だよ、閉鎖できたらその倍だよ?」
「でも薫、また節税対策しないといけないよ」
「いや、Sランクになったからね。大丈夫」
親指を立ててぐっと合図を送る。困ったような顔の秋人を促し、薫は立ち上がった。
「では、我々はそろそろお暇しましょう。ダンジョンへ向かうのは明日。案内の人員はその時ご紹介ください」
何事もなかったかのような代理人の言葉に、三人は何ともいえない顔をする。
怒れる3Sランク探索者を、ものの数分でなだめてしまった男に、別の意味での恐怖を覚えた。
「契約は等価交換です。お忘れなく」
悪魔のような美しい笑顔で、薫は笑った。




