2. ニューヨーク・マンハッタン5号ダンジョン
薫と秋人は軍の施設に案内された。
一見普通のビルに見えるが中は要塞のようである。訓練施設や武器庫などが備わっている。ここは、アメリカ陸軍のダンジョンを統括する部門の本部基地だった。
「やあ、これはよくいらしてくださった。私のことはお忘れではないですよね?アメリカ陸軍中佐 ダンジョン統括部隊 隊長 ジョージ・クラークです」
愛想よく笑う男はアメリカの軍人系探索者のトップにあたる男だ。
ここへ来るまでに何度かWeb会議で顔を合わせている。
もともと、秋人がもし亡命する時は、彼が万事手はずを執り行う予定になっていた。
「秋人は背が伸びたね」
彼は大変気さくで明るくカラっとした性分のいい男だった。
アメリカ大使館に秋人が身を寄せていた時に面会済みである。
「お久しぶりです」
秋人が英語であいさつすると、ぎょっとした顔でキャシーが秋人を見つめていた。
彼女は、秋人が英語を理解していることに気が付いていなかったので、部下に対して話すときに結構な頻度で「お子様」とか「小学生」などと秋人のことを呼んでいたのだ。
「ミスター・神崎もお人が悪い。うちの軍曹はどうやら秋人が英語を話せるようになったことを知らないみたいだね」
彼は青くなった彼女の顔を見て肩を竦めた。
腕っぷしだけでは中佐にはなれない。彼は洞察力に優れた男だったので、部下が何かやらかしたのだとすぐ気が付いた。
「うちの秋人は大変優秀なので、アメリカに行くことになるから、日常会話くらいはできるようになっておいてねってお願いしたら、1週間くらいでだいたい話せるようになってましたよ」
にこりと薫が笑う。
「彼女は自分が日本語が話せることは教えてくれたけど、こちらが英語が話せるかどうかは聞かなかったので」
「ああ、なるほど」
チラリとジョージがキャシーを見る。
彼女はこの凸凹コンビをどうやら侮って、きちんと調査もしなければ、取るに足らないアジア人として扱ったのだろう。
ジョージは深いため息をついた。
「ああ、せっかくファーストクラスでご機嫌とったのになあ」
あけすけにそう呟く。
「万が一でも我が国に来てもらえるために、最高待遇でお出迎えしたつもりだったんだが、人選を誤ったようだ。申し訳ない」
「いいえ。大丈夫です」
秋人は短く答えた。
小学生と言われたのは流石にショックだったが、自分が平均より小さいことは分かっている。しかし、内心やはり複雑で、これでも半年で10センチも身長がのびたんだけどなあ…と心の中でため息をついた。
そして、ふとそんなことを思った自分に驚いた。
他人に拘りがない秋人は、今までなら自分がどんな風に見られようとも、気にもしていなかった。それが、今子供扱いされたことにショックを受けている。とても新鮮だった。
これが、薫のいう『体験』なんだろうか…。秋人は少し考えた後、なんとなく違う気がしてそっとその思考を放棄した。
二人は促されて応接セットのソファに座った。
重厚な革張りの大きなソファに秋人が腰かけると本当に小さく見えて、薫の口元が笑いをかみ殺すために歪む。
「!」
秋人が少しだけ咎めるように薫を見る。薫はごめんごめんと手で合図をした。
「?」
ジョージは二人のやりとりに首を傾げつつ、今回の依頼の説明に入った。
「ニューヨーク・マンハッタン5号ダンジョンの閉鎖をお願いしたい」
中佐の顔は、先ほどとは違い苦渋に満ちていた。
そもそもニューヨーク・マンハッタン5号ダンジョンは軍が管理していた国有のダンジョンで、資源の宝庫だった。しかし街中のど真ん中にあるため、常にモンスターを狩り、その数を減らしておく必要があるダンジョンだった。
モンスターは獣系が多く、あまり強いものがいなかったことと、採掘できる資源の中にダンジョン特有のレアメタルが数多く含まれていたことによって、今日まで閉鎖させていなかった。
「ところが、ここ半年くらいで状態が変化してね」
まず、モンスターの数が増えだした。それから、その力が強くなった。さらにそれまで見たことなかった種類のモンスターも出現しだした。ダンジョンが進化したのだ。
そのことで軍だけで抑えきれなくなったのだが、そのことを上に報告しなかった。プライドもあったのだろうし、油断もあったのだと思う。
3か月ほど前に大規模なダンジョン・ブレイクを発生させてしまったのだ。
その時、ちょうどジョージは遠くハワイに出現した新たなダンジョンの調査に駆り出され、ニューヨークを空けていた。
その間、部下の中尉が臨時の隊長だったのだが、これがうまくダンジョンを抑えることができなかったのだ。
ニューヨークのど真ん中にあるダンジョンである。被害は恐ろしい規模になり、故意に報告を握りつぶしていた中尉は、軍法会議に掛けられる予定だ。
「今は民間の探索者も交えて征伐にあたっているが、結果は芳しくない」
間の悪いことに、現在アメリカに所属しているSランクの探索者はすべて民間人だった。
彼らに哨戒を頼んだところ、難色を示されたのだ。
このランクになってしまった以上、このダンジョンを閉鎖することを勧めると言われた。
確かに資源は大事だが、周囲の人間の命や生活が懸かっている。
いつ溢れるか分からないダンジョンを、場当たりで狩っていてもいずれ破綻すると彼らは言う。
中佐ももっともなことだと思ったが、上はその言葉を信じなかった。彼らは民間の探索者で、軍属の自分たちが困ることが嬉しいのだろうというのだ。
ジョージは民間のギルドとの折衝などにもよく参加していたので、彼らの言い分がそんな下種な想いからきているのではないとわかっていたが、上層部はなかなか承知しなかった。
そこで取れるレアメタルが軍事物質として重要だったこともある。国有のダンジョンは直接国の利益にもなる。
なかなか方針が決まらないうちに、二度目のダンジョンブレイクを起こしてしまったのだ。
ただし、これに関しては警戒していた民間の探索者が駆けつけてくれて、一度目ほどの被害は出なかった。しかし、ニューヨーカーたちは激怒した。
軍の利己的な思惑で何度も危険に晒されているのだ。
世論は燃え上がり、大統領の首さえ危うくなる勢いで炎上した。
こと、ここにきてはニューヨーク・マンハッタン5号ダンジョンは閉鎖せざるを得なくなった。
しかし、それを誰がやるのか?ということがまた軍内で議論になった。
今更、アメリカの民間探索者ギルドへお願いするのは、軍人の最後のプライドとして許せなかった。
「それで、秋人に尻ぬぐいをさせることにした…と」
ゴホンゴホンと秋人が薫の言動を咳払いで誤魔化す。
「いや、言葉を飾っても仕方ないのでね。まさにその通り。この前の借りを返せ…と、今更言い出したというわけですよ」
ジョージは唇をかみしめた。
合衆国の軍人としてこんな情けないお願いはないと思う。
他国の民間人に、それも15歳の少年に対して、愚かなプライドの所為で、わざわざ他国にきてまで、ダンジョンを攻略しろと言うなんて。
そもそも大した貸しではない。
亡命がなっていれば、それなりの貸しにはなっただろうが、実際は3日ほど少年が大使館で寝泊まりしただけである。
「少しややこしそうな案件なので、きちんと契約をしていただきたい」
薫が告げる言葉にジョージは警戒心を上げた。この男が何者かジョージは嫌というほど知っている。
内閣総理大臣の首を1日で挿げ替えた男
神崎薫の異名はアメリカのホワイトハウスでも畏怖をもって囁かれている。
「別に、契約を守っていただければ何も起こらないんですけど、なんでみんなやる前からそんなに破ること考えるんだろうね」
薫が秋人に向かって問いかける。
秋人に向かっていると見せかけて、自分に対しての牽制だとジョージは気が付いている。魔法契約を断るのはアメリカ合衆国としての体面的に難しい。彼の目も耳も証拠として働いてしまう。そして、無法に国家権力を行使して探索者を虐げた場合、国際探索者連盟が鉈をふるうだろう。その時、アメリカは終わりだ。
「契約の中身を詰めましょう」
ジョージは言わざるを得なかった。




