15. 攻撃魔法
壁の向こうにはびっしりとモンスターがひしめき合っている。そういう小部屋のことをモンスターハウスと呼ぶ。秋人は都内のダンジョンのいくつかに、それらがあることを知っていた。
中学校の制服姿の秋人がフラリと薫と当夜の前に現れた。
「間に合った!」
よほど急いだのだろう、珍しく息が上がっている。
「え?あっくん学校から走ってきたの?」
当夜が困惑する。
「だって、電車乗るより走った方が早いから」
秋人の答えに絶句する。
秋人は薫と暮らすために越境して中学に通っているので、電車通学しているのだ。およそ5駅分都内を疾走してきたという。薫は
「ちゃんとホームルームまでいた?明日卒業式でしょ」
とか呑気なことを聞いているが、当夜はおそらく、今日のニュースは都内を高速で走る幽霊の話題でもちきりになるだろうと察した。
「後藤のおっさん、ごめん。俺では止められなかった」
がっくりと当夜が肩を落としてうなだれた。
「さて」
薫が気合を入れなおす。
「この壁の向こうが、モンスターハウスで間違いないよね?」
「うん」
薫の問いかけに秋人は素直に頷く。レベリングのためによく使っていたので間違いない。
「よし、じゃあ、やろう。秋人、お願いします」
「分かった」
秋人が薫をひょいと抱えて壁を昇りだす。当夜も慌てて後を追いかけた。
崖の上からだとモンスターハウスがよく見えた。天井がない壁の中にモンスターが所せましと詰め込まれている。
あの壁が崩れたら、中のモンスターが一気にダンジョンに放出されて普段よりモンスターの出現度が上がるのだ。
薫はくるくると購入した杖を回したが、どうもしっくりこなかったらしく、腰のベルトに差し戻した。薫はじっと己の両手を見つめた。しっくりこないということは、魔道の伝導が良くないということだ。これから行うことには不利になる。
「これでいいか」
薫が両手を会わせて目を閉じると、びりびりと彼を中心に魔力が渦を巻き始めた。
当夜は絶句した。今まで、薫の魔力が多いのだろうとは思っていたが、正直これほどとは思っていなかった。
魔力の波動にモンスターたちが騒ぎ出す。しかし、相手がこんな崖の上にいることは、分からないらしい。しきりに首を動かして敵を探している。
薫を中心に渦を巻いていた魔力がふっと動きを止める。
「汝の敵を撃ちのめせ
【雷神の雷鎚】
詠唱と共に薫の両手からあり得ない質量の雷が放たれた。
稲妻の鉄槌が、モンスターハウスにひしめいていたモンスターたちの上に振り下ろされた。
一方的な魔力の暴力は、彼らに抵抗する暇も与えず、モンスターたちを駆逐した。
雷神の雷鎚は、審議官最大にして唯一の攻撃魔法。薫は取得したことは何となく感じていたが、使うのは初めてだった。あまりにも火力が大きすぎて、おいそれと試せなかったのだ。
ためも必要だし、魔力もかなり使うので、さすがの薫でも1日にそう何度も使える魔法ではなかった。
「・・・・・・・・・・・・っ」
あまりのことに当夜は声を出せず、茫然と薫を見つめる。薫はそれだけの量のモンスターを屠ったことに眉一つ動かさず、じっと己の魔法の結果を確かめていた。
「全滅…」
100体以上いたモンスターは、ほとんど何も残さず掻き消えていた。辺りには雷炎によって燃え尽きたモンスターの匂いだけが充満していた。
当夜は恐る恐る薫を見るが、薫はごそごそとローブのポケットをさぐり、ギルドカードを取り出した。
「お、いったな」
薫のレベルのところに燦然と輝く51の数字。薫はにこりと笑って秋人にそれを見せた。
「秋人、これで俺もSランクだよ。カード金色にしてもらおう」
「おめでとう、薫」
にこっと秋人が笑ったが、当夜は驚いて声もない。
そう簡単に50を超えるはずがないのだが、薫はあっさりと先人たちが苦しんできたハードルを越えて見せた。
「なんで…」
当夜は思わずそう漏らした。
どう見ても素人に毛が生えたような薫が、朽木家でもなかなかいない、レベル50超えになったことは驚きだった。今までレベル50を超えるにはそれなりの経験と実力が必要で、ダンジョンに対する貢献も鍵になると教えられてきた。
しかし、薫にはそれはない。
たまたま落下地点にいたダンジョンボスの上に落ちたことでそれを倒し、後は固有魔法を使っていただけだ。
混乱している当夜に
「ようは、基準をはっきりしろってことだと思うよ」
と薫は笑う。
「殺す者、殺さない者、瞬時に判断して己のできる最適解で相手を倒せるかどうか」
SとAを分けるのはその判断のスピードだと薫は考えた。
それならば、得意分野である。
法律を元に思考する薫は実に明快に殺しの線を引いた。
人間は捕まえて司法に突き出す、モンスターは問答無用に殺す。
法律家である薫にはその判断以外は存在しない。だからシンプルで即決できる。
後藤にAとSの分かれ目の話を聞いた時から、薫には己がSランクに進めるだろうという勝算があった。
だから、秋人が高校に行く前にSランクになっておきたかったのだ。
「秋人」
薫は自分が保護者になった少年に笑いかけた。
「これで、俺も晴れてSランクだ。秋人が探索者を辞めたくなっても大丈夫。俺がいるよ」
薫の言葉に当夜と秋人は彼の顔をを見上げた。
「薫…」
秋人は言葉が出ない。
「1日早いけど、卒業おめでとう。もう一度言うよ、秋人。秋人は何にでもなれる、どこへでも行ける、したいことをしていい、誰も君を咎めない。君が犠牲になってまで、守ってやらないといけないものなんて、この世の中にはさほどない。君の自由は他のどの人とも等しく平等だ」
「・・・でも、僕は」
「もちろん、探索者が好きでやりたいなら別だけど、俺は秋人にはこれからどんな風に生きたいか、どんな大人になりたいかちゃんと考えて『選んで』ほしいと思っている」
秋人は分からない。
なりたいもの、好きなもの、大事なものなど何一つもってない欠陥人間だ。
己がどこか決定的に欠けていて、普通じゃないことは分かっている。だから、みんなが自分を恐れる。この目の前の人以外は。
「僕は、なりたいものなんかない。何も。ほしいものも、好きなものも、何もない」
子供のような顔で秋人が言う。胸が張り裂けそうな悲痛な声だった。
当夜はその声に何も返してやれない事が辛かった。
しかし、薫は首を振った。
「そんなことはないよ。秋人は甘いものが好きで、パフェとかプリントとかケーキが大好きで、俺が作ったビーフシチューが今までの人生の中で一番おいしかったって思ってる。当夜とやるゲームはさほど好きじゃないけど、当夜が騒いているのを見るのは好き。楠本さんが選んでくれる服も好き。加藤くんの失敗談を聞くのも好き。あと、絵を描くのも見るのも好きだろう」
「…うん」
秋人は目を見開いた。
この人は、どれほど注意深く自分を見てくれているのだろうかと驚いた。今薫が挙げたものの半分以上、言葉に出したことがないものだった。
「俺と暮らしてきた半年で、これだけ好きなものが分かったんだ。これから先もいろいろなものを好きになるよ。やりたいことも見つかるかもしれない。将来の夢やなりたい職業も見えてくるかもよ」
薫が綺麗に笑うと、秋人にもそんな未来があるような気がしてきた。
「だいたい、将来の夢とかなりたい人物像なんて、明確に決まってる中学生の方がはるかに少ないんだ」
薫は当夜を指さして告げる。
「ほら、あのお兄さんなんて、19歳なのにプー太郎みたいな生活しているじゃないか」
「ちょ、先生!プー太郎って!」
当夜が憤慨する。
「最近の若者は大学生になっても自分探しとか言っているんだから、悩むだけ秋人は優秀だ。もっといろいろな経験をして、ゆっくり決めたらいいんだ。」
薫は秋人の頭にふわりと手を添えた。
「でも、覚えていてほしい。秋人はけして探索者にならないといけないなんてことはない。嫌なら辞めてもいいということを忘れないで」
「はい」
秋人は添えられた手の温かさを、一生忘れることはないだろうと思った。
次の日、薫はきちんとしたスーツを着て秋人の卒業式に参加していた。
身長180センチを超える、芸能人にもめったにいないようなイケメンが、パリッとしたスーツで登場したので、当然注目の的である。
そのあまりのビジュアルの良さに、保護者席が式中ずっとざわついていて、先生たちを閉口させていた。
秋人が卒業証書をもらう時、薫にチラっと視線を送ると、薫は大きく一つ頷いて見せた。
秋人の短い中学生生活が終わった。
「依存させるな…か」
所長室でキラキラ光る金色のカードを見つめて薫が呟く。
「何か言った?」
薫の探索者ランクが上がったので、大きく税率が変わり、口座の残高とにらめっこしていたミドリは、怪訝そうな顔で薫を見返した。どこか遠くを見つめる美貌に眉を顰める。
相手の人生丸ごと抱え込むつもりがなければ手を出すなとか、保護者なんて君は甘く考えているとか、教師や児童相談所の連中が、したり顔で忠告してきたが、薫からしてみたらそんな意見はゴミだった。
自分たちができないから、彼がそれを申し出たことが後ろめたいのだ。
薫を同じ場所に引きずりおろそうとそんな言葉を口にする。
薫の師匠ならけしてそんな愚かなことは言わないだろう。
「弁護士っていうのは、相手の人生を左右する職業なんだから、全部まるっと飲み込むつもりで相手をしろ。それが、法律って人間が作った不完全なもので、人の人生に口出しする俺たちの最低限の責任だ」
師は常に、己の依頼人に全力で対応していた。最後の最後まで、見守っていた。だから、多くの人に愛され、慕われていた。自分も、師匠だけは心から信頼し尊敬していた。
最初から、わかっていた。
あの暗い地の底であの少年と出会った時から、薫の平穏な人生などは音を立てて崩れ、もはや後戻りできないのだということなど。
「上等だね」
抱えて進んでやろうじゃないか、3Sランクの探索者、日本の希望とか言われているあの孤独な少年の人生を。彼がもういいよと言うまで。
「ちょ、あんたこれ必要経費ってこのゲーム機代って何よ、これ」
ミドリの喚き声を無視して薫はカードをくるくると回した。Sランクに探索者にだけ与えられる金色のカード。
「世はすべて事もなしってね」
ニヤリと薫は笑った。
第二章終了です。おお…ここまで書けた。嬉しい。
最近読んでいただくと反応とかいただけたりして、本当になんというか毎日ありがたく拝んでおります。
第三章もよろしくお願いします。




