13. 殺しの数
ギルドマスターが初心者講習会に訪れているのだ。
周囲がざわめきだしたので、二人は場所を変えた。
「二人で会うのは久しぶりですね」
ギルドマスターの応接室でコーヒーを飲みながらの会話だ。かつて薫が完膚なきまでに破壊した部屋は、綺麗に元に戻っていた。
「秋人は元気にやってますよ。最近、友達もできたし」
「朽木当夜くんですか」
「ええ、まああれくらいの年の差は誤差でしょう」
「中学校での友達は?」
「うーん、もう今更って感じじゃないですかね。別に仲間外れになっているとかではないみたいですが。あとはもう受験だけなんでね。中3の今頃なんて」
薫はため息をついた。友達出来てないよなぁ…と眉を寄せて唸る。
「今日みたいな子は沢山いるんですか?」
薫はぽつりと尋ねた。
慣れないギャルメイク、派手な服装、おそらくは強がりの為の武装だろう。
「借金のかたに探索者になるっていうのは、まあ後を絶たないですね。最悪なのは初心者の準備金として与えられている資金を、そちらに回されることです。あれをもらうと探索者を1年は辞められないんですよ」
「いきなり、ほとんど装備がない状態で、ダンジョンに潜って死んじゃう感じですか」
薫が顔を顰めた。
「こればっかりはね…」
この悪辣な手法は、坂田がじわじわと広げた手法で、後藤も手を焼いている。資金源はダンジョン黎明期に一気に息を吹き返してしまった暴力団で、探索者崩れなどの取り扱いも相まって、社会問題になっている。
「何かいい方法があればアドバイスしてください」
「顧問料取りますよ」
薫の言葉に、ニヤリと後藤は笑った。
「いいですよ」
「うそです。いらないです。もう本当に勘弁してください」
薫は思わず天を見上げた。
「そうだ。さっきの講習で聞いたんですが、秋人が無料でオリジナルの魔法をギルドに提供したって聞きましたよ。お金払ってくださいよ」
「迷宮核の処理魔法ですな」
「そう!」
薫がダンとテーブルを叩く。
たとえ、己の口座にまた0が増えることになろうとも、秋人の利益を減らすわけにはいかないのだ。苦渋の決断である。
「秋人君にはちゃんと確認したんですが、不要とのことだったのでそのままにしてます」
「勝手なことを!」
薫が憤慨すると、後藤はやんわりと制した。
「あの魔法はもともとは彼のものではなく、お母さんが開発したものだそうです。みんなの役に立つのならその方がいいと」
薫は無言で後藤を見る。
「後藤さん、秋人のご両親のこと知ってましたよね。なんで教えてくれなかったんですか」
「巌さんから聞きましたか?」
「はい」
後藤は冷めたコーヒーを含んだ。苦い味がした。
「ギルドの資料にも、ほとんどお二人の情報は残ってないんですよ。坂田の阿呆と赤城の愚か者が、結構データベースを弄ってしまっていて」
後藤が腹立たしそうにコーヒーを掻きまわす。
「しかし、それ以上に、ちょっと言いにくくてね。あの二人がダンジョンで生活していたことや、おそらく秋人くんを実験のように育てていたことを伝えるかどうか…」
「朽木さんからお聞きしました」
「秋人くんを溺愛していたことは間違いないんです。ただ、あの二人の中では、それとこれは別という感じだったので」
巌もそのあたりの違和感を口にしていた。
「お二人はどこ出身だったんですか?」
少し調査をしてみようかと薫は思ったが、後藤はため息をついた。
「データが消されているので何とも。それに、あの二人は戸籍がなかったんです」
「え?」
「当時は、まだダンジョン顕現の混乱が地方では続いていたし、外国はもっと顕著だったので、戸籍のない人はそれなりに居たんですよ。世界人口の3割が死んだ後なので、戸籍がどうのこうの、国籍がなんだのと言う余裕もなく、「戸籍がないけど日本人です」と言われれば、「そうですか、ではこれをどうぞ」って感じで新しく作成してましたからね」
後藤の言葉に薫は閉口する。
「二人はある日突然現れ、恐ろしく強く、破天荒で、美しく輝いていた」
だから…
「きっと、我々はあまり調べたくなかったんです。」
詳細を尋ねたら彼らが消えてしまうのではないかと恐れたのだ。
本当は心の片隅に抱いた違和感を、皆敢えて飲み込んでいた。
あの当時も日本には強力な探索者が少なく、日々現れるダンジョンに探索者は疲れ切っていた。そこへ現れた新星を失いたくなかったのだ。
「すべてを秋人くんに背負わせる羽目になってしまった」
後藤の声は、苦渋に満ちていた。
アメリカ大使館で初めて秋人に会った時の絶望を、目の前の男にどういえば伝わるだろう。
後藤はそれを思う。
秋人の瞳の中の虚無と、膨大な力に無意識に怯えた。
無遠慮にぶつけられた魔力の冷たさ、冷酷さ。
心の中で勝手に英雄視していた「如月秋人」の正体に愕然とした。
そこに立っていたのは、人類の味方などではなく、単にダンジョンで生き残ることしか知らない、何の救いもない5年を淡々と生きてきただけの生き物だった。
しかし、秋人は薫の顔を見たとたん、年齢相応の子供のように顔を綻ばせた。
さきほどまでの冷徹な表情ではなく、本当に嬉しそうに笑い、薫の無事を喜んでいた。
後藤は分からない。如月秋人は何者なのかということが。
「後藤さん」
薫は静かに告げる。
「秋人くんは、ちゃんと善悪の区別もつくし、弱い者を守らなければならないというノブレスオブリージュ的な騎士道も持ってるし、素直でまじめでいい子ですよ」
それはそうなのだが、と後藤が躊躇う。
おそらく探索者としての経験値が、秋人への恐れを生み出しているのだろう。
「神崎先生、秋人くんがあそこまでになるのに、どれほど殺してきたか想像したことがありますか?」
後藤や朽木親子の恐れの元はそれだ。
高ランクの探索者の圧力は、すなわち殺しの量だ。
あの年齢であれだけの圧をもっているということは、日々殺しに明け暮れていたということである。
それを探索者が恐れるのか、日本で唯一それを公式の職業にしている者が?
と思うかもしれないが、だからこそである。
「日本人にSランクの探索者が少なくて、Aランクどまりが多いのは、ご存知ですか?」
後藤の問いかけに薫は頷く。さきほどの講習でもそう言っていた。
「Sランクの判定は簡単です。レベルが50を超えるかどうか。どれほど頑張っても50で止まる探索者が多い。51になりさえすれば即Sランクです。」
ランクはギルドが与える階級だが、実際はレベルを見て決めているのだ。
「ランクに相応しい人格とか、狩ったモンスターの質だとか、踏破したダンジョンのランクだとか言われていますけど、本当は単にレベルで判定しているにすぎません」
「ほほう」
薫は、講義ではおそらく聞けない裏話に、俄然聞く気が上がった。
「50と51の差は、殺しを躊躇うか躊躇わないか、それだけです」
「…」
「躊躇なく敵を攻撃できるかどうかです」
後藤の言葉に薫は首を傾げた。
「それだと、殺人鬼とか犯罪者がSランクになれるってことですか?」
薫の問いに後藤は首を振る。
「そういった種類の人間はそもそも50に到達できません。そこまでで、そういった精神の持ち主はふるい落とされています。その上で、反射のように己の敵を瞬時に判断し、ためらいなく相手を屠ることができる精神の者は51を超えます」
「なるほど、日本人に少ないわけだ」
「そうです。我々はそういった境地になる環境にいないのです」
後藤の言葉に薫は納得しかなかった。
そもそも日本という国は、銃などが個人で所有できない社会を構成している珍しい国家なのだ。
殺しなどという物は、日本人の生活の中からは一番遠いといってもいい。
それを即判断しろなどというのは、無理難題だ。
「秋人くんのレベルは84。おそらく日本人最高です。もしかしたら、世界でも3本の指に入るかもしれない」
あの少年はたった5年でそれだけの数を殺してきたのだ。
秋人自身がどうこうではない。その事実の前に立ち竦む後藤だった。
しかし、そんな後藤を少し冷めたように眺めてから
「まあ、でもそれなら…」
薫は残ったコーヒーを飲み干す。
「俺もSランク取れそうですね」
悪魔のような笑顔で、薫は笑った。




