12. 初心者講座
薫は久しぶりに探索者ギルド日本支部に訪れていた。
東京都ではここで探索者の初心者講習が行われるのだ。
薫の探索者の証明カードがAランクだった所為で受付でひと悶着あった。
「一応初心者なんで」
発行日を指摘してようやく通してもらう事ができた。
講座は無料で行われる。
見渡すと18歳くらいの若い少年少女がほとんどだが、中にはいかにも失業しました的なサラリーマンっぽい人や、食い詰めて行き場を無くしたホームレスのような人もいた。
「お兄さんも失業したの?」
隣の席の髪の毛がピンク色のギャルメイク少女が薫に話しかけた。
「いや、こっちが副業…かな」
正業が弁護士なら、探索者は副業で間違いないのだが、元々なる気があってなった職業ではないだけに若干戸惑う。
「へえ。バイト替わり?収入がある程度あったら、お駄賃でないでしょ?」
「え?お金出るの?」
薫が聞き返すと少女は呆れた顔で肩を竦めた。
「探索者のなり立ては3か月は給料出るよ。1回だけだけどね。他に収入がある場合は、減らされるけど。国民登録カードもリンクさせたでしょ。口座に自動振り込みだよ。知らないの?」
「うん。知らなかった。」
薫は慌ててスマホで口座を確認する。
3か月ということは、おそらく先月までは振り込まれていたということだ。これは申し訳ないことをした。辞退もできただろうに。
こういった資金はギルドの運営費で賄われている。無駄に使わせるつもりはなかったのだが。
「ま、お兄さんいい服着てるもんね。お金持ちなんだ」
「いや、まあ。そうだね。貧乏ではないかな」
と己の口座の0の数を思い出して薫は遠くを見つめた。
別に秋人からの報酬がなかった時だって、金に困っている訳ではなかったし、どちらかというと裕福な方だったとは思うが、今はもはやそのレベルで語るのは申し訳ない勢いである。
「はあ、いいなぁ。私はこれからダンジョンで灰色の青春を送るんだよ。地獄だよ。まだ18歳になったばっかりなのに」
彼女はため息をついた。
「まあ、カードで借金作っちゃったからね。自業自得なんだけどさあ」
どうやら、カードローンの債務地獄に陥ったらしい。
「売りかこっちか選ぶとしたら、まあこっちかなぁって。あたし、ほら可愛いじゃん。需要は結構あると思うんだけど、やっぱさ、一線は守りたいっつーかぁ」
ピンクの髪を弄りながら彼女は自虐的な笑いを浮かべた。
「なんとかなりそうなジョブでよかったよ。上手くいけば一攫千金だしね」
彼女がひひひと笑って見せた。薫は何とも言えない顔でそんな彼女を見ていた。
講座が始まると彼女は秒で爆睡してしまった。薫はノートを取り出しメモを取る。
ダンジョンの始まり、その歴史、探索者の役割など、当たり前のことをさらっとおさらいして、本題である。
あまり一般には知られていないダンジョンの仕組みや、探索者の魔法について。
魔法のことがあまり一般人に知られていないのは、身体能力と違って魔法はダンジョンの外でも抑える機構が存在しないので、差別などを起こさせない配慮なのだという。
ジョブを得るのと同時に探索者には魔力が付与される。
魔力は、ジョブ特有のスキルを発動するのにも使用するので、魔術師系のジョブではなくても魔力の量は重要なのだ。
そして、魔力量はレベルが上がるのに比例して増える。レベルが上がれば上がるほどその比率は上がるらしい。
薫が使い方もほぼ分からない魔力を無尽蔵に持っているのはその所為だった。
ダンジョンは基本的に迷宮核を潰すことで閉鎖することができる。
迷宮核はガラスのような材質の植物の形をしていて、花と茎と根があり、根まで引き抜かないとダンジョンは復活する。
昔はそれが分かっていなかったので、花を刈ることで一時的にダンジョンがなくなったことを閉鎖扱いにしていたが、何度か同じ場所にダンジョンが出現することで、この仕組みが判明したらしい。
最近では根から綺麗に引き抜いてダンジョンを閉鎖する。迷宮核は非常に高値がつくらしい。
特に綺麗な完全体で保管できると1,000万くらいは軽く買値がつくそうだ。
あれ?そういえば…と薫は首を傾げた。
秋人がもってきたボストンバッグの中に、何かのガラス細工の花があった気がする。
「いやいや、家に迷宮核があるとか、ナイナイ」
薫は脳裏で激しく首を振った。
迷宮核を根から引き抜くのは結構至難の技なのだが、昨今それ用の魔法が広まったので、おおいに役に立っているらしい。
「この魔法は如月秋人氏が開発したのを、ギルドに無料で提供してくださったのです。」
「うん?」
講師の話に薫は目を細めた。
迷宮核を完全な形で多数手に入れるために、坂田や赤城が秋人に命じて提供させたのだろう。
「くそ、手抜かりだった。魔法の料金っていくらになるか、後藤さんに聞かなくちゃ」
薫は秋人の代理人なのに知らない事ばかりだった。
他にも自分が知らない所為で、秋人が不当に扱われている案件があるかもしれない。
「来てよかった」
それが分かっただけでも、忙しい合間を縫って来た価値があったと薫は思った。
初心者講習会は来週もあるらしい。
そちらは実践コースで魔力の操作に関しての講座だった。
薫はスケジュールを調整して、参加に申し込んだ。
講座が終わってから起き出した女の子に、薫はノートを差し出した。
「読みなさい」
「え!メモとってくれたの?ラッキー!お兄さんあたしにもしかして気がある?」
少女は品を作って笑顔を浮かべた。しかし、薫は静かに首を振る。
「親や彼氏の借金を肩代わりする義務はありません。ダンジョンで命をかけてこい…などと命令する輩の言うことを、聞いてやる必要はありませんよ」
「え?」
少女が目を丸くして、ノートに手を伸ばしたまま固まった。
「我が国では現在18歳ではクレジットカードは作れません。即ち、カードローンで、ここに来なくてはいけないほどの借金を、貴方の年齢で作ることは不可能です。」
薫は淡々と告げる。
「あなたの借金ではないとなると、親か恋人。どのみち、貴方のことなど、これっぽっちも大切に思ってない人間です。そんな奴のために命を賭けるのは感心しませんが、もしどうしてもというのなら、そのノートをきちんと読んで、ちゃんと講習を受けなさい。死んでもいいなんて思わないことだ」
少女は泣き出しそうな顔をして薫を見つめている。
「あ、あたし…」
「これを…」
薫は名刺を差し出した。
「私の職場です。神崎の紹介で来たといえば絶対に仕事は引き受けてくれます。困ったことがあれば来なさい。力になりましょう」
「なんで?」
彼女は薫をただ茫然と見つめた。
「君の目が、私の知ってる子に似ていたから。放っておけなかったんです」
人生を諦めてしまっている目だった。
薫がそう言うと、彼女は無言で一礼し、名刺を握りしめ走り去った。薫はそんな彼女の後姿を見送った。
彼女が未成年なら、無理やりにもで保護してやれただろうが、18歳なら成人だ。
「相変わらずですな」
不意に背後から声を掛けられる。
「後藤さん」
「やあ、先生。お久しぶりです」
後藤はじんわりと笑った。
薫は見られたくないところを見られて閉口する。薫がある種お人よしなことは、後藤にはおそらくバレているのだが、それはそれ、これはこれである。
「営業活動ですよ」
薫は嘯く。
「金になりそうには見えませんでしたけどね」
「分からないじゃないですか。もしかしたら、うんと先にすごく有名な探索者になって、私に『代理人になってください』って言いに来るかもしれない」
「・・・・・これ以上墓穴掘ると、来年の納税者ランキングでトップに踊り出ますよ」
後藤の言葉に薫は撃沈した。




