10. 当夜
「初めまして!朽木当夜です!!19歳です!!」
元気よく頭を下げる青年に薫は苦笑を返す。
当主親子に比べて元気な子犬のような明るい青年だった。
「大学生?」
「いえ、中退しました!」
事務所中に聞こえる大きな声の内容に薫はぎょっとして、隣に座っている巌を見つめた。
巌は苦虫を噛み潰したような顔で無言。
「このために中退したとか言わない…よね?」
恐る恐る薫が聞くと、当夜はにこっと笑う。
「はい!その通りです!!」
「ちょっと、巌さん!!」
薫が慌てて巌に食って掛かると、巌は首を振った。
「いや、実はね、この話は当初彼の兄にもっていくつもりだったんだよ。だけど、こいつがね、どうしてもって言って聞かなくて」
「だからって、大学を辞めてまでなんて」
困惑した顔で薫が告げる。
「いやいや、こちらもね、そこまでさせるつもりはなかったんだよ。彼の兄はうちの本家の警備員をやってくれている子でね、ぴったりだと思ってこの話を持っていったんだが、たまたま聞いてたこいつが勝手に大学を辞めてきたんですよ」
「俺、勉強嫌いなんです!だから大学辞められてラッキーと思って!」
「えええええ」
薫が頭を抱える。
「あと、ダンジョンも嫌いなんです!ていうか、格闘技は好きなんですが、モンスターはキモくてダメっす」
そういう感覚の子もいるのかと薫は驚いた。
「このままだと朽木の穀潰しって言われるって、母ちゃんにも嘆かれていたんですが、俺にぴったりの仕事を伯父さんがもってきてくれて、すげえラッキーっす」
当夜はあっけらかんと笑った。
よく鍛えられた体躯に短く刈った髪、迫力満点の見かけだが人懐こい笑顔があるので、あまり怖そうには見えなかった。
「ここは困った人が非常に厳しい状況に耐えかねて訪れるところです。静かにできますか?」
薫が聞くと、当夜はにこにこと笑って頷いた。巌は安堵の息を吐いた。
「まあ、大学を辞めてきてしまった手前、ダメとも言いにくくてね。申し訳ありませんがよろしくお願いします。あ、でも役に立たないなら速攻追い出してください」
「伯父さん!ひどいよ。俺やるときはやる男だよ!」
「確かにっ」
堪えきれず薫が笑った。そうでなければ、大学を中退してきたりはしないだろう。
「分かりました。朽木当夜くんをうちの事務員として採用します。それと、頑張って、いろいろ法律も勉強してもらいます。別に資格を取る必要はありませんが、依頼人がどういうことで困っているか、どんな内容の準備がいるかなどは分かるようにならないと、仕事になりませんからね」
薫の言葉にうっと当夜は呻いた。
「俺、警備員じゃないの?」
「申し訳ないけど、門番みたいに立っているような仕事は、うちにはないよ。さっきも言ったけど依頼人はとても弱ってくるんだ。威嚇してしまうようなシチュエーションは避けるべきだ。それができないならこの話はなし」
薫が告げると、ぐぐぐっと呻いた後、当夜は
「分かりました!よろしくっす!!」
と微妙な敬語を交えて頭を下げた。横で巌がゲンナリしていた。
バイトとして雇った当夜だったが、思っていたよりはるかに優秀だった。
怪しい連中を捕えたりすることはもちろんだったが、その人懐こい笑顔と明るい性格で、依頼人にも好評だった。
雑居ビルの中で食事をしている間に、あっという間に店子の連中とも仲良くなり、何年も前からいたかのように馴染んでしまった。そんな彼にも緊張の一瞬があったようで。
「は、はじめ、まして。く、くちき、とうや っす」
幼稚園児のようなたどたどしい物言いで、彼が挨拶したのは如月秋人だった。
「あ、初めまして。薫からお話は聞いています。如月秋人です。よろしくお願いいたします」
深々と秋人が頭を下げた瞬間、当夜は卒倒した。
ばたんと大きな音がしてひっくり返った当夜を秋人は呆然と見ていた。
あまりにも想定外の動きだったので支えられず、顔面から床に転がったのだ。
何事かすっ飛んできた薫はその惨状にびっくりした。
「すいません。緊張しすぎてぶっ倒れました」
「いや、うん、まあ…」
微妙な顔で薫と秋人が頷く。
しかし、当夜の方はそれどころではなかった。ぐっと握った手を広げたり、また閉じたりして、口を何度もパクパクしてから、ようやく目の前の少年に対して
「サインしてください」
と告げたのだった。
当夜は面白い青年だった。
そして、なによりダンジョンや探索者のことについて詳しかった。
薫は何も知らないに等しいし、秋人は自己流だったので
「こんな便利な道具があるんだ」
とか
「こんな方法で換金できるんだ」
とか、秋人にとっては目から鱗な内容も多かった。
当夜は仕事が終わった後、秋人の部屋に遊びに来ることも多かった。
「TENTENDO48がある!!」
当夜が叫び声をあげる。
「依頼人の子供をあやすのに使うために買ったんだ。必要経費で」
薫が嘆く。地道な節税対策である。
「あっくん、ゲームやったことある?」
「ないよ」
「じゃあ、やろう」
いつの間にか、秋人のことを「あっくん」とニックネームで呼ぶようになった当夜は、サクサクとゲーム機の設定をし終えて、秋人にコントローラーを渡した。
秋人にとっては人生初ゲームだった。
30分くらいしたところで当夜が悲鳴を上げた。
「つよすぎる…」
ばたんと床に突っ伏す当夜に薫は苦笑する。
「秋人は動体視力と反射神経が半端ないから、その手のゲームだとたぶん負けないよ。コントローラーがついていってないくらいだ」
秋人は最初の10分で動かし方を覚えて、次の10分でゲームの癖を見抜いてしまっていた。
「トリプルエスは伊達じゃないのねん」
当夜はそう言いながらも、割と普通に秋人に接している。
薫にはできいない、同年代の男同志という関係は貴重だった。




