9. 家族写真
朽木家当主と秋人の初会合はそれから1週間後に行われた。
改まって場を設けると、秋人が緊張するかもしれないと、いつもの事務所の所長室で会うことにした。
「初めまして。朽木家当主の巌です。」
「長男の一馬です」
二人が穏やかに挨拶すると、秋人も少しほっとするように小さく頷いて
「如月秋人です。よろしくお願いします」
と頭を下げた。
和やかに四人での会合は進んだ。
「改めて赤城誠の件は申し訳なかった。当主として深く反省しきりです」
巌が告げれば一馬も同時に頭を下げた。
「いえ、もう気にしないでください。本当に、正直に言うと僕はそんなに怒ってないんです」
秋人の言う通り、どちらかというと周りの人間の方が、赤城や坂田に対しての怒りが激しかった。
秋人自体は
「あーそうだったんだー」
くらいのものである。
殴られたり蹴られたりもしたが、正直一般人の坂田や、弱いジョブしかもてない赤城の攻撃なんぞ食らったところで何の痛みもなかった。
そもそも物欲自体があまりないので、ダンジョンで得たドロップ品や報酬をちょろまかされていた件も
「ああ、なんだ。全部渡す必要はなかったのかー」
くらいのものである。
それよりはむしろ、彼の両親に何の落ち度もなかったということが分かって、その事の方が秋人には重要だった。
顔も声も覚えていない両親。
心が張り裂けそうな痛みだけを、ずっと胸に抱いていた。
美しいダンジョンの光景や、彼らとどんな話をしたのか、何を言われたのかなんてことは覚えているのに、彼らの顔も声もおぼつかない。
優しかったのは覚えていた。
強かったのも知っていた。
けれども、どうしても顔が思い出せない。
声も覚えていなかった。
たった5年前のことなのに。
自分はなんて薄情なんだろうと秋人は思っていた。
おそらくは、命をかけて自分を助けてくれた両親の顔を、忘れてしまったなんてと。
そんなことを考えていると、巌が不意に話しかけた。
「秋人くん、秋人くんと呼んでいいかな」
巌の呼びかけに慌てて秋人は回想の海から浮かび上がり、頷く。
「私はご両親と面識があるから、如月君と呼ぶとお父さんに呼びかけているみたいでね」
「父をご存知なんですか」
秋人の大きな目が輝く。
「ああ。年齢はあちらの方が若かったけど、腕のいいSランク探索者だったからね。一緒にいくつかダンジョンを攻略したこともあるよ」
巌の言葉に秋人の顔がぱっと明るくなった。
そこからしばらく皆で巌の話す如月夫妻の話を聞いていた。
「とにかく、君のお父さんもお母さんもハチャメチャでね。大概とんでもないことが起こるんだが、私が彼らと組まされる時は、後藤さんにいつも怒られるのは何故か私だったんだよ。酷くないかい」
おどけて告げる巌に秋人は笑った。
彼の中でのっぺらぼうだった両親の姿が少し肉づけされたようだった。
「それから、これを君に」
巌が取り出したのは古い写真だった。
「二人はあまり公共の場に出ることをよしとしなかったから、あまり写真が残ってないんだが、これは三人で撮ったものだ」
「・・・・・」
秋人は驚いて声もなかった。
「お父さんとお母さんの写真…」
あるとは思っていなかったので、薫も驚いて巌を見た。
「渋谷のダンジョンを攻略した時だったかな…珍しく二人がね、写真を撮れと煩くてね。」
巌の脳裏には元気で破天荒な夫婦の姿が今でも鮮明に浮かぶ。
「きっと、この日のために彼らは私に写真を撮るように言ったんだと思うんだ。だから、これは君に持っていてほしい」
若かりし頃の両親は、自信に満ちた笑顔で画面に収まっている。
秋人がぼんやりとしか思い浮かべることができない顔がそこにはあった。
「あの、ありがとう…ございます。」
写真から目を離すこともできず、秋人はじっと二人の姿を見つめた。
涙が大きな瞳にせりあがる。涙が写真に落ちないように、乱暴に手で瞳をぬぐう。
薫がハンカチを差し出すと迷わず顔を伏せた。
ひっそりとした時間が過ぎていった。
「本当に、子供でしたね」
帰りの車の中で一馬がぽつりとこぼした。
中学生だ、少年だとは聞いていたが、どうしても想像できなかった。
あの「如月秋人」が未成年だなんて、去年の自分が聞いても信じなかっただろう。
見た目がいかにも戦士風の少年ならまだ納得もいくが、現れた少年は華奢で、すぐにひねりつぶせそうな体躯の持ち主だった。
しかし、所長室に足を踏み入れた瞬間、秋人が朽木親子に当てた魔力は深く静かで、そして恐ろしかった。
体の隅々まで一瞬で把握されたことが分かった。
下手なことをすると、おそらく瞬間で首を落とされる、そう感じた二人はその場で固まってしまったのだが、
「秋人君!こちらが朽木巌さんと一馬さん。知っているよね」
呑気な神崎薫の声で場の空気が一変した。
秋人は警戒をとき、二人に対して普通の態度になった。おそらく、薫は秋人の魔法も二人の気持ちにもまったく気が付いていなかった。
「あの人が秋人くんの近くにいてくれたのは、本当に幸いだった」
「そうですね」
あの時、二人は気が付いた。おそらく後藤も気が付いている。
如月少年はかなり壊れてしまっている。
瞬時に周囲の対象の危険度を図り、いつでも殺せる態勢を整える。
それが習慣になっている。
相手が、人間でもモンスターでもおそらく関係ない。
殺すことに慣れて躊躇いがなかった。
さもありなんと二人は苦く思った。
大の大人でも苦しいSランクのダンジョンをソロで征伐、それを3度も。
さらに、毎日毎日昼も夜もダンジョンに潜ってモンスターを狩り続ける生活を5年。
たった一人で、助けてくれる人もなく、会話する友もなく、ともに暮らす家族もなく、両親の思い出すら朧気な中で、ひたすらに生物を殺し続ける生活。
そんなものが人間の、それも少年の心に影響がないわけがない。
「大変なことをしてしまった」
巌の声は苦い。
友人夫婦の顔が浮かぶ。彼らが大切にしていた息子は今人として窮地にあった。
一馬の思いも苦い。自分の小さな息子が、もしもそんな目に合ったら耐えられない。
「神崎先生は、気が付いているのだろうか」
一馬がポツリと呟く。巌は無言だった。
抜け目ない策略家、なのにお人よしの代理人。
稀有な魔法はもっているが、探索者としてはまったくの素人。
如月秋人の役に立つは思えない不思議な立ち位置の彼の保護者。
しかし、彼なら、あの男ならもしかしたら、秋人を救えるのではないかと…そんな気がした。




