7. 護衛
時間を決めてまた連絡をすると薫が告げて、話を終わろうとしたところで、巌が一つと手を挙げて発言を求めた。
「どうしました?」
「いや、実はね…言いにくいですが、神崎先生のところにうちの親族を何人か入れさせてもらえないかと思いましてね」
「うちの事務所ですか?審判職にしたい人材でもいるのですか?」
薫のこの数か月の活躍で審判職の有用性が高まっている。
そういう問いと合わせも2,3あることは事実だった。
「いや、事務所もなんですが…というか、すみません…無許可で申し訳なかったのですが、このビルに入っているテナントに何人か人を既に送っています」
「えっ」
まさか朽木家の親族がこの雑居ビルで働いているとは思わず、薫は思わず声を上げた。
「えっと、もしかして秋人の護衛ですか?」
雑居ビルの最上階は彼らの住居である。その所為かと思ったが、巌は首を振った。
「いや、あの人に護衛など不要でしょう。リミッター6つ装着していても、遠距離でも圧力を感じる。あの人に何かしようという探索者はよほどの新人か愚か者でしょう」
リミッターとは探索者がダンジョン以外で超人的な能力を使わないように、自主的に装備している透明な腕輪状のリングのことで、これを付けていると身体強化などの物理に働く能力は大きく制限される。
ただし、魔力の方にはまだそのようなアイテムがないので、魔法師の犯罪は実は多いのだが。
「しかし、それでは何のために?」
薫の言葉に朽木親子は深いため息を着いた。
「先生の為ですよ」
「え!?俺??」
思わず仕事モードではない一人称が口から洩れた。
「普通Aランクの探索者っていうと、強者感というか圧力が静かに漂っているので、『あ、これは敵わないな』て空気があるから襲ったり、さらったりって考えないんですがね」
一馬が頭を掻きながら告げる。
「先生は、なんというか…お聞きしたところ、かなりの偶然と幸運が重なって、とんでもない短期間でランクアップした所為か、そういう雰囲気が一切ないんですよ。
ぱっと見た感じ完全に一般人、素人、大目にみてもビギナー。なので、正直言うとあなたの方が百倍心配なんですよ、我々は」
「あーーー…それはまあ、申し訳ない」
薫だって探索者になど、ましてやAランクになど、元々なる気はなかったのだから仕方ない。
修行しろと言われて人生を賭けている人たちからしたら噴飯者だが、そこは多めにみてほしい。
「それでですね、先生は『如月秋人』の関係者であることは一部の人間には知られているわけですから、もう少し安全には気を配っていただきたいのです」
薫はまさか自分がそんな風に心配されるとは思っておらず、驚いた。
「正直なことを言うとですね、すでに何人か捕まえています」
「え?」
「5人のうち2人は外国人でした」
「ええ!?」
薫は流石にそんなことになっているとは思わず、自分の顔色が変わるのを感じた。
「先生、考えてみてくださいよ」
巌が深々とため息をつく。
「先生はたった一日で日本の首相の首を挿げ替えることが可能な魔法師なんですよ。後ろ暗いことのある連中は今頃戦々恐々としていますよ。」
「ああ、そういう…」
薫は己の認識の甘さにようやく気が付いた。
「探索者崩れの暗殺者や犯罪者を雇って、先生をどうにかしようと思った連中は五万といるはずです。このビルに来た瞬間、その手の犯罪者予備軍はおそらく回れ右しているとは思いますが、中には探索者ではない手駒を持っている連中もいるのでね」
「探索者崩れは近づきませんか?」
「そりゃ、これだけ立派な結界が張られていたら、何かしようって気も起らないでしょう」
「結界!?」
「え?」
薫の驚きの声に朽木親子がさらに驚きの声をあげた。
「あ、もしかして秋人が結界張ってくれてるんですか!?」
「魔法師なんだから気が付いてくださいよ」
「全然分からなかった!!」
「嘘でしょう」
一馬が唸る。
薫はそもそもあまり魔法を常時展開するということに慣れていないので、魔法を感じるという感覚がそもそも薄いのだ。
「帰ってきたらお礼を言っておきます」
しょんぼりと薫は肩を落とした。保護者失格である。
「まあ、それで護衛の件を少し考えていただけるとありがたいです。ちなみに、うちからは3名出してますが、ギルドから5名きてますよ」
「え!?」
薫は後藤の顔が脳裏に浮かんだ。後で彼にも礼を言わなくては。
「その、すいません。護衛の件、承知しました。給金はこちらから出させていただきますので、ご挨拶をお願いしてもいいですか?」
薫の言葉に巌は眉を跳ね上げた。
「あなたは我々の恩人です。恩人から金を受け取ることはできません。それに人員は定員で3名を常にキープしていますが、入れ替えておりますので顔合わせは不要です」
「いや、しかし」
「まあ、なんと申しますか…我が家にも探索者としては成りゆかなかった者や、後遺症などでダンジョンへは行けなくなった者もおりますので、そういった人間が少しでも家のために役に立つのならと喜んでやっていることなので、大目にみていただきたい」
そう言われると薫としてはノーとは言い難い。巌の年の功である。
「1階のアンティークショップの店員と、2階のラーメン屋、7階の雀荘に一人ずついれております。目印に全員右手中指に我が家の紋章の入った指輪をしておりますので、何か困ったことがありましたら彼らを頼ってください」
「はい」
「それと、できましたらこちらの事務所にも、一人入れさせていただくことは可能ですか?」
「はい、勿論です」
薫は頷く。
「そちらは、うちの事務所の人員ということなので、給料を払わせてください」
薫は断固としてそれは譲る気はなかったが、そこは巌も分かっているので頷き返した。
こうして、加藤法律事務所に朽木家の親族が配属されることとなった。
薫が自宅に帰るとすでに秋人は戻っているようだった。
「ただいま」
と声をかけると
「お帰りなさい」
と返事が返る。なんだか不思議な感覚だった。薫にとって自宅で誰かが待っていることなど、13歳で家族がいなくなって以来初めてのことだった。
「後藤さんと何食ったんだ?」
「チョコパフェといちごパフェとプリンアラモード」
「え、あのおっさんも?」
強面の後藤が、パフェを食べている姿が想像できなくて薫は唸る。
「後藤さんはフルーツパフェ食べてたよ。甘いの好きな探索者は多いんだって」
魔法は脳を使うので、終始身体強化をしているタイプの探索者は、甘味大好き系が多いという話を聞いて薫は首を傾げた。
「俺もそのうち食べたくなるんだろうか…」
薫は甘いものより辛い物の方が得意だし、もっと言うと酒の方が好きだった。いくらでも飲める。酔ったことがなかった。
「明日はお休みだからビール飲む?」
秋人が冷蔵庫を覗いてビールを確認している。
「うん。1本だけ」
そう言いながら愛用のエプロンを用意する。
秋人がすでに炊飯の準備をしてくれているので、すぐに支度ができたら食べられそうなものを用意することにした。
漬け置きしていた豚の生姜焼きと、キャベツの千切り、みそ汁、焼きナス、それからほうれん草の胡麻和えを短時間で作り、二人は食卓に着いた。
「後藤さん、学校はなんか言ってた?」
「うん。やっぱり訓練校は違うよねって」
「そっか。朽木さんとこもそう言ってたよ」
「そうなんだ」
自宅での食事中誰かと話すのも久しぶりの体験だ。
薫は慣れるのに少し時間がかかったが、ようやく自然になってきた。秋人も楽しそうにその日あったことを話してくれる。二人の貴重なコミュニケーションの時間だった。
「なんか、朽木さんとこが理事やってる学校がいくつかあって、そこだとダンジョンで仕事するのは公休扱いにしてくれるっぽいよ」
ビールを片手の薫が言う。
「ここから通えるとこある?」
「あるある」
「じゃあ、そこにしよう」
「おいおい。もうちょっといろいろ調べなさい」
「はあい」
他愛のない会話の中、お互いにまだ慣れない部分を隠して何でもないように振る舞っている。
「そういえば、朽木さんが言ってたけどこのビルに結界張ってくれてる?」
「え?」
秋人が驚いて声を上げる。
「朽木さんじゃないの?」
「え?」
今度は薫が声を上げた。
「朽木さんは秋人だと思ってたみたいだけど、違うのか。ギルドかな」
「ギルドじゃないと思う。もっと高度な感じだから」
「うーん」
薫は首を傾げた。
秋人は少し探るように虚空を見つめた。
「術式が読みだせないから僕より上の結界魔法だ」
淡く彼の体がグリーンの光を帯びて輝いている。
何かの魔法を発動しているのだろう。見た目で光っていれば薫にもわかるが、残念ながら結界を感じることもできていない。
「俺は修行が足りないな」
「仕方ないよ。薫はまだ探索者としては3か月なんだから」
「あ、そういえば、秋人は朽木さんとこの人とか、ギルドの人がこのビル護衛してくれてたの知ってた?」
「うん」
「教えてくれよ…」
がっくりと薫が肩を落とす。
「ごめんなさい。薫も知ってるのだと思ってた」
「それもそうか」
「薫が狙われそうだもんね」
「えええええ、それも気が付いてたの?」
薫の言葉に、秋人はようやく彼が何も知らなかったことに気が付いて驚いた。
「朽木さんとこが5人、ギルドが3人、僕が7人捕まえてるよ」
「マジか…ていうか、その7人どこにやったの?」
薫の言葉ににっこりと秋人は笑顔を返した。
「ダンジョンじゃないから、生きてる」
こういうとこ、ご両親に似たわけね…と薫は内心で納得した。




