4. 朽木家
秋人が学校の話や薫との生活について後藤に話している間、薫は朽木家の当主と跡取りと会合を持っていた。
相談があると連絡したとろこ、絶対に薫よりはるかに忙しいはずの二人は、
「明日、必ずお伺いします」という。
簡潔な返事と共に、本当に次の日事務所に現れた。
「いやいやいや」
薫が首を振る。
「申し訳ない。そんなに急いでいただくような内容ではなかったし、なんなら電話でもよかったんですが」
薫の言葉に二人は眉を寄せた。
「何を言うのです。秋人くんの助けになる以上に、重要な案件があるはずないでしょう」
当主がそう言えば、跡取りはうんうんと頷く。薫は深々とため息をついた。
この親子は出会った時からこうだった。
薫が朽木家当主である巌に会ったのは、内閣総理大臣を辞職させた三日後だった。それまではギルドがずっと抑えていたらしい。
秋人の引退の撤回や国際探索者連盟に対する連絡、世話になったアメリカの関係者への挨拶などを終えて一息ついた時、この迫力満点の親子連れは薫の法律事務所の玄関に現れた。
「神崎先生はいらっしゃいますか?」
丁寧な物言いだったが有無を言わさぬ迫力だったと、事務所で修行中の若手弁護士の小林くんは涙声で語った。
「急なお越しで」
所長室で薫が慇懃に呟いた。来るとは予測していたが、思っていたより早かった。
「神崎先生は如月秋人氏の代理人とお伺いしております」
「はい、そうです」
「では、如月氏に会えるでしょうか?」
「今は誰の面会も受けておりません。色々ありましたので、関係者との面談は控えております」
「そう…ですか」
朽木親子は顔を見合わせ、秒の速さで床に額をこすりつける勢いで土下座した。
「ひっ」
お茶を持ってきた楠本が思わず悲鳴をあげる。
二人はランクの高い探索者なりの大柄な体格をしていた。そんな大の男が床で手を着いているのだ。誰だって驚く。
肝っ玉母さんの楠本でさえ、お盆を取り落としそうな光景だった。
「顔をあげてください。私にそんなことをしていただく筋合いはありませんよ」
薫が困った顔で言う。
実際土下座にどれほどの意味があるだろうと昔から思っていたが、成人した大柄の壮年の男と、青年が床に頭を打ち付けんばかりに平服している、この絵面は辛い。
楠本の非難じみた視線に慌て、薫は二人に止めるように促したが、当主の朽木巌は首を振った。
「いえ、あなたの魔法で、我々の言葉と態度を届けていただけるはずです」
「あーーー、それかーーー、それなぁーーーー」
薫は確かに今見ているものを秋人に見せてやることはできる。
そういう便利な魔法を持っているが、こんな風に使うものではないはずだ。断じて。
「申し訳ありませんが、もう少し建設的なお話をしましょう。間違っても如月秋人という人は、あなた方にそんなことをさせて、留飲を下げる人間ではありません。それはあなた方が一番よく知っているでしょう」
薫の言葉に親子は顔を見合わせ、それからようやくソファに掛けなおしてくれた。
「赤城氏はもう十分罰を受けておりますし、主犯の坂田も塀の中です。これ以上の償いを如月氏は求めていません」
「それは、わかっています。ですが、何もしないでいるわけにはいかないのです。探索者の名門と囀られ傲慢になっておりました。一族にこんな不心得者がいようとは」
最高級のオーダースーツを着た朽木家当主は、げっそりとやつれた顔をしていた。
その苦悩は薫には想像もつかない世界だ。
如月秋人は探索者の英雄だ。言ってしまえばアイドルだ。
姿も年も分からない、本当に困ったときに風のように現れて、危機を取り除き、何の見返りも求めず去っていく。
そんな男に惚れないわけがない。
探索者の老若男女すべてから絶対の尊敬を受けている、そういう存在なのだ。
それを5年にもわたって虐待していた。
この事実が世間に知られたら朽木家は終わりだった。
ありとあらゆる罵倒が朽木家に向かうだろうし、探索者の関係者からはそっぽを向かれ、村八分になるのは目に見えていた。
いや、そういうデメリットの話ではないと巌は俯く。
自分自身が許せないのだ。
あの『如月秋人』をおぞましいやり口で搾取していた人間が身内だなんて、世間がどうのこうのではない。
まったく気づくことができなかった、己の不甲斐なさに絶望する。
「私は引責して引退しますので、以降朽木の家はこちらの一馬が当主となります。これはお詫びの品です。お収めください」
巌は深々と頭を下げ、分厚い目録を差し出した。
朽木家の主な家宝、探索者なら喉から手が出るほど欲しい武器や防具、魔法のアイテムなどのすべて、総資産のほとんどを秋人に譲るという法律的にすべてをクリアにした書類だった。
おそらく朽木家がこの手の書類をもってくると思っていた薫は、舌打ちせんばかりだった。
法律的なものをクリアするのにもっと時間がかかると思っていたが、どうやらどんな手段を使ったかわからないが、無理を通してきたらしい。
「申し訳ありませんが、それは受け取れません」
薫は額に深い皺を刻んで、目録を押し返した。
心の中で後藤の言っていた言葉を反芻する。
曰く「朽木巌を絶対に引退させないでください。あと、罵っても脅してもいいですが、家が傾くような財産を取り上げないでください」
酷い言われようである。後藤の中での己の印象の悪さに舌打ちする思いだ。
「引退もしていただくと困ります」
薫の言葉に巌はともかく一馬が俯いていた顔を上げた。
「それは、私では信用ならぬということですか?」
「は?」
「私が当主となりましても、如月氏への償いは一族をもってさせていただきます。奴隷と思っていただければ結構です」
一馬がきっぱりと言い切ると巌もうんうんと横で頷いた。
待て待て待て待て、奴隷とか…重い、重すぎる
薫はもはやごまかすことも出来ず額に手を当て呻いた。
ここまでさせるのか「如月秋人」は。薫は探索者になって日が浅い。浅いというレベルではなく、まだまだ全然探索者としては素人だ。だから、その名前の重さが分からない。
逆に朽木家は調査したので、どの程度の家格なのかということは把握している。探索者としてではなく、弁護士として見当が付いている。
「朽木さん、少し落ち着いて私の話を聞いてください」
薫は気を取り直して二人に身振り手振りで落ち着くよう促した。
「私も付き合ってる時間からしてあまり詳しいとは言えませんが、実際の彼に会ったことがあるという点ではあなた方より本物の彼を知っています。
私の知りえる如月秋人氏というのは、あなた方が思うような英雄的な人物ではありません。ごく普通の一般的な『少年』です」
二人ははっとして薫の顔を見つめた。
「如月氏…秋人くんはまだ14歳の少年です。運悪く両親をダンジョンで亡くし、身内がおらず、保護者がいなかったことを付け込まれた被害者の一人ぼっちの中学生です」
薫は一つ息をつく。
「どうか、彼にこれ以上の重荷を背負わせないでいただきたい」
「何を…」
朽木家の二人は、薫の真剣な眼差しに言いかけた言葉を飲み込んだ。
「あなた方の家のことは、当然調べました。赤城氏に対してどのようにアプローチしてくるか、もし庇うようなら対処を考えなければなりませんでしたからね」
薫は金に糸目をつけず、馴染みの探偵社を数社使って短時間で朽木家について調査を終わらせていた。
「調査して分かったのは、あなた方があの地域一体に根付いた一族であり、その経済や生活を支えるほどの大きな組織だということです。
傘下にある分家や企業も少なくはない。政界にだって融通が利く。あなた方が潰れてしまったら、どれほどの人が路頭に迷うかしれません。
たとえ、どれほど気を付けて救い上げたとしても、影響は多岐に及ぶでしょう。数千、あるいは数万の単位の人の運命が変わってしまうかもしれない」
薫はあえて厳しい顔で二人を見た。
「そんな重荷を14歳の子供に負わせないでください」
「・・・・・・・・・・・」
「普通の少年だと言いましたが、もちろん優しい子です。あんな境遇でも、誰かの為に手を差し伸べることを躊躇わないような子なんです。事の顛末を知ったら、どれほど心を痛めるでしょう」
「・・・・・・・・・・・」
「あなた方の気持ちもわかります。悔やんでも悔やみきれないという思いは、私にも経験があります。
ですが、ここは敢えてあなた方には、恥知らずになっていただきたいのです。何もなかったようにふるまってほしい」
「しかし!」
薫の言葉に一馬は抗議の声を上げる。
「秋人くんが成人の18歳になるまで、今回の件は出来る限り伏せられることに決まりました。あまりにも如月秋人の虚像が大きすぎて、14歳の今の彼にそれを負わせるのは厳しいと我々は判断したんです」
薫の言葉に二人は沈黙する。確かに二人の想像していた如月秋人と、現実はかけ離れていた。
「18歳になってからきちんと人前に出るために、秋人君は今から色々と人とのコミュニケーションを学ばなければなりません。学校にもろくに通わせてもらえてなかった彼は、かなり特殊な環境で育っています。あまり対人関係は慣れていないんです。正直なところ、ここに朽木家の事情を挟み込む余地がない」
薫の言葉は続く。ニヤリと薫は口角を上げる。
「あなた方がどうしてもお詫びをということでしたら、今回の騒動は、朽木家の内部告発から始まったことにさせていただきたい」
「はあ?」
二人は顔を真っ青にして叫んだ。
「ダンジョンに、ありえないような年齢の少年がいたことを不審に思った一馬さんが、ギルドに問い合わせて内偵が始まったと…そういう話にしていただきましょう」
「いや、そんな、馬鹿な」
一馬が慌てて腰を浮かす。
それでは、朽木の家は汚名どころか称賛されてしまう。実際は真逆なのに。
「これで、赤城の件がばれても朽木家に非難は向かわないでしょう。秋人くんが18歳になる前に真相がすっぱ抜かれそうになった場合は、そういう美談にして『14歳で保護された如月少年のことを、なにくれと世話していた朽木一馬さんは彼の叔父さんのような存在です』という立場で矢面に立ってください」
唖然とした顔で二人は口をパクパクとしている。
特に裏表がないまっすぐな性格の一馬は、これから先自分がとんでもない秘密を抱えて生きなければならないことに慄いた。
「その為には今回のタイミングで代替わりは避けていただきたいのですよ。何の咎もないのに、おかしいでしょ、今そうなると」
薫はにっこりと笑った。後藤の印象を決定づけた悪魔の笑顔で。
「それほどのお詫びの気持ちがあったなら、墓まで嘘をもっていくくらいできますよね?」
朽木親子はこの美しい悪魔の問いかけに頷くしかできなかった。




