2. 同居生活
秋人は薫の家に引っ越すことになった。
薫の家は事務所が入っている雑居ビルの最上階である。もともとは師である弁護士加藤哲也の住まいだったものをビルごと相続したのだ。
広々とした6LDKのマンションのような部屋の作りをしていた。トイレと風呂が2か所あり、客用の寝室もあった。ちょっとした高級マンションの仕様である。
薫は亡き師匠の部屋をそのままにしているので、客間は4つ。そのうちのどれでも好きなのを使っていいよと薫は言ったが、秋人は選べなかった。薫は一番陽当たりのいい部屋に決めた。
大きいし、ウォークインクローゼットもある。年ごろの若い男の子なので、何やかやとこれから物も増えるだろうと薫は思っていたが、秋人が持ってきた荷物に絶句した。
想定以上の持ち物の少なさである。ボストンバッグ1つだけだった。それもほとんど制服と教科書で埋まっていた。(ちなみにダンジョンで使用する武器や防具などは、収納魔法に収めているので、この限りではない)
「入れるものがないな」
がらんとしたクローゼットに薫が閉口する。秋人は落ち着かないのか小さくなっていた。
薫は、いの一番に秋人の生活用品や衣服を買いに行った。
如月少年は年齢の割に小柄で細かった。ろくな食事をさせてもらってなかったからである。
歯磨きなどの身の回りのことは両親が生きていた頃に、しっかり躾てもらってたので何とかなっていたが、衣服は安物でサイズもあってなかった。
髪も自分で切っていたらしい。ぼさぼさで前髪が長く、大きな瞳のほとんどを隠していた。
不潔ではないが、さっぱりはしていないというのが現状だ。
中学生がどんな格好をしているのかなんて薫には分からなかった。佐代子がもし自分の婚約者のままなら頼っていただろうが、彼女は塀の中だ。だが、ここは女性の助けが必要なところだった。
困った薫は事務所の女性職員で中学生の子供がいる楠本加奈子に相談した。
「たぶんすぐ大きくなると思うからファストファッションのunikuroやGAとかで揃えたら?」
と彼女は日本が誇るアパレルブランドの名前を出した。薫でも知っている有名どころである。
しかし、それよりも気になったのは秋人の体格だった。今はおそらく平均よりかなり小さいし、細い。
「すぐ大きくなりますかね?」
「たぶんね。今までまともに食べてなかったんでしょ」
「おそらく」
「ちゃんと食べたら大きくなるわよ。成長期だしね」
楠本の言葉に薫は半信半疑でありながら頷いた。
事務所職員には秋人が3Sランクの探索者であることは伝えていない。
ただ、ギルドの関係者でネグレクトに近い扱いだったこと、仕事の関係で薫が引き取ることになったことなどの表面上の理由だけを話していた。
この時代の人々は孤児に対してかなり優しい。それはやはり人口が3割も減り子供は国の宝であるという方針が社会に行き届いているからである。
なので、秋人がダンジョン関係で孤児になり、その所為でひどい目に逢っていたという境遇を聞いていた楠本は、かなり親身になって薫の相談に乗ってくれた。
子育てなどしたことがない薫にとっては得難い戦力だった。
おかげで、秋人はそれなりの少年らしい恰好ができるようになった。
髪も薫がいつも行っている美容院で切ってもらった。
「どんな髪型にしますか?」
と聞かれても秋人は答えられない。なので、薫が「似合うように清潔感があればいい」という大雑把な注文で済ませた。本人はいつもそのようにオーダーしている。馴染みの美容師は秋人の髪を整えながら薫に文句をつけた。
「神崎さん、元はスペシャルなんだからもう少し気を遣えば、女の子なんていくらでもひっかけられるますよ」
薫が佐代子に騙されてひどい目に合ったことを、大雑把には知っている美容師がそんなことを言う。
「うるさいよ」
薫はふてくされた。
「いや、しかし、こっちも素材の良さは負けてなさそうですね。もっとかっこいい髪型にしましょうよ」
「いえ、普通でいいです」
消えそうな声で秋人が言う。
「再現できないような髪型だと困るんだよ。俺たちは」
薫のやる気のない言動に、美容師はため息をついて、秋人の髪を整えてくれた。
さらに、薫は趣味が料理である。
行き詰ったことがあると大量の料理を作り出す悪癖があった。
今までは一人で消化していたのだが、30代を目前にしてそろそろ年齢的に厳しいかもと思っていたところに、10代の少年がやってきたのだ。
薫はこれで心おきなく料理が作れて嬉しかった。誰かが食べておいしいと言ってくれるのは作り甲斐もある。
16時間煮込んだビーフシチューを食べた時に、秋人はいたく感動したようで、美味しい美味しいとおかわりを沢山したので、薫をおおいに満足させた。
そうこうしているうちに料理は薫が、掃除や洗濯は秋人がするようになった。
そして3か月が過ぎるころには、痩せて小柄だった少年は、やたらとキラキラしい美少年になっていた。
もともとの顔立ちはよかったところに、年齢相応の体つきときちんとした服装、すっきり清潔感のある髪型などがそろったところ、新宿などを歩けばスカウトの名刺を何枚ももらう羽目になる容姿に変貌していた。
「いやあ、目の保養」
ミドリがうっとりと秋人を見る。秋人の前に薫が立ちふさがった。
「やめろ、見るな、変態」
薫の冷たい言葉にミドリはぶうっと頬を膨らませたが、気を取り直して秋人に話しかける。
「秋人くん、アイドルにならない?何なら私いい事務所知ってるよ」
ミドリはアイドルオタクだ。それも中学生や高校生くらいの、10代の少年がいちばんのストライクという事を公言している。
腕のいい会計士なのだが稼ぎのほとんどをアイドルの追っかけにつぎ込んでいる。
メジャーデビュー前の新人を発掘し、応援して人気が出たら冷めるという悪癖の持ち主だった。
「別に触ったりキスしたりさせてって言ってるわけじゃないからいいじゃん。美少年は国の宝よ」
ミドリは力説するも、薫にしっしと手を払われた。
「帰れ」
薫の一言にしぶしぶ席を立つ。
「あの、邪魔しちゃってすいません。ミドリさん」
秋人のお別れの挨拶に、いっきに頬を緩めミドリは勢いよく秋人の手を握った。
「何か困ったことがあったら何時でも言ってね!お姉さんすっごく腕のいい会計士だからね」
「触るな!」
薫がミドリの手を払いのける。
「いいじゃーん」
「だめだ。帰れ」
「ぶーーー独り占め反対」
「あーーーもうっ」
薫の機嫌の限界を感じて、ミドリは席を立った。
「じゃあ、今度来るときは節税対策もってくるから」
ビジネスライクにミドリが告げる。
薫が秋人を残して玄関まで見送ると、ミドリは少し困った顔で彼を見た。
「あんまり、依存させちゃだめだよ、薫」
「うん?」
ミドリの言葉に薫は首を傾げた。しかし、それ以上何も言うことなくミドリは去っていった。
「依存ね…」
薫はぽつりと呟いた。