14. 探索者ギルド日本支部の一番長い日 18:30
「如月氏の引退を撤回していただきたい」
後藤はこの言葉を言わなければならない己を呪った。
「へえ。またどうして?」
薫の煽りに後藤は騙されない。
言質を取らせてはいけない。薫が置いて行った資料、それまでの弁護士としての戦績を見ても、彼が自分でいうような「普通の弁護士」などではなく超一流の弁護士なことは分かっていた。
そして、さらに厄介なことに魔法使いだ。言語系の魔法使いは後藤が一番苦手なタイプだった。
「如月氏が引退したら日本は終わります」
後藤は苦痛をかみ殺すように告げた。
「今、日本には5人しかSランクの探索者がいません。そのうちの一人は70歳で、ほぼ引退扱いです。ここまで少ないのはかつてないことです。」
後藤は目を閉じ、脳裏にここ数年で引退していったSランクの探索者たちの顔を思い浮かべた。
「今彼がいなくなったら、日本ではSランクのダンジョンを踏破できる探索者は殆どいなくなってしまう」
そうなれば、この国は終わりだ。
Sランクダンジョンから際限なくモンスターが吐き出される。それを止めるためには複数人のSランク探索者が必要になる。それもおそらく数人は命を落とすだろう。そして、その先には絶望しかなかった。
「厚顔無恥とはこのことかな」
薫が嘯く。
「まったくもって、その通りです」
後藤は唇を噛んだ。
散々虐待し、搾取した相手に「助けてくれ」と哀願しているのだ。どの面下げてである。
他のことなら後藤だってこんな願いは絶対にしない。口が裂けても言えない。だが、己の信念を曲げてでも、言わねばならないことだった。
今秋人を手放すわけにはいかない。それだけはどうしても。
日本中の人々の平穏な営みがかかっていた。
不要と言われたがやはり床に頭をこすりつけて後藤が叫んだ。
「神崎先生、できる限りの補償はさせていただきます。如月氏が不当に搾取されたもので手元にあるものはすべて返却します。資産も彼が本来得るはずだった報酬もすべてお返しします。売却されたりすでに他人のものになっている物もできるだけ回収します。」
薫は無言で続きを促す。それだけじゃないだろう?と目が言っていた。
「さらに慰謝料として年間のSランク探索者の年給を10倍にさせていただきます。」
無言の圧力が後藤を襲う。まだ足りないと薫は無言で圧をかけた。
「引退でなれけば、休眠扱いでも構いません。籍を残すだけでもいい」
後藤の言葉を薫は無表情で聞いている。そんな当たり前のことを今更とその顔は告げていた。
彼は奥の手を切った。
「・・・・・赤城誠は新人探索者として、ダンジョンに放り込みます」
「ほう」
薫は初めて興味を持った。
「最底辺の装備と、最底辺の扱いで死ぬまで、いえ死んでもダンジョンで働かせます。如月氏の補償はギルドと国家が保証しますが、彼には我々に自力で返金していただきます」
この処罰を聞いたときに赤城は喚いた。
「そんな無法が許されるものか!」オレの一族が黙っていないぞ!」
と叫んだ。
彼は探索者の名門とされる朽木家の分家出身だった。
ジョブがたいしたことなくて、ギルドに就職した。
彼は探索者が大嫌いだった。ちょっと運がよかっただけでデカい顔をしやがってといつも思っていた。
その最高峰の秋人を虐待するのは楽しかった。
名門出身のくせに役立たずだと馬鹿にされた憂さ晴らしができて、たまっていた鬱憤が晴れてすっきりした。
もしも、この行為がばれたとしても坂田を主犯として、あとは親に頼めばなんとか穏便に済ませてもらえるだろうと高を括っていた。
しかし、朽木家は激怒した。彼らは探索者だった。どれほど如月秋人に恩義があるか、身をもって知っている人々だった。
彼らは己の親族の所業を聞いて絶望した。
こんなことが世間に知られたら朽木家は終わりだと、彼らは分かっていた。
当主は日頃の威厳をかなぐり捨てて激しく赤城を罵倒し、いつもは気丈な奥方はその場で卒倒した。後継ぎの青年は号泣。彼が死を覚悟して臨む予定だったSランクのダンジョンを、たった一人で制圧してくれたのが秋人だった。
「ど、どうしたら…」
当主が顔面蒼白にして呟いた。どうしたら償えるだろうか。そんなこと無理に決まっている。
彼は秋人の両親に面識があった。何度も命を救い救われた間柄だった。どんなに謝罪しても償えるものではない。
10代の多感な少年時代を取り戻すことなど、どんな手を使ってもできはしない。
「我が家の家宝を使いましょう」
息子が狂気を孕んだ眼をしてそう呟いた。
「死ぬことすら、許されると思うな」
朽木家の後継ぎ息子はそうささやいて、一族の面汚し赤城誠にその腕輪を装着した。
それは「不死の腕輪」と呼ばれるマジックアイテムだった。致命傷を瀕死の重傷のレベルに必ずしてくれるという探索者垂涎のアイテムだ。しかし、この腕輪には欠点があった。
死ぬほどの目にはあうのである。痛みや精神的な苦痛は味わう。死なないだけである。腕の良い回復職が一緒にいて始めて恩恵をうけられるアイテムだ。
しかも、この腕輪ははめた人間しか外せないのだ。腕ごと斬り落としても戻ってきて装着される。
「あれ?これってもしかして呪いのアイテムじゃね?」
とこの腕輪の存在を教えられた後継ぎたちは思うところまでが継承だった。
「朽木の一族が協力してくれて、赤城が払い終わるまで監視してくれることになりました。報酬は必要最低限を残してすべて、如月氏への支払いに使います」
「・・・・・ちょっと想像してなかった」
呪いのアイテムの話を聞いて、薫は目を丸くしていた。魔法道具恐ろしい。
「朽木家は本来、大変厳格で真面目な一族なんです」
後藤も当初、朽木家の申し出には驚いた。もちろん、彼らは財産の全ても秋人に渡すと言っていたのだが、それは保留とした。
朽木家は大きな一族だった。彼らが途絶えることは日本の探索者レベルの低下につながる。
秋人が望まない限りそれは避けたかった。おそらく、彼はそんなことは求めないだろうということは後藤もわかっていた。
「坂田氏はどうなりますか?」
薫の言葉に後藤は苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「あなたがそれを言うんですか?」
と。
「刑務所には、それなりに探索者崩れの犯罪者や、探索者の家系の看守がおります」
探索者としてふさわしいジョブが得られなかった場合、名門と呼ばれる家柄の人たちは、司法や警察関係に務めるものが多いのだ。
そして、犯罪者や警察官の中には秋人に救われた人、家族を秋人に助けられた人が大勢いる。
「どこかの誰かが坂田がやったことをうっかり漏らしてしまったら、刑務所では夜も眠れないことになるでしょう」
後藤の言葉に薫は苦笑を返す。
「概ね、その条件で秋人くんに伝えますが、二つ追加していただきたい事項があります」
薫が書類を取り出した。
「一つはこの契約書にサインをしていただくこと。あ、内閣総理大臣にももらってくださいね」
さきほど話していた内容が書面に記されていた。
「魔法契約ですか?」
後藤が書類を受け取り、そこから漂う魔力に眉を寄せる。
「はい。サインをいただくときには私もご一緒します」
「審議官…でしたね」
「はい」
薫の笑顔に騙されてはいけない。審判職は謎が多いのだ。特に高位ランカーはあまりいないので、その魔法も謎に包まれている。
「魔法契約なんて、別に審判職じゃなくてもやってるじゃないですか」
にこりと笑う悪魔の笑顔の真ん中に、拳を叩き込む想像をして後藤は落ち着きを取り戻した。
「この契約に責ある役職に就いている者に契約が発生するという条項は?」
後藤の問いかけに薫は頷いた。
「いいところに気が付きましたね。ここに名前を入れた次の日に辞職されたら、何の保証にもならないじゃないですか。あなたも代理だし。だから契約に責任のある役職についている人が契約人です」
内閣総理大臣なんて、どうせ1年交代でしょと薫が笑う。後藤は返す言葉がなかった。
「分かりました。大臣に伝えます。一緒に行くんですね」
「はい」
薫の機嫌のよい返事が大変うさんくさく、後藤は泣きたくなった。
「もう一つの条件は?」
後藤が聞く。おそらくこちらが本命だ。
「緊急招集義務を拒否する権利を付与していただきたい」
「それは!」
「この条件は絶対です」
薫はさきほどまでのふざけた表情を消して、後藤に詰め寄った。
緊急招集というのは、ダンジョンが発生した場合、Aランク以上の探索者にはギルドの招集に従う義務が発生するというものだ。拒否権はない。それをつけろと言っているのだ。
「いいですか、後藤さん」
薫の目は静かだったが、その奥には炎が燃えていた。美しい、信念に基づく炎だった。
「如月秋人くんに僕は望みを聞きました。僕を地上へ返してくれた恩返しに、僕が彼にできるすべてのことを、僕は全力をもって成し遂げるつもりでした。」
薫はその時の秋人の顔を忘れない。絶対に忘れてはならない。
諦念だけがその顔にあった。
「彼の望みは普通に暮らすことでした。普通に学校に行って、普通に友達と遊んで、普通に朝起きて夜寝る生活をしたいと。14歳の少年の望みがそれだけなんてあんまりじゃないですか!」
後藤は絶句して、そして俯いた。
「僕らは彼に恩義があるはずです。すべての日本人は彼に3度も命を救ってもらった。ならば、これ以上望むべきではない。もし、彼が嫌だといえば、ダンジョンに潜って助けてくれと言うべきではない」
「・・・・・・・・・・っ」
「この5年、彼を使いつぶしてきたつけを払うべきです。私は彼の代理人として、緊急招集権の拒否権を求めます」
「分かりました」
頷く以外にどうできるだろうか。後藤は敗北を噛みしめた。
しかし、そんな彼の打ちひしがれた姿に薫は少しだけ困った顔をした。
「私はね、引退でいいよって言ったんですよ」
後藤が慌てて顔をあげた。
「秋人くんのやりたいことをやればいい。もうダンジョンに行く必要はないし、好きなことをして好きなところに行けばいい。私がどこにでもいけるくらいのお金をとりもどしてあげるからねって言ったんですよ」
後藤が何とも言えない顔で薫を見つめる。この男は本当にやる。そしてさっきやった。
「でもね、秋人くんは不思議そうな顔で首を振るんです。別にそこまでは望んでない。ちゃんと困った人がいたら助けるよって。それが力のある者の義務だってお父さんとお母さんが言ってたからって」
薫はふうっと一つ大きく息を吐いた。
「我々は彼の両親に感謝するべきだ」
後藤はもう涙をこらえられなかった。
彼は秋人の両親を知っていた。優しく強く、そして少し変わり者だった夫婦。二人の笑顔を思い出すと涙が溢れた。
後藤の男泣きを、薫は何とも言えない複雑な顔で見つめていた。