4. 招待
桜子は悩んでいた。皆にも言われたが別にさほど意識せず「夕飯をご一緒に」と誘えばいいだけなのだ。しかし、これがなかなかに桜子にはハードルが高かった。
短い学生時代も色恋沙汰とは意識して距離を取っていた。
自分より弱い男に興味がなかったという事もある。
でも、薫は強い。今回巨福呂坂ダンジョンで共に戦ったが、その冷静な判断力、即応能力、いざという時の保身を考えない立ち回り、そして、他人である秋人に対する献身。
薫は、人間的に大きくて強くて優しい。あんな風な強さを持つ異性は、今まで桜子の傍にはいなかった。
桜子はもっと彼のことが知りたい。
どういう時に笑うのか、泣くのか、喜ぶのか。
何を愛し、何に怒り、何を求めるのか。
そういうことが気になる人間に、彼女は初めて出会ったので戸惑っている。
「あ、桜子さん!」
エレベーターホールで悩んでいると、後からやってきた秋人に追いつかれた。
「やあ、秋人。今日はずいぶん遅かったんだね」
なぜか薫のことを考えていたことが後ろめたくて、桜子が誤魔化すように答えると、彼は少し不思議そうに首を傾げた。
二人は並んで歩き出す。
「文化祭の準備が佳境なんで。僕は美術部の方とクラスの方で結構忙しいです」
「そっか。いいな。私は文化祭とか行ったことないんだ」
桜子は苦く笑う。
「家庭の事情でね、中学卒業と同時に探索者になったんだ。秋人ほどひどくはないけれど、私もまあまあ搾取されてたかな」
霧崎家の跡取りとしてというお題目で高校にも通えず、いきなりダンジョンへ向かわされた。おそらく、あの頃から既に一部の親戚は桜子ではなく、後添いの生む男子を待つつもりだったのだろう。下手に優秀な女子が煩わしかったに違いない。
死んでくれれば御の字とでも思われていたのだとしたら、少し悲しい。
桜子の父は婿養子だ。本家に近い親戚筋からの入り婿なので血縁内での結婚だった。そして、後添いは母の腹違いの妹だった。血筋の乗っ取りというほどではなかったが、親戚の中には継母の生まれに顔を顰める者もいた。
「世間一般で言うところの毒親とかそういうものだろうなあ」
ふうっとため息を付く。
母が死んだ時、既に母の妹と内縁状態にあった父は、母の葬儀が済んだ次の日に彼女を連れてきた。
当時は叔父も祖父も健在だった手前、桜子を虐待するようなことはなかった。そもそも彼女には頭抜けた才能があったので、跡取りとして優遇せざるを得なかった。
しかし、彼らが亡くなってからは露骨に冷遇されるようになった。
「まあ、そんなわけで高校も大学も行ってないから、文化祭とか体育祭とか球技大会とか、聞いたことしかなくて、羨ましかったんだ」
桜子は少し寂しそうに笑った。
「だから、秋人の衣装を直すので、ちょっとでも気分が味わえて嬉しかったよ」
秋人にはその気持ちが痛いほどわかった。自分と同じ年齢の少年少女が平和な日常を送っている横で、迷宮に潜り続け生死を賭けなくてはならない日々の辛さは、秋人は誰よりもよく知っていた。
10月の3週目の週末は轟学園の文化祭開催日だ。
開催期間は土日の2日間で、月曜日と火曜日が振替休日となる。
秋人は開催1週間前はほぼ終電での帰宅だった。薫が心配して担任や美香に電話で確認をとったくらいである。
ちなみに秋人は走って帰れるので本当は終電より遅くてもいいと思っていたが、美香にそれはダメと止められていた。仕方なく秋人はこの1週間毎日始発で出かけていたため、薫は前日夜に弁当を作っていた。
「桜子さん、今日はご予定ありますか?」
朝食時、薫の言葉に桜子は首を傾げた。
「いや、今日はオフなんだ。週末に休みもらえるなんて久しぶり」
彼女は今日はどこに行こうかなと頭の中で計画を巡らせていた。映画、ショッピング、カフェ、公園でのんびりするのも悪くない…。
「それじゃあ、一緒に秋人の学校の文化祭に行きませんか?」
薫がチケットを取り出した。
「秋人が家族の分として、僕と貴方と当夜の分を申請したみたいです。よかったら」
「・・・・・!」
桜子は驚いて声も出ない。
「いや、あの他に予定があれば無理にとは…」
反応がなかったので薫は慌てたが、桜子はもっと焦った。
「いや、ちがう!嬉しい!ありがとう!すごく嬉しい!行ってみたかったんだ!!」
きっと秋人は先日の自分の話を覚えていたのだろう。
チケットを見て感動している桜子に薫は少々驚いた。
「家族チケットを申請する期限が過ぎていて用意できるか分からなかったので、ぎりぎりのお知らせになってしまってすいません」
薫がすまなさそうに頭を掻いた。
秋人から桜子を文化祭に招待したいと聞いた時は、アークエンジェルのエースを高校生のお祭りに呼んでもいいのかどうか若干悩んだが、秋人はなんとか先生に交渉してチケットを一枚増やしてもらってきた。どうも一馬にお願いして学校側に圧をかけてもらったらしい。彼が権力を使ってルールを曲げるというのはとても珍しいことだった。だから、よほどの理由があるのだろうと薫は敢えて聞くことはなかった。桜子のただならぬ様子を見て、薫は秋人の判断は間違ってなかったのだと思った。
「ギリギリになっちゃったから、もし桜子さんのスケジュールが空いてなかったら出さないでね」
と昨晩薫の部屋にこっそり渡しに来た。秋人の心意気が無駄にならなくて済んで、薫はホッとした。
「えっと、どんな格好で行けばいいかな。お母さんみたいな感じ?」
桜子は一応秋人の家族という扱いなのでそう言ったのだが、薫は苦笑した。
「いえ、私もあなたも秋人の親にはちょっと難しい年齢ですね」
「それもそうか」
桜子は先走りに照れ笑いを浮かべた。
「そうですね…秋人の年の近い叔父さんと叔母さんってとこですかね」
「なるほど」
分かった!と言って彼女は自室に準備をしに戻った。
女性の準備は時間がかかるだろうと、薫はのんびり朝食の後片付けをしていたが、15分もしないうちに
「お待たせ!」
と現れたので薫はびっくりした。トレードマークのポニーテール、紺色のブレザーにブルーのストライプのシャツ、デニム姿である。
「…車で行くのでそんなに慌てなくていいですよ。あと、ちょっとだけ変装してください。それだと思いっきり霧崎桜子だってバレます」
出てきた桜子の姿を見て薫が言うと、彼女は真っ赤になった。
「ごめん!」
慌てて着替えに走る彼女がいつもの雰囲気より年下に見えて、薫は「可愛いなぁ」と眺めていた。
そんな風に異性に思うのは何年もなかったことに後から気が付いたが、この時はさして不思議には思っていなかった。
桜子「授業参観とかお母さん来たことないから憧れてます」
薫「…お母さんみたいな格好でもいいですよ」
当夜「や、そこは自分が来てもらう方に憧れてるのでは」




