19. 謎
遊馬はとぼとぼと病院の廊下を歩いている。祖父は朽木が経営している病院のICUに入っている。アークエンジェルの回復魔法師リサが大急ぎで駆けつけてくれるまでの応急処置だ。瀕死の重傷ではあるが、おそらく助かるだろうということだ。
反対に秋人はまったく目が覚めない。こんこんと眠り続けており、薫が付きっ切りで看病していた。その美しい横顔には疲労がにじみ出ているが、誰が何といってもそこを動こうとしなかった。
「遊馬!」
当夜が傍らに美しい女性を連れて病院の廊下を歩いてきた。
「庄司リサさん。アークエンジェルの回復魔法師だ」
「初めまして。よろしくね」
リサがにこりと笑うが目が笑っていなかった。己の失態をおそらく全部しられているのだろう。居たたまれなかった。以前の遊馬なら誤魔化して逃げていただろうが今は違う。
「この度は遠いところ祖父の為にわざわざ来てくださってありがとうございました」
深々とお辞儀すると、リサは少し表情を和らげた。
「病室に案内してくれる?」
「はい」
大きく頷く遊馬に当夜が尋ねた。
「秋人は?」
「まだ目が覚めないって」
しゅんと俯く従兄の頭を、当夜はガシガシと撫でた。
「あいつは頑丈だから、心配すんな」
「・・・・・・・・・・」
涙を堪えて一つ小さく頷いた。
「代わるわ」
桜子がペットボトルの栄養ドリンクを持参して秋人の傍らに座る薫に声を掛けた。
「あなたがそんな顔色じゃあ、秋人が起きたらきっとすごくショックを受けるぞ」
桜子の言葉が耳に痛い薫は、黙って彼女からドリンクを受け取った。
「ここにいたい」
子供のような薫の言葉に桜子はため息を付く。
「サブベッドを入れてもらうからそこで寝なさい。私が見ておくから」
「・・・・・」
「殴って気絶させられるのと、おとなしく寝るのとどっちがいい?」
桜子の脅しに渋々薫は頷いた。
設置してもらった簡易ベッドに横になりながら、薫はポツリと桜子に言う。
「桜子さん、ありがとう」
「どういたしまして」
彼女は肩を竦めた。
「桜子さんは、あの光の中で何か見た?」
「え?」
桜子が聞き返すも、返事を待たず薫は寝息を立て始める。
あの騒動からおそらく一睡もしていない彼の顔色には深い疲労の影が落ちている。あの祝詞は秋人の膨大な魔力を空にするほどの呪文だったが、薫も最大魔法を2回連続で撃つという荒業を披露しており、その魔力回路がガタガタなのが見て取れた。
「リサが着いたみたいだから、後で少し薫さんも診てもらおう」
ため息を付いた。
秋人が目覚めたのは昏倒してから5日後のことだった。どうやら魔力のフルチャージにそれだけかかったらしい。
「何も覚えてないみたね」
桜子の言葉通り、秋人は自分が巌よりも長い祝詞を唱えたことも、その事でダンジョンがなくなったこともまったく覚えていなかった。
「ごめんなさい」
秋人が思わず頭を下げた。
「薫の魔法で見せてもらったら思い出せるかも」
と秋人は言ったがそれについては皆があまり乗り気ではなかった。
あの祝詞がどのように作用するか分からないからだ。映像とはいえ秋人の声が入っている状態でそれが流れた場合、もしもまた魔力を大量に消費することになったら今度こそ秋人の体を損なう可能性が高い。
「まあ、とにかく今回の件はここだけの秘密だな」
薫は深々とため息を付いた。
呪文一つでダンジョンを閉鎖できるなどということが分かれば、秋人は世界中からひっぱりだこになる。しかし、その為には相当の魔力が必要になり秋人自身を損なう可能性があるとなれば話は別だ。おまけに秋人はその手段をまるっきり覚えていないのだから。
「巌さんは?」
秋人が尋ねると桜子が困った顔をした。
「うん。怪我はまあまあ治ったんだけど、流石に多すぎてね。片腕は戻せなかったの」
リサがしゅんと項垂れた。
「ごめんなさい。欠損を復活させる魔法って当事者の体力をかなり消耗するのよ。巌さんは瀕死の重傷だったから、足と目だけで精一杯だったの」
腕が欠けた以上、巌はもう探索者稼業はできないだろう。
「そんな!父を助けていただいたのにそれ以上を望むなんて罰があたります」
一馬が慌ててリサに詫びを入れた。
「それに、うちのダンジョンはもうないので、父が余生を送るのには、むしろよかったですよ」
一馬は小さく笑った。泣き笑いのような笑顔だった。
巌は傍らの妻の顔を見ながら呟いた。
「なんだか、夢のようだな」
「ええ、本当に」
彼の妻は朽木家の分家出身で、その呪われた運命も分かって嫁いできた。巌は死を覚悟していたし、己の身の上はそういうモノだと諦めていた。
これから先、うんと長い人生があり、好きにしていいのだと言われてもピンとこなかった。
「私、貴方に言ってなかったことがあるんですが、聞いていただけますか?」
奈美は静かに語る。巌は取り戻した視界に妻の美しい姿を見つめながら頷いた。
「私、本当はあなたのお兄さんの許嫁だったじゃありませんか。あなたはずっと私が彼のことを好きだと思っていたでしょう?」
「知ってたのか」
巌がそっと目を閉じる。
「でもね、これは貴方には絶対に言わないつもりだったんですが、私はもうずっと幼い少女の頃から、好きだったのは貴方でした」
「え?」
あまりにも意外な言葉に巌は思わず目を見開いた。
「貴方のお兄さんの婚約者だった頃から、私が好きだったのは貴方だったんです。私、あなたと結婚できてとても幸せでした。」
「なぜ言わなかった?」
巌は茫然と呟く。
「だって、あなたがいなくなることは決まってたから。未練になるじゃないですか。私があなたを愛していないと思った方が、あなたは逝きやすいかと思って」
少しでもあなたが心を痛める原因になりたくなかったのだと彼の細君は告げた。
「馬鹿だなあ」
「ええ、本当に。」
気丈な妻が泣き崩れる。
「どこにもいかないでください。私を置いて」
「ああ、ずっと傍にいる」
妻は死ぬまで言う気がなかった願いを夫に初めて打ち明けた。巌は片腕でしっかりと妻の体を抱きしめた。
薫と秋人は最後に閉鎖されたダンジョンを二人で歩いた。
そこはもう魔法的な空間ではなく、古い洞窟のようだった。今までダンジョンは閉鎖したら影も形もなくなったがここは入り口がまるで洞窟のようなものになり、奥まで迷路が続いているが消えることはなかったのだ。
「魔法は?」
「ないみたい」
迷宮探索を秋人が唱えても反応しなかった。ダンジョンがただの洞窟になったのだ。しかも、採掘していた資源はまだ残っていた。おそらく掘りつくせばなくなってしまうので、通常のダンジョンのように無尽蔵というわけにはいかないが、すくなくてもあと何十年かは朽木家を支えてくれるだろう。
「本当に何も覚えてないのか?」
「うん」
秋人は困った顔で首を傾げた。
「なんか、巌さんが唱えた祝詞が昔お母さんが歌っていた子守唄に似てるなって思ったところまでは記憶にあるんだけど」
不思議な節のついた旋律だったことは覚えているが、今はもう曖昧で口の端に載せることもできなかった。
薫は祭壇のあった場所で黙って立っていた。
「ここでさ、俺見たんだ」
「何を?」
秋人が尋ねると、薫は少し躊躇った。
薫はあの時の青年の姿をもう一度見ようと審判の眼で再現を試みたが、彼は映っていなかった。まるで幻でも見たと言わんばかりだ。
しかし、薫は確かに見たのだ。あの痛みさえ伴うような喪失感と共に彼の寂しそうな、それでいて懐かしそうな笑顔を思い出す。
「薫?」
青年と同じ場所に立って秋人が振り返る。
それでようやく薫は分かった。
あれは、秋人だったと。
桜子「リサ、大変なんだけどちょっとみて欲しい人が他にもいて…」
リサ「いや、まずはあんたでしょう。肩脱臼したの自分で入れてるし、魔力回路ガタガタじゃない」
桜子「いやいや、私なんて軽傷軽傷、あっちの病室に…」
リサ「当夜くん、ちょっとその子押さえてて…ここで治しちゃうから」




