17. 巌
それなりにまあまあいい人生だったな…と巌は光に包み込まれながら思った。
朽木の当主は本来は兄が成る予定だった。自分は予備の冷や飯食いで、長男とはずいぶん差をつけて育てられた。しかし、その事に不満はなかった。何しろダンジョンに食われるための当主だ。
当主は死ぬ間際にダンジョンの祭壇に赴きその身を捧げる。墓には空の棺桶が埋められる。病魔に冒されたり、死ぬような怪我をして動けない場合は、一族がここまで運んできて魔法陣に投擲されるのだ。地獄だと思った。
そんな死に方をしなくていいなら、兄よりおかずが一品少なかろうが、誕生日祝いの品の値段が違おうが構わなかった。
自分はいつか分家を形成するか、どこかに婿入りして家族を成し畳の上で死ねるのだ。それだけでも御の字であると巌は思っていた。
それが大きな間違いだと気が付いたのは、兄が東京のダンジョンへ赴くという話が出た時だった。
「何言ってるんだ、兄さん。兄さんは跡取りで朽木の当主になる男だろ。他所のダンジョンになんか関わっている場合じゃないじゃないか。行くなら俺が行くよ」
そう告げたが兄は静かに首を振った。
「当主は俺じゃない。姉貴だ。俺はあまり力が強くない。祖父の代に只人の嫁を貰ったのが失敗だったな」
兄の言葉に巌は愕然とした。兄は蔵の主を満足させられるほどの力をもっていなかったのだ。案の定、彼は東京で命を落とした。たかが、Bランクのダンジョンも征伐できない程度の力しかなかったのだ。
巌はその事に初めて気が付いた。
そこからは地獄だった。まだ20歳になったばかりの巌に重圧がのしかかった。そして、彼の父親がまるで全然関係ないダンジョン外の事故でなくなり、その身を祭壇に捧げることができなかった。その所為で荒れたダンジョンを鎮めるために、姉が犠牲になり、次が自分だ。
悪くない人生だと思ったのにはいくつか理由があった。
祖父や父のダメさ加減に嫌気がさしてずいぶんと改革を行った。旧家の弊害を排除し企業としての組織運営を試みた。自分の片腕になってくれるような親友にも恵まれた。未だ昔の特権が忘れられない老害は残っているが、そのうち排除できる道筋は立てた。
外の世界の探索者とも懇意になれた。中でも秋人の両親との冒険は、年甲斐もなくわくわくする面白いものだった。それまでの朽木家の跡取りとしてではなく、一探索者として腕を競い、アイデアを模索するのは、蔵の犠牲でしかない人生のひと時のオアシスだった。
これで、息子や孫は祭壇に捧げられることなく普通に死ぬことができるだろう。孫に至っては探索者にすらならなくて済むのだ。
「好きなことをして、なりたいものになればいい。」薫は常に秋人にそう言うと聞いてから、巌の心の中にはずっと蔵を締める考えがあった。
自分の家族だけを大事に思って申し訳ないと先祖に思う。しかし、もう十分戦ったではないかと。自分が最後にこの身を捧げるからどうか許してほしいと願う。愛する息子と孫にはどうか真っ当な人生を送ってほしいと願う親の何が悪いのだ。
「ぐうっ」
生きたまま魔法陣に身を捧げるのは地獄の苦しみだと聞いた。全身が徐々に切り刻まれていくが、気絶することも死ぬことも許されない。ひたすらに魔力を放出し、対価を払わねばならない。
姉の婚約者は彼女の最後を見届けるために、祭壇までついていったという。彼は発狂して今でも精神病院に入院している。姉の血で染まった花嫁衣裳を未だに抱きしめているという。
凍り付いたように動けない息子と孫に笑って見せた。なんてことはないのだという顔をするのが、最後の親、祖父の務めだ。自分たちがぎりぎりでこの最悪の運命から逃れられた幸運を噛みしめて、以降の人生を大切に生きていってほしいと巌は願った。
祝詞を唱える。蔵の主への契約の証を謳うものだと先祖代々から伝えられている。これを唱えることができなければ、当主にはなれない。おそらく一馬には無理だろう。兄も出来なかったのだろう。姉と自分が最後だ。
【かしこみかしこみ申す。
天つ高原におわす、
いと高き神々の…のもとに
水を…り、風に舞い、土を…め、火を謳う
この世の終わりに宿る…よ
今ひとたび扉を開き、
我が前に…を拓け】
【偉大なる…のもと
異能の同胞の…をこの…に運び
弱き…を導き給え
力なき同胞を憐れみ給え
我が血と肉を…に
永遠の時の…に
導き給え】
巌の唱える祝詞に合わせて祭壇の前に大きな影が現れた。
「龍…」
遊馬が呟く。それは見たこともない巨大な白龍で、秋人でも思わず絶句するような魔力を秘めていた。
「封印ができれば、龍は倒せます。そのまま、迷宮核を破壊して蔵を締めます」
一馬は涙を流しながらそう告げた。朽木の責任を最後まで父一人に負わせた不甲斐なさに歯噛みする思いだった。
「おねがい…お願いします」
震える声が迷宮の壁に木霊した。
「おじいちゃんを助けて、お願いします。お願いします」
「遊馬!!」
秋人の服を捕まえて縋る息子を一馬が引き離すが、遊馬はその手を離さない。
自分の所為で大好きな祖父が死ぬのだ。あんな恐ろしい死に方をするのだ。本来なら主は封印された状態でSランクのメンバーで簡単に倒すことが可能だった。祖父は死ななくて良かったはずだったのだ。
笑ってみせてくれたが、それがけして真実ではないことくらい、いくら子供の遊馬にだってわかる。吹きだした血の量はおそらく致死量だ。あんな怪我をして笑えるはずがないのだ。
「お願いします!おじいちゃんを助けて。僕が馬鹿だった。ごめんなさい。蔵なんてどうでもいいから、おじいちゃんを助けて!」
酷いわがままだと分かっている。でも目の前のこの人に縋るしか遊馬にはできない。自分が最悪の形で裏切った人だというのに。今の自分がどれほど醜悪な姿かなど百も承知だった。それでも、どうしても諦めきれない。
「お願い、おじいちゃんを助けて!!」
秋人は遊馬の手をそっと握って自分の服から離させた。絶望感にあふれた顔で遊馬は秋人を見上げたが、そこには優しい、ただ本当に優しい瞳だけがあった。
「大丈夫。まかせて」
秋人はそう言うと最大限に防御魔法を展開して駆けだした。
薫「・・・・・・・・・・・」
当夜「言いたいことは分かるけど、今は抑えて」
薫「・・・・・うちの子優しすぎん?」
当夜「ヒーローなんで」




