16. 犠牲
秋人はしばし茫然と佇んでいたが、遊馬の怪我を見て我に返った。治療のために近づこうとしたが、遊馬が恐慌状態でそれを拒む。
「わかった。近づかない。これを飲める?」
秋人は収納魔法からエリクサーを取り出し、地面に置いた。
「これ飲んだら怪我が治るから、ね? えっと、毒見した方がいいかな?」
秋人が恐る恐るそうささやくと、遊馬は蹲って動かない。酷い怪我なので本当は無理にも飲ませた方がいいのだろうが、どうしても秋人は遊馬に近づくことが出来なかった。
やみくもにオロオロしていると、背後から声がかった。
「秋人!!」
頼もしいその声に安堵のあまり、秋人は膝から崩れ落ちた。
「薫、当夜、遊馬くんに薬飲ませてあげて」
血まみれの床に膝を付く秋人の傍らに薫が立ち、彼を支えた。
「当夜」
「うん」
薫の呼びかけに当夜が遊馬の治療にあたる。
「…人間は何持ってるかわからないから手加減できなかった」
悲しそうに秋人が告げる。おそらくは間一髪だったのだろう。秋人は瞬時に殺す判断をした。モンスターならどんなスキル、どんな魔法でくるか事前に分かるが人間は個々で能力が違うのでどんな攻撃がくるか読めなかった。
遊馬を至近距離で押さえられている状況で、気絶させたり怪我させて動けなくするなどという呑気なことはしていられなかったのだ。
「うん。秋人がそう判断したならそれしか無理だったはずだよ。ごめんな。俺がもうちょっと足が速かったら追いつけたんだが」
薫が秋人の頭を抱きしめて言う。
薫が追い付いていれば審判の日で連中の動きを止められただろう。しかし、おそらく薫を待っていたなら遊馬は殺されていた筈だ。そういうタイミングでなければ今の秋人が彼らを殺す判断をすることはなかったということは薫には嫌というほど分かっていた。
秋人の手がぎゅっと薫のシャツを掴んだ。まるで何か縋るものを探すような必死さだった。
「うだうだするんじゃない!!」
突然強い女性の声がして薫と秋人は飛びあがった。
「桜子さん…」
秋人が声の主の名前を呟く。
「探索者は人より強い能力を持っている以上、その力は人のために使わねばならない。私利私欲に溺れれば簡単に我々はモンスターよりもっと質の悪い存在になるんだ。君のやったことは間違ってない。胸を張れ」
桜子の言葉に秋人が顔を上げる。
「とはいえ、君の善意のおかげで首が繋がった私が言う言葉ではないかもしれないがな。君の判断は妥当だ。堕ちた探索者ほど厄介な敵はいないからな」
「…はい」
秋人の返事に桜子はニコリと笑った。しかし、その隣で固まっていた薫に対しては非常に冷徹な表情で告げる。
「頭を撫でてやるだけが教育じゃないぞ、弁護士」
桜子の言葉に薫は「はい」と小さく返事した。
その様子を見ていた当夜は「父と母の役割が男女逆転してる」と思った。
「遊馬!!」
遅れて一馬が飛び込んできた。血濡れの息子を見て絶句していたが、当夜が返り血であることを告げるとホッとした。
「秋人くん、息子を助けてくれてありがとう」
一馬が大きく頭を下げた。
「いえ、その…怖がらせちゃったみたいで、すいません」
秋人が何とも言い難い顔でそう告げる。一馬はその言葉に首を傾げて遊馬を見た。
遊馬は答えられず俯く。ようやく周囲に知っている人が現れて少し落ち着いたのだ。
さきほどの自分の暴言は許されるものではないと分かっていたが、謝罪の言葉が喉の奥に引っかかって出てこなかった。だって、本当のことだ。本当に恐ろしかったのだ。自分は嘘は言っていない。でも、それが通じないのは分かっている。
秋人との間に何があったのかおおよそ見当がついていた薫は小さくため息を付いた。
「詳細は後にして一端戻りましょう。この状況に子供を置いておくのはよくない」
彼の言葉に一馬も頷く。しかし、それは少し遅かった。
低い地鳴りが響きだす。
「誰か陣に触れたのか」
巌の低い声に遊馬がびくりと肩を揺らした。さきほどの連中の中の一人が指を突っ込んだと小さな声で説明すると、巌の顔色が変わった。
鳥居の前の魔法陣が暗い光を放ちだした。
「まずい、封印が弱くなってる」
一馬の言葉に合わせるように、魔法陣の輪郭がぶれだした。地鳴りが激しくなり、周囲に瘴気があふれ出す。
「一馬さん、ひとまず遊馬君を外へ」
秋人がそう言い放つ。彼は既に両手に双剣を顕現させている。桜子も刀を構え、薫も杖を取り出していた。
「今から巨福呂坂ダンジョンを征伐します」
秋人の言葉に桜子が頷く。
「アークのみんなを呼び寄せる時間がなかったのが悔やまれるな」
桜子が苦く笑う。
「どのみち、閉じるつもりだったし、手間が省ける」
薫がそう嘯くと桜子も頷く。しかし、その言葉に遊馬が反応した。
「どうしてダンジョンを閉鎖するなんて言うんだよ。なんでだよ。そんなことになったらうちが困るじゃないか!!」
「遊馬!!」
驚いて一馬が息子を厳しく窘める口調で名前を呼ぶ。
「余所者が口出しするなよ。ここはうちのダンジョンだ!!」
「遊馬!!いい加減にしなさい!!」
甲高い音が鳴って、一馬が遊馬の頬を殴った。遊馬は地面に転がってしまった。彼はびっくりして父を見上げた。稽古ではない場面で父に殴られたのは生まれて初めてだった。
「お前はどれだけ皆に迷惑をかけたのかまだ分かっていないのか。その上、これだけの人がうちのダンジョンの為に協力してくれているありがたみも分からないのか!?蔵が…巨福呂坂ダンジョンがブレイクしたら何万という死者がでる。それを防ぐために、それこそ余所者である彼らが命をかけると言ってくれているんだぞ!お前は朽木の人間としてそれも理解できないのか!?自分の事しか考えられない情けない男なのか?」
「だって…」
遊馬にとって巨福呂坂ダンジョンはアイデンティティそのものだった。それがなくなった時の自分の姿など考えられなかった。父の言いたいことは百も承知しているが、それでも認められなかった。
「だって、ダンジョンがなくなったら、もう朽木は終わりじゃないか…」
俯き泣き崩れる息子に一馬は深くため息を付いた。
「お前の教育をまかせっきりにしてたのが間違いだったな。」
おそらく、強欲な母方の親戚筋にでも言い含められていたのだろう。ちやほやされていい気になっていたことにも気が付いていなかった。ダンジョンの供物になるかもしれない一人息子を憐れに思って甘やかしたツケを払う時がきた。
「そうだな」
ぽつりと封印の一番近いところにいた巌が口を開いた。その言葉に味方がいると思った遊馬は顔をあげたが、ひどく冷たい目をした祖父がじっと遊馬を見ていた。その目の冷徹さに遊馬は身を縮こまらせる。
「お前の言う通り、国の宝であるSランクの探索者を我らが朽木のわがままで危険にさらすわけにはいかん。」
「親父!」
一馬は巌が何を決意したか分かって狼狽えた。
「封印を再度試みます。そこからの閉鎖でしたらお三方なら楽にできるでしょう」
巌の表情は静かだった。しかし、その表情は死を覚悟したものであることを皆理解していた。
魔法陣がすでに崩壊を開始している。周囲の瘴気からモンスターは出現しようとしていた。
「一馬、後を頼んだぞ」
巌は崩れかけている封印に手を翳すようにしてそう囁いた。
魔法陣から光が巌を飲み込むように大きく溢れだした。
「おじいちゃん!!」
遊馬の叫ぶ声が祭壇に響き渡る。
巌は光の渦を押しとどめるように魔法陣に対峙していたが、その姿はすぐに鮮血で見えなくなった。彼の片腕が吹き飛んだのが見えた。
「巌さん!!」
秋人の声が木霊した。
当夜「先生がお母さんで、桜子さんがお父さんって感じだな」
桜子「聞こえてるよ」
薫「聞こえてるぞ」




