11. 探索者ギルド日本支部の一番長い日 10:00
その日、探索者ギルド日本支部に激震が走った。
まさにギルド本拠地が物理的に揺れるほどの一大事だった。
「ギルドマスター…」
秘書が傍らで震えている壮年の男に呼びかけたが、男は咄嗟に声も出なかった。
「如月秋人の引退届を国際探索者連盟が受領した」
その一報がもたらした破壊力はすさまじいものだった。
まさに阿鼻叫喚。上を下への大騒ぎである。
「誰か、今すぐ確認を取れ!」
息を吹き返したギルドマスターの坂田が叫ぶ。
秘書官が慌てて電話に向かった。別の者がパソコンにとびかかる。いつもは泰然として落ち着いたリーダーらしい雰囲気を醸し出している坂田だったが、さすがに平静ではいられなかった。
「まだ外部には漏らすな。一報はまだ公になっていないな」
男はそう怒鳴りながら、内線に手を伸ばした。
「赤城誠を呼べ!如月の担当の赤城をここへ連れてこい!!」
探索者ギルドとは、平たく言えば探索者のまとめ役の団体だ。
独自のルールを持ち、特殊能力と鋼のメンタルの持ち主である探索者たちを、規律で縛り、報酬で釣り上げ、一定の範囲を逸脱しないように監視する組織である。
各国に支部があり、基本的には国家単位で動いている。探索者ギルドがあるから探索者の権利は守られる。そうでなければ、国家が彼らを使いつぶしてしまうからだ。
特に貴重な高位の探索者は、ダンジョンへの派遣や特殊な依頼を受けさせるために常にギルドがある程度の人数を確保したい貴重な存在だ。
そうして国家の願いを聞くことで、探索者ギルドは大きな権力を持っていた。ある意味、探索者ギルドの力は国家権力を凌駕することもある。
しかし、黎明期には国家とギルドが結託して探索者の人権を踏みにじる事案が多く発生した。
そのことを受けて、国際探索者連盟はあらゆる国家から独立した存在として、発足した。
国家からの虐待から逃げてきた探索者を保護する役目を果たすために、高位の探索者やその家族、引退した有名な探索者などが設立した超法規機関だった。
国際探索者連盟への訴えが通ると、まず該当の国家支部へ連絡がいく。
国際探索者連盟はこの時点で調査はほぼ終えており、訴えが受領されたという知らせが支部へ来た場合、支部に100%勝ち目はない。
探索者側の虚偽の場合や、双方に悪い点がある場合は、一報ではなく調停のお知らせが来るのである。
支部が悪い場合、態度を改め相手への補償を行い、自らの非を詫び、該当者に許しを得ることができればこの一報は破棄される。しかし、もし探索者から許しを得られなければ、この一報は公になり、最悪の場合国際探索者連盟からその国の支部は除名される。
それは「この国家は探索者を大切にしません」と世界中に喧伝されるということである。
その時点で、ありとあらゆる国が除名国に所属する探索者や有能なギルド職員の引き抜きを始める。
暗黙のルールとして、違う国家への探索者やギルド職員のヘッドハントはしてはならないことになっているが、排除された支部は別である。
ありとあらゆる条件や報酬をもって、世界中の国からスカウトにやってくる。
それを止めることは国家権力といえども不可能なのだ。
食い荒らされた国家が、ダンジョンの崩壊を止められず滅びたこともある。
今、日本は崖っぷちに立っていた。
ギルドマスター坂田は知っていた。
彼らが誇る3Sランクの探索者がいかに美味しい金儲けの飯のタネかということを。
自分たちが、まだモノを知らないあの少年を騙し、欺き、搾取してきたことを。
それらを直接的にしていたのは、部下の赤城だったが、坂田もその恩恵にあずかって長かった。じわりと、不安が坂田に押し寄せてきた。
太った体を目いっぱい縮こまらせて、赤城がギルドマスターの部屋に入ってきたのはそれから15分後だった。
「遅い!何をやってた!如月はどうした!!」
部屋に入るなり怒鳴られて赤城誠は不満げに顔を歪めた。
「あの小僧を探していたんですよ」
親の借金があるからとダンジョンで得たドロップ品や報酬、依頼の品をほとんどすべて横領してきたのは、赤城と坂田である。
まだ幼く世間を知らなかった少年を言いくるめ、時には暴力をふるって言うことを聞かせていた。3Sランク探索者などと世間がほめそやすたびに、笑いがこみあげてきて仕方なかった。
あんな小汚い薄汚れた小僧をありがたがって何になると。
ダンジョンで戦うしか能のない、何もできない子供だった。
学校にもほとんど通わせなかった。
他のギルド職員も近づけなかった。
地底を這いずり回り、金を稼いでくるしかできない低能。
ただ、ちょっと力がある頭の悪い少年を、自分たちが国家やギルドの役に立つように使ってやっている…そんな考えだった。
「ここへ今すぐ連れてこい。折檻してやる」
「ギルマス、声が大きいですよ。誰かに聞かれたら大変だ」
坂田の怒鳴り声にうんざりしながら赤城がたしなめた。
「くそ、一体どうなってる。誰の仕業だ。アメリカか?」
爪を噛みながら坂田がぼやく。
「いや、まだうちの支部が排除されたわけではありませんから、ヘッドハントはできないはずです。
おそらく学校で誰かに入れ知恵でもされたんでしょう。愚か者には制裁を受けてもらいましょう」
赤城が嘯く。
秋人への扱いはSランク探索者への信望が強いギルド内ではあまり知られていないが、国会の内閣総理大臣や災害本部長など一部の議員は知っており、一連托生だった。
「しかし、国際探索者連盟への訴状の提出は、かなり法的な知識がないと難しいと聞いていたが…」
坂田が眉を寄せる。中学校の職員などで行えるレベルのものではない。
ある意味国家を訴えるのだ。
それ相応の知識が必要だし、正式な書式と証拠、証言がいる。
そして、そういう物を揃えるには、えてして大きな金がかかるのだ。
如月少年は生きていくのにぎりぎりの金しか持たせていない筈だった。
しかし、最近生意気な目つきをするようになったと赤城は思っていた。
証拠隠滅のため、次にSランクのダンジョンが発生したらソロで突っ込ませようかと坂田と相談していたくらいであった。赤城は舌打ちしたい気分だった。
せっかくの自動で金が舞い込んでくるシステムに、傷をつけたどこかの誰かにはそれ相応の報いを受けさせるべきだと思った。