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3S探索者の代理人  作者: かんだ
第七章 代理人、夏休みを取る
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9. 加藤

 薫が加藤哲也と知り合ったのは、大学の教授の推薦からだった。

 在学中に司法試験に合格していた薫はどこかの事務所でのインターンを希望していた。そこでゼミの教授が薫に勧めたのが加藤法律事務所だった。当初薫は難色を示した。もっと大きな事務所で大きな案件に携わりたいという思いだったが、教授は

「加藤先生は今の君に必要な人だと思うよ」

 と告げた。他への推薦はしないと頑なな教授に頭を抱えながら、薫は泣く泣く加藤法律事務所へ向かった。


 そして、実際教授の判断は正しかった。


 この頃の薫は若干人に対する信頼を失っていた。

 家族も親類もない天涯孤独の身の上にも関わらず、それなりの財産を持ち、人並み外れたルックスだった薫は、あまりにも孤独だった。

 人当たりもよく、実力もあり、普通なら同性には遠巻きにされがちな境遇なのだが、どういうわけか薫の周囲には男女ともに人が多かった。

 しかしその頃、立て続けに友人同士の恋愛トラブルや金銭トラブルに巻き込まれたこともあって、誰も彼もが自分を利用しようと近づいてくるように思えて、自分は一人でもやっていける、誰にも頼る必要はないという気持ちが強くなっていた。


 そんな中、出会ったのが加藤哲也だった。


 彼は明るく天真爛漫で人情深く誠実な男だった。薫の容姿を

「お人形みたいに整った顔だな」

 と感心するだけだったし、むしろ薫の家事能力が高いことの方を喜んでいた。


 加藤は人情家な半面、情け容赦ない法律家な部分もあり、有能で頭の切れる男だった。

 彼は、かかわった依頼人をとことんまで面倒をみるために、面倒ごとに巻き込まれ怪我したり、大損したりも日常茶飯事だった。そして、そのことに一切の後悔も恨みもないのだった。

 薫は

「この人は放っておけない」

 と思った。自分が案外世話焼きなのもこの時知った。

 朝の弱い加藤を起こすところから始まり、朝食を作り掃除、洗濯をしているうちに、夕飯まで作り、晩酌に付き合ってそのままソファで居眠りなどが日常茶飯事になり、いつのまに加藤の住居の一角に「薫の部屋」と書かれた紙が貼られていた。


 そして、大学を卒業しても、結局加藤の事務所に薫はいた。

「薫がいなくなったら俺は生きていけない」

 という加藤の泣き落としに陥落したのだ。しかし、その言葉は半分嘘だ。加藤には真摯に世話を焼こうとする人など五万といただろう。彼に感謝して、一生かけて恩を返すと思っている依頼人が山のようにいることを薫は知っていた。

 おそらく、天涯孤独で家族のいない薫のために、ここにいてもいいのだと思わせるための加藤の言葉だった。



 いつの間にか、薫にとって加藤は師匠であり、父であり、祖父であり、かけがえのない家族になっていた。婚約を伝えた時も大いに喜んでくれた。

 薫にとって、加藤はようやく掴んだ「絶対に失いたくないもの」だった。


 それが、ある日突然失われた。


 薫が少し遠くのクライアントの為に3日ほどの出張から帰ってきた日のことだった。事務所の上にある自宅に帰ったものの加藤の姿はなかった。

「あれ?先生?事務所かな」

 加藤が薫がいないところでかなりの無茶な仕事をやっていることには気が付いていた。いつか、その半分を任せてもらえるように努力していた。

 だから、今回も予定より半日ほど早く帰ってくることができたのだ。すでに深夜というような時刻だったから、てっきり自宅にいるものだと思っていた。驚かせようと思って連絡もなしに帰ってきたのに…と薫はやや肩透かしを食らった気分だった。


 薫は階下の事務所に向かった。しかし、薫の心臓は何故かどくどくと嫌な音を立てた。

 事務所の鍵が開いていた。

 所長室から明かりが漏れている。

 鼻を突く匂いが酷く嫌な記憶を呼び起こす。

 13歳の時、瓦礫の山になった故郷のいたるところに充満していた


「血の匂いが…」


 薫は震える手で所長室のドアを開けた。そこは血の海だった。

「先生!!!」

 悲鳴が己の口から上がるのが分かった。


 駆け寄った血だまりに中の人は、どう見ても尋常ではなかった。切り刻まれているというレベルを通り越していた。薫は助け起こそうにもどこを触っていいのか分からなかった。それくらい、いたるところが斬られ血を流していた。

「薫…か」

 恐ろしいことにこんな姿になっても加藤は生きていた。

「せ、先生!しっかりしてください、今救急車を」

 薫の手がポケットのスマホを取り出すのも難しいほど震えている。なかなかボタンが押せなくて、イライラした。


「すまない、薫。すまない」

 加藤の目はもう薫を見ることが出来なかった。そこに眼球がないのだ。だから、薫の声の方へ腕を差し伸べるしかできない。その指がほとんど断ち切られていることに薫は絶句した。

「だ、誰がこんな事を…!!」

 薫は血まみれの加藤に縋りついた。もはや時間がないことは明白だった。師の最後の言葉を聞くために、薫は彼の口元に耳を寄せた。


「すまない、薫。お前を巻き込んでしまう…すまない…」

 加藤のそれが最後の言葉だった。



 加藤哲也が死んだ。

 殺された。

 恐ろしい殺され方だった。

 という噂が瞬く間に法曹界に流れた。


 加藤の遺言状により薫が彼の全てを引き継ぐことになった。その事で薫が犯人なのではないかと口さがない連中が噂することもあったが、加藤の殺され方が尋常ではなかったこと、加藤がこの傷を受けて1日以上生きていたこと、その間薫が長期の出張でアリバイがあったことなどから、警察も薫が第一発見者であるという以外の印象を持っていなかった。


 加藤がこれだけの傷を負ってもなお生きていたのは、痛覚を無くす薬を歯に仕込んでいたからだということが解剖の結果で分かった。彼は襲われること、そして拷問をうけることを想定していたのではないかというのが、警察の見解だった。

 そこまで用心するような「話してはならない秘密」が加藤にはあったのだ。


 当然薫にその相手や原因の心当たりを聞かれた。薫には残念ながら心当たりがなかった。

 加藤はヤクザや指定暴力団、半グレなどの連中を敵に回した案件を引き受けたこともあったが、どういう訳か彼はそういう相手からも好かれていた。なので、殴られたり蹴られたりのレベルの暴力沙汰はあっても、こんな手段を使う相手は想像がつかなかった。


 ましてや、このやり口はそんなレベルのものではなかった。本格的な殺し屋、もっと言えば独裁国家などの軍隊の拷問吏のやり口だと、親しくしていた刑事は言った。


 薫は加藤の部屋や仕事机などを漁り、町中のありとあらゆるところを探しまわった。何かヒントはないか、何か手掛かりはないかと。仕事もそっちのけで探し回ったが、ある日事務員の楠本に思い切り殴られた。

「あんたは、加藤先生から全部を預かったんだ。それを放り出して何をやってるんだい」

 と。


 薫はその時ようやく、自分の手の中にはまだ、残っているものがあったことを思い出した。加藤が大切にしていたものを自分が守らなくてどうするのだ。

 そこから、薫は自分を立て直した。

 その過程で自分が沢山の人に心配され、支えられていた事を知った。それらを薫に分からせてくれたのは加藤が残してくれたものだった。



 それでも、薫はどうしても忘れることが出来なかった。血だまりに沈む師の姿を。

「すまない、薫。お前を巻き込んでしまう」

 そう彼は言った。だから、おそらくはきっと敵にも解決していない何かがあるのだ。探し出して、絶対に見つけ出し、この手で必ず復讐をしてやる。


 そう薫はずっと心に秘めていた。

加藤「俺を捨てるのか?」

薫「いや、もうちょっと大きな案件できるような弁護士事務所が希望なんですよ」

加藤「ここまで俺を甘やかせておいて今更いなくなるとか酷いっ」

薫「ちょ、人聞きの悪いこと外で叫ばないでくださいよ」

加藤「人でなし!!こんな年寄りを見捨てるなんて!」

薫「あああああ、わかりましたよ」

加藤「楠本、録音したよな」

楠本「ばっちりです」

薫「えええええええええええ」

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