7. 道場
その辺りでようやく巌がやってきた。
「すまない、遅くなった」
慌てていただのだろう、道場着のままの登場だった。
「だから言ったでしょう。いついらしてもいいように稽古は本日はなしにしてくださいって」
奥方の指摘にぐうの音も出ないようだった。
「いや、しかし」
「しかしもだってもありませんでしょう。お客様の前ですよ」
「お見苦しいところを申し訳ない。ようこそいらした。ゆっくりしていってください」
当主のにこやかな挨拶に、それまでの空気が払拭されて秋人も薫もほっと胸を撫でおろした。
「お久しぶりです。朽木さんには先日はお手数をおかけしました。」
桜子がすっと頭を垂れる。巌も同じく礼を取った。
「いや、あれはもう私どもには何の功もなく。秋人くんと神崎先生のおかげですよ。だが、あなたが無事で何よりだった」
巌はニコリと笑う。
「うちの若いのもあなたと試合えるのを楽しみにしている者が多くて。見てやってください」
「私でよければ」
「ぜひ」
という会話の元、明日の道場での稽古が決まった。
「秋人くんも参加するかい?」
「いいですか?」
秋人が嬉しそうにしているところ、薫が少し困った顔をする。稽古をすれば秋人が普通の少年ではないことが知れるだろう。しかし、こんなに楽しみにしているのを止めさせるのもと悩んでいると、
「大丈夫です。先生。」
と巌はただ大きく頷くのだった。
夜は豪華な食事となった。巌の子供は三人いて、長男が一馬、次男が勝、長女が瑞樹という。長男、次男は結婚しており、次男は分家として独立している。長女の瑞樹は巌の秘書のような仕事をしていて、いまだ独身、27歳。
「神崎先生より1つ下です」
瑞樹はにこりと笑った。勝がため息を付く。
「姉は理想が高くてなかなか嫁の貰い手がなくて」
「どういう意味よ」
「兄妹喧嘩をしない」
弟と妹の間を長男が取り持つ。
さりげなく瑞樹の視線が桜子に合うと、ばちりと目が合った。
「私、負けませんよ」
どうやら宣戦布告をうけているらしい。桜子もニコリと笑った。
「僕も明日の稽古見に行っていい?」
遊馬が秋人の横に座って聞いている。
「僕は構わないけど、お父さんに聞いて」
すっかり秋人に懐いたようで、傍から離れない。秋人は自分より年下の存在と関係するのが初めてで最初は戸惑っていたが、末っ子がお兄さん風を吹かせるようなもので、今ではすっかり遊馬のことを可愛がっている。
「お父さん!行ってもいいでしょ?」
遊馬のお願いに
「大人しくしていられるか?」
という一馬の返答。「はい」と大きく頷いていた。
子供たちのやりとりを眺めながら、チラリと巌は薫に目線を送る。薫も小さく視線を交わした。おそらく、この稽古の間にいろいろな話があるだろうと薫は察した。
「俺は見てても分からないから、部屋で読書でもしてるよ」
と薫が言うと、秋人も桜子もそりゃそうだなという顔で頷いた。
あくる日、朽木家の道場。
秋人は初めての和装に着替えさせてもらった。
「着方分からなくてすいません」
頭を下げる秋人に、聖夜が苦笑を零す。
「いや、着たことないから仕方ないよ。しかし、秋人くんは細いな。サイズが難しい」
聖夜はチラリと女性ものと子供用に目をやったが、秋人は見ないふりをした。
「道場も初めてです。裸足なんですね」
「うん」
きょろきょろとあたりを見渡す姿は年相応だ。道場にはそれなりに腕のたつ朽木家の探索者、あるいは探索者予備軍の若手がずらりと並んでいる。その中心に桜子と一馬がいた。
「お、似合うじゃないか」
桜子が秋人を見てニヤリと笑う。
「まごにもいしょう?」
秋人が言うと、あははと桜子は声を上げて笑った。
「ちょっと場面が違うと思うが…まあ、そんなとこかな」
道着に着られてるような風情の秋人と違い、こちらはしっくりと馴染んでいる。むしろ、探索者として着ているいつもの服より似合っているくらいだった。
「あの少年は誰だ?」
と囁き声が道場のあちこちから洩れた。道着を着ているのが不思議なような美貌の少年だった。
「一馬さん、魔法の展開はできますか?」
桜子が尋ねる。
「大物はご遠慮願いたいね」
一馬の答えに秋人が頷く。
「とりあえずは、初手は身体強化だけで」
「はい、よろしくお願いします」
作法にのった挨拶を交わす。これは始める時の挨拶を先に教えてもらっていたからだ。
「はじめ」
一馬の合図で、桜子と秋人が向かい合った。
秋人の構えはでたらめなので、周囲で見ている者は首を傾げた。自分たちへの稽古を差し置いて、この余所者の素人少年を最初に稽古相手に選ぶというのも面白くないという空気が流れる。
だが、次の瞬間、全員が息を飲んだ。
少年から発する気配が変わったのだ。お互いに一歩も動ないが、ぴんと糸を張ったような緊張感が道場を包み込んだ。
「なんだ?」
古参の探索者がゴクリと息を飲む。まるでダンジョンに入ったような気配だった。
「ふ」
と桜子が息を吐くと同時に秋人が仕掛けた。打ち込みは桜子の木刀に阻まれたが、返す一打、さらに一打と打ち込みが続く。ほとんどの者は太刀筋が見えなかった。
「速い!」
周囲の大人が唖然とする中、桜子が大きく踏み込む。秋人は綺麗にその打ち込みを木刀で流して見せた。力を使わない技で桜子の勢いを利用し、木刀を押さえにかかる。しかし、相手の方が一枚上手で、そこから角度を付けられ刀を返された。秋人は半歩下がってそれを避ける。さらに、桜子の二手、三手をステップで避けながら距離を取る。
「見えてるのか」
「あの速さで」
驚嘆の声が上がった。桜子の太刀筋は大半のメンバーには早くて見えない。秋人は確実に見切っている。が、不意に秋人の体が沈んだ。
「え?」
桜子が思わず間抜けた声をあげる。
「いたたた」
秋人が袴の裾を踏んで転んだのだ。想定外だっただけに思い切りよく転んだらしい。
ぺしっと桜子の木刀が秋人の頭の上に軽く落とされた。
「君は時々足元が疎かになるなぁ」
「すいません」
流石に秋人も恥ずかしかったのか赤くなっている。
「少し彼には袴のサイズがあってないんですよ。うちにあるのでそれが成年男子用では一番小さいのですが」
聖夜の言葉が地味に秋人にダメージを与えていることに、兄は気が付いていない。当夜は心の中で秋人に謝った。朽木家の一般人が大きいだけです。ごめんなさいと。
秋人「袴ってアレですよね、でんちゅうでござる?」
聖夜「うーん、突っ込みどころが分からないがとりあえず弟に事情を聴くべきかな」
当夜「冤罪いいい」




