4. 歓迎会
引っ越しの片づけが終わった頃、ちょうど秋人が帰ってきた。
「あ、こんにちは。康子さん、桜子さん」
秋人がぺこりと頭を下げる。
「丁度良かった。秋人、当夜呼んで?康子さんもよかったら一緒に夕飯どうです?」
薫がにこやかにそう告げる。神崎家の冷凍庫は現在キャパオーバー気味なので、できれば鎌倉にいくまでに消費したいのが、薫の本音だった。
パーティーのエースの生活環境が気になったアークエンジェルのリーダーは
「お言葉に甘えます」
とほほ笑んで居間のソファに腰を下ろした。
台所からは、楽しそうな秋人の声とそれに答える薫の穏やかなやりとりが聞こえてくる。そうこうしているうちに、
「ただいまー」
という言葉と共に当夜が現れる。もはや勝手知ったる他人の家という風情である。
「秋人、頼まれてた店のレアチーズケーキと、フルーツタルト買ってきたぞ」
当夜が秋人に頼まれたケーキ屋はかなり美味しくて有名な店だが、ここからだと2路線は向こうだ。ケーキの中身を確認しながら秋人は上目遣いで当夜を見た。
「ありがと。今日は桜子さんの引っ越しのお祝いだから特別だね」
「…後藤さんに謝っておいてくれよ」
「分かった」
にこやかに頷く秋人をチラっと見て、薫は聞かなかったことにした。またきっと空飛ぶバンパイアの噂が復活するだろう。
夕飯は賑やかなものだった。薫が作った料理がテーブルいっぱいに並べられている。
「これ、全部神崎先生が?」
康子が目を丸くしている。
「今日は秋人もだいぶ手伝ってくれたので」
と断ったが、それでもほとんどの料理は薫の手作りである。
「先生の料理はプロ並みっすよ」
当夜がそう言いつつ箸を伸ばす。
「美味しそう。いただきます」
桜子と康子も続いた。
「美味しい!」
の声に、薫と秋人はにこりと笑った。
缶ビールをあけながら色々な質問に薫と康子が答えたり、朽木家の地元はどんな観光ができるのかを当夜が説明したり、桜子が秋人と稽古の約束をしたりと話題は尽きなかった。
「それじゃ、明後日には出発なのね」
康子が薫に確認する。
「はい、3泊4日くらいの日程になりますが、言っても首都圏なので何かあればすぐに東京に戻れます」
「アークエンジェルもお盆休みですか?」
秋人が尋ねると、康子はうーんと唸った。
「あんまり聞かないわね。探索者のお盆休みって。そもそも私たち定時退社とかではないしね」
「それもそっか」
秋人が笑った。
団らんが一段落し、デザートを食べている時、ふと、窓の外に大きな花が咲いた。
「あ、今日は花火大会か」
薫がカレンダーを見ながら頷いている。
「はなびたいかい?」
秋人の問いかけに花火を見たことがないと察した薫は一つ頷いた。
「屋上に行こう」
薫がウィンクする。リビングの大きな掃き出し窓からベランダに出て、「よいしょ」の掛け声とともにバルコニー屋根の淵に手をかけて振り子の要領で体を回転させて上に運ぶ。秋人と当夜が続いた。
「え?その移動方法ありなの?」
康子が顔を引きつらせる中、
「まあ、階段に回るより楽だしな」
と同じ方法で桜子も続く。
「もー。あたしスカートなんだけど」
とぼやきながら康子も続いた。
「わあ、綺麗」
桜子が感嘆の声を上げる。薫は笑った。屋上からはさらに花火がよく見えた。
「最近のビルは屋上は出入り禁止にしてるとこが多いんだけど、これはオーナー特権」
屋上には、テーブルと椅子が設置してあった。薫はそれを複雑そうな顔で見つめている。
「師匠とよくここで飲んだな」
薫の師匠でありこのビルの元オーナーであった加藤哲也が死んで以来、ここに来ることはなかった。ふと昼間康子に部屋のことを尋ねられた時に胸に訪れた焦燥感を思い出していた。
「先生の事、忘れたわけではありません。必ず…」
薫が小さく呟いた。
秋人はひたすら無言で花火を見上げている。夜空に咲く美しい花に感動していた。
スマホで写真を撮るのも忘れて目に焼き付けるように見つめていた。
「花火大会いいよな。彼女と浴衣で行くのとか最高」
当夜がふうっとため息を付く。大学時代、彼女と行ったことを思い出した。今となっては苦い思い出だ。
「浴衣って?」
秋人が尋ねると、当夜は眉間にしわを寄せた。
「薄くてひらひらしてて、女の子が着るとぐっとくるんだよ」
「服なの?」
「ちょっと、先生。秋人に浴衣説明してやってくださいよ」
「お前、なんでそんな中途半端な教え方してんだよ」
薫がため息を付きながらスマホを取り出して、秋人に説明を始めている。
三人のやりとりを見つつ、秋人の欠けている部分を思いやって桜子は胸が痛んだ。
「秋人くんは本当に色々知っていく途中なのね」
康子が桜子と同じような顔で秋人を見守っていた。桜子は黙って小さく頷いた。
花火のクライマックスで少年が、大きな目を輝かせて喜んでいたことに安堵しながら。
こうして、突然行われた「桜子歓迎会」はお開きとなった。
東京から鎌倉へは電車で1時間ほどだが、今回は桜子が一緒なので騒ぎを回避するのに車で行くことになった。いつもの銀色のセダンではなく、大きめのワゴンだ。6人乗りなので、余裕である。事務所ビルの地下が駐車場になっていてそこにいつも止められているのだが、あまり乗っていないので薫は売却を検討していた。
「ダンジョン攻略とかではこの手の車は結構重宝しますよ」
と桜子が言う。
「うちはあとキャンピングカーも持ってます」
「先生は行ったことないけど、普通のダンジョンって結構山の中とかにあるんっすよ」
「へー」
探索者先輩二人の話は為になる。薫は現在生粋のシティー派探索者で、東京のダンジョンしか知らないのだ。
「日本各地にどれくらいあるんだろうな、ダンジョンって」
「200か所以上現在もあるし、顕現した数で言うと400くらいかなぁ」
うーんと当夜が唸る。
「秋人は東京以外のダンジョンも行ってたのか?」
「うん…まあ」
軽い気持ちで問いかけた当夜に対して、秋人が視線を反らす。
「秋人、どうやってそこまで行ってたんだ?」
薫が尋ねた事で、しまったという顔を当夜がした。少しだけ咎めるような視線で秋人が当夜を見る。にこにこっと薫が笑っているが目が笑ってない。
「ん?」
「えっと…その…歩いたり、走ったり?」
「どこまで?」
「えっとえっと、関東の他の県とかちょっと遠くて新潟くらいまでは行ったかも」
渋々秋人が答える。隣県やもう少し離れた現場まで、交通費ももらえず走って行ったたと言外に白状させられた。
「やっぱ俺、今回巨福呂坂ダンジョンで雷神の雷鎚の練習することにする」
当夜は薫の恐ろしい宣言を聞いて、赤城に対して再度念仏を唱えた。
秋人「今日は桜子さんの歓迎会だからアドリアーナのレアチーズと、デルフィニウムのフルーツタルト買ってきて」
当夜『とうとう店の指定までできるようになったか。お兄さん何とかに耽るわ』
秋人「あと、もうすぐご飯だから急いで帰ってきて」
当夜『あー…後藤さんに怒られるぞ』
秋人「大丈夫。電話するから」
当夜『あの人、ほんと秋人には甘いよなぁ』




