3. 女子トーク
さて、もう一つ問題がある。その事を薫は康子と桜子に告げなければならなかった。
「実はですね、もうじきうちの事務所は盆休みに入るのですが、その間に鎌倉の朽木さんの家に秋人と一緒にご招待されているんです」
「まあ」
康子が目を見開く。
「住み慣れた頃ならともかく、新しく変わったばかりの住居で、流石に私が長期で留守をする間、桜子さん一人を置いていくのも申し訳ないので、よかったらご一緒しませんか?」
桜子が今度は驚いて顔を上げる。
「巌さんには、念のため先に許可は取ってあるんです。霧崎家がどういう家かは残念ながら私は存じ上げないのですが、他家の当主としての仕事や一族の扱い、傘下の企業への対応などの仕事を見るのは、桜子さんにとっては悪いことではないと思います」
「それは…」
桜子は戸惑った。既に自分は霧崎の家の跡取りではないのだが、そんな仕事を覚える必要があるのだろうか?
「弟さんにもしものことがあった場合、結局あなたにこの不良債権が返ってくる可能性があります。あなたは、裏切り者たちに親切にしてやるほどお人よしではないかもしれませんが、何の罪もない親戚を見捨てることはできないでしょう」
康子は、薫が桜子の人格をかなり正確に把握していることに、内心少し驚愕していた。
「それに、私としましても、秋人を連れていく場合目立つと困りますので、桜子さんの印象が強い方がありがたいです」
「ああ、それはそうですね」
桜子も大きく頷く。
自分の存在がカモフラージュになれば、秋人の存在を誤魔化すことができるだろう。『如月秋人』が15歳の少年だなんて誰も思いつかないにしろ、用心に越したことはない。
当主の客が連れている少年を「あれは何者だ」という詮索はできるだけ避けたいところだ。
「引っ越しはいつされますか?」
「すぐにでも。私の収納魔法で持参しています」
康子の返答は明快だった。
薫に案内されたのは、事務所ビルの最上階をぶち抜いたワンフロアの住居だった。最上階をエレベーターで選ぶのには、指紋と虹彩の登録が必要だと薫が説明する。現在は薫以外は秋人と当夜だけが登録されているとのことだった。
「後で桜子さんも登録しますが、康子さんはどうしますか?」
「私は遠慮します。階下で桜子に迎えに来てもらえばいいんでしょ?」
「家に誰かおりましたら、モニターで確認してロックは解除できるのでインターホンを鳴らしてください」
「わかりました」
康子は頷く。小規模で古びたビルだが、妙なところに金がかかっているなと康子は不思議に思った。
案内された住居はすっきりした使いやすいデザインのマンションのような作りだった。
「この部屋をご使用ください。一応、バスルームもトイレもこちら側にもう一つありますので」
薫の説明に、康子と桜子は小さく頷く。
「秋人の部屋と、私の部屋はここ。こっちの小さい部屋は時々当夜が泊まっています」
薫の説明は続く。
「台所と居間はこちらです。食事はほとんど私が作っていますが、桜子さんはどうされますか?」
「え?」
桜子が聞き返す。
「一緒に食べるのでしたら、まとめて私が作りますが。秋人の生活時間に合わせているので、少し早めです」
「あの、もしお手間でなければご一緒させてください」
「分かりました。不要な時はご連絡を」
「はい」
「掃除と洗濯はおもに秋人がやってくれています。流石に洗濯は…」
「自分でします!!」
ですよね…と薫は笑って頷き、洗濯機はここですと案内してくれた。
「さて、こんな感じですが…」
薫は一つの部屋の前を通り過ぎる。
「この部屋は?」
康子が尋ねると、薫は少し困った顔をした。
「康子!」
桜子が咎めるように言う。
「ああ、いえ。ここは、亡き師の…加藤の部屋なんです。なかなか片付ける気持ちにならなくて」
薫が頭を掻きながら説明した。
「そろそろ覚悟を決めないと…とは思っているんですが、忙しさにかこつけてどうしても…」
彼は小さくため息を付いた。
「康子、あんた何考えてるの」
自室にと案内された部屋である。康子が収納から桜子の荷物を出している横で、桜子は問い詰めた。
「いや、ごめん。まさかあんな重い話は出てくるとは思わなかったのよ。あれは失敗だった。反省反省」
「あんた反省してないでしょう」
康子の頬を両手で引っ張る。
「ひたいひたい」
「正直に答えなさい」
桜子の尋問にしぶしぶ康子は頷く。
「元婚約者の部屋だったのかなーと思ったのよ。だったら、これを機に片付けたらいいのになって」
「なんでよ」
「あんたという立派な彼女ができるんだから、不要かなって」
「はあああ?」
桜子の口から思わぬ大きな声が漏れて、慌てて康子が口を押さえる。
「いや、だって待ち受け。見ちゃったし」
「うえ」
桜子は慌ててポケットの上からスマホを押さえる。
「何よ、あの色気駄々洩れの写真。」
「勝手に見るな!!」
桜子が小声で怒鳴るという器用な技を披露すると、康子は呆れたように両手を腰に当てて告げた。
「あんた、ナイショにしたいんだったら、いきなり一番手前の起動画面に設定するとか自殺行為でしょ。RINE通知入るたびに画面見えるじゃん。アークの全員知ってるよ」
「あわあわわわわ」
桜子が慌てて設定を代えようとするも、康子はスマホを取り上げ、設定画面を見る。
「どこでこんな写真手に入れたのよ」
ニヤリと笑いつつ、写真を起動後の画面に設定しなおした。
桜子は自他ともに認めるデジタル音痴だ。下手に慌てて設定を変えるとせっかくの写真を削除してしまいかねないことを、長年の付き合いから康子は知っていた。
「ありがと」
親友の心遣いに礼を言いながら、桜子は俯いた。耳まで赤くなっている自覚はある。
「好きなの?」
ぼそっと康子が尋ねる。
「分かんない。でも素敵な人だなとは思う」
桜子は昔から異性との付き合いというものに、線を引いていた。それは名門霧崎家の跡取りとして、いずれしかるべき相手と結婚するのだろうと思っていたからであり、その邪魔になるような恋愛に没頭するべきではないと己を戒めていたからである。
「まあ、お互い独身だし何も問題ないんじゃない?神崎先生も彼女はいないみたいだし」
「いないんだ…」
少し声に喜色が混じる。
「ただ、ちょっと女性関係にはトラウマはあるかも」
「え?」
康子は簡単に薫が巻き込まれた事件に言及した。桜子の顔色が青くなる。
「何それ、酷い」
「まあ、相手はもう塀の中だしね。チャンスだよ、桜子」
康子は発破をかけた。
「せっかく同じ家に同棲するんだから、ここは積極的にいきなさい」
「同棲じゃない、同居。秋人もいるし」
「いいこと、桜子。神崎先生は超優良物件なの。婚約が破談になってから、もうすでに法曹界の大御所や、政治家、探索者の名門各家からものすっごく注目されているの」
康子の目が座っている。
「あたしがせっかく持てるすべてのコネを使って、ここへあんたを突っ込んだんだから、あんたもそれなりに努力しなさい」
康子の涙ぐましい努力を桜子は知らないが、それはそれはもう頑張った。
薫がどういう男で、どんな生い立ちと境遇で、どんな女が好みかまで、ありとあらゆる手段を使って調査した。アークエンジェルの総力をかけた調査だった。桜子以外の全員のリソースを割いた。
神崎薫はなかなかに波乱万丈な人生を送っている男だが、一つだけ康子は確信していることがあった。
「彼は、あんたみたいに自分を『一人の人間』として扱ってくれる女には滅法弱いの」
「なにそれ?」
「普通の女は彼の外見だけを見て、目の色変えて追いかけ回すのよ。」
「はあ」
よく分からないと桜子は思った。
確かに薫の顔立ちは綺麗だがそれだけだ。彼の真価はそこではないと桜子は知っている。
「まあ、そこはあんたにものすごく有利に働くはずだから、頑張って!」
康子はぽんと両肩を叩く。
「はあ?」
桜子はいまいちわからず首を傾げるだけだった。
ヨナ「あ、桜子携帯置きっぱなし」
リサ「ほんとだ。ってか隠す気なしかね、あの子は」
康子「一応アイドル並みの人気者だから、もう少し気を使ってほしいもんだわ」
久美「まあ、でもこの画面みて素人の弁護士だって思う人いないでしょ」




